風の音。
鳥の声。
虫の気配。
草の、身を寄せる優しい響き。
そのどれもが、今のには、堪えようもなく穏やかに、身に染み渡る。
「大丈夫?」
後方から自分を気遣う声がする。一瞬の穏やかな夢から覚めた気がする。
乱される。
もう少し。
もう少し、草の匂いに、浸っていたかったのに。
故郷を思い起こさせる、優しい匂い。
「ああ、平気だ」
は、とりわけ表情のない響きで答えた。
ほたるは、そんなの自分に対する少しの抵抗をどう感じたのか、彼特有の抑揚の無い声色で続ける。
いつの間にか、傍らに寄り添うように立っている。足元の草花が風に揺られて、剥き出しの肌を擽る。
「・・・・、歩くの早い。そんなしゃきしゃき歩かなくても・・それって、全然散歩の速度じゃないよ」
ほたるは、を見て、その後方から差し込む陽の目映さに、いつもきつい視線をことさらにきつく、細めた。
それは、果たして、陽の眩しさ故か、それとも、 。
抜糸をすませてすぐに、リハビリにと外出の支度を始めたを、いきなり激しく動き回らない方がいいよ、とほたるが止めた。
だが、自分の身を案じるほたるの静止の声も聞かず、はすたすたと二谷の家を後にして、そのまましばらく歩いた。
傍らで行動を共にしているほたるを、置き去りにするかのように強固な足取りで。
「慣らすためにって出て来たんでしょ?もっと、ゆっくりじっくり・・・・」
「じっくり歩いているつもりだが。これでもいつもより遅く、気を使って歩いている」
先程とは一転して、それが当たり前だと言わんばかりの傲慢な声色。
忍びとして育った彼女は、こうやっていつまでも窮屈に病人扱いされ続ける事に対して、ひどい違和感を感じていた。
しかし、それは時に、痺れる程に甘い、誘惑でもあったのだ。
頑ななの静かな抵抗を、ほたるは知ってか知らずか、相変わらず無表情のままでをじっと、見ている。
「・・・・ここまで歩いて、確実に体が回復したのだと実感出来る。足がまだ鈍っているから、まだ以前の様に勢いよく駆け出す事は出来ないにしても、これだけ歩けるのだから、もう心配は無用だ」
「・・・・・」
「もうしばらく歩いて、・・・ああ、あそこに川がある。川べりを歩こう。ほら、きれいな花が・あっ・・・」
「いきなり勢い良過ぎ。もう今日は終わり」
一瞬の事だ。
ほたるがを、たった今立っていた空間から浚うように、殊も無くひらりと抱え上げた。
いきなりの重力の変化にが息を呑む。密着した肌に、布一枚を通してじんわりと暖かさが届く。
「ほたるっ・・・!」
言葉と体で抵抗の意を示したが、ほたるはの体をしっかりと抱えて離さない。
「散歩ってもっとゆっくりだよ。慣らすのはもう充分。今からオレが散歩の速度を教えてあげる」
「・・・・・って・・、ほたる、私は」
「忍びとかやってるから当たり前になってるって言いたいんでしょ。今は違うよ、普通の女の子でしょ。急に抱っこされて、赤くなってる」
「なっ!ほっほたる!!」
「 少しずつ、ゆっくりでいい。何もかも、ね。ホラ・・・」
は未だ抵抗の意をその視線の中に隠さず、斜め横からジロリと自分を睨み付けるが、ほたるはそんな事をちらりとも意に介さず、ゆっくりと歩き始めた。
ザリ・・と、ほたるの下駄が固い土を踏む音がする。
柔らかく、穏やかな振動が、抱えられた腕から、密着した肩から、少しずつ、優しく響く。
緩やかに、の元に届けられる、ほたるの気持ちの粒。
「・・・ね、ゆっくりの空気を感じるのは、気持ちいいでしょ?散歩って、もっと心を真っ白にしてするんだよ」
自分を見つめて、ふわりと微笑う、ほたるの顔。
ブー・・ン・・ 蜂が二人をくるりと一周して去っていく。
サラ・・・ 風に煽られ、耳元を撫でる自分の髪の音。
見上げると、雲も、ほたるに習い、ゆっくりと、ゆっくりと、漂っている。
ザリ・・ ザリ・・・ ほたるの足音。
今までの自分との違和感に相反して、痺れる程に甘い、誘惑。
は一瞬、少し拗ねたように、眉を潜めた。
「今、オレの事考えた」
は、と、ほたるの顔を見ると、実に嬉しそうに笑っている。
「すぐ分かった。今の、届いたよ、オレの中に」
意味が分からず、首を傾げるに向かい、とろけそうにほくほくの顔で、ほたるが続けた。
「嬉しい」
「・・・・・・・・意味が、分からん」
少し赤い顔で視線を反らして、無理矢理川の流れに意識を飛ばす。
音を聞く。
混ざって、ほたるの呼吸の、音。
それは、まるでなにかの歌のように、の中で優しい旋律を奏で、その後いつまでもを支配して、離さなかった。
求めるのは、共有するという事。
欲求は更に激しさを増し、ともなう動作は更にぎこちなく。
言の葉を失い、見つめ合う。
風が、心地いい。
お題お借りしました
ベタなシチュエーション50題
47.お姫様抱っこ
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