辰伶





「そのような事にうつつをぬかす暇がこの辰伶にあると思っているのか?」

つつく藪が無い。
つつきたいのにちらとも、隙間すら見せてくれない。
この男、野暮にも程がある。

常に実直で強情で潔癖という、臨機応変という言葉がことごとく似合わない。
融通の利かないお坊ちゃん。
辰伶への、の中の人物像はこうである。
それが、あの戦いの日々から半年、壬生の執政役に任命され、紅の王と直に仕事を共にするようになってから、なんとなく、変わってきた感が、垣間見える時がある。
そう、こんな時。


「辰伶様の笑顔、変わってきたよね〜!」
「そうそう!私、昨日、辰伶様が遅くまで残務処理してるとこにお茶持ってったら、『こんな時間まですまない。今後こんな気遣いは無用だから、早く部屋へ戻って就寝しなさい。ありがとう』だって!だって!どう思うコレ?vvv」
「ちょっと玉の輿狙っちゃうよね〜!あんなに優しく微笑まれちゃうと〜vv」
「ホントvv以前の辰伶様からしたら、考えつかない気配りの良さだよねえ〜vv」


「お喋りもいい加減にして、仕事に戻りなさい!ホラホラ、日が陰って来てますよ!せっかく乾いた洗濯物が湿ってしまわないうちに取り込まないと!」

白いフリルのエプロンを纏った小雀達が、私の指揮に右に左にと慌てて飛び回る。こうやって見ていると、みんな本当に若くて可愛い。そのエプロンで上級官僚の前でベッドメイクをすれば、確かに玉の輿も狙えるかもしれない。

は、洗濯場を見渡せる位置に作られた二階の休憩室の窓から、眼前で花が咲き乱れるがごとくに今が盛りの女官達を見つめ、軽くため息をついた。



ここは、壬生城下町から五曜門を通り、長い通路を歩いた末行き着くという、紅の王が居城、壬生最奥の隠陽殿。
半年前の、隠陽殿を半壊させる程のあの激闘の末、紅の王はこの壬生の地に大改革を施した。
今では城下町に住む町民が、何の障害も無くいつでも五曜門を通る事が出来る。
以前は迷路の様に入り組んでいた隠陽殿への通路も一本道となり、入り組んでいた通路分の両端の土地は、町民に憩いの広場として開放していた。
そこには四季により、それぞれ色とりどりに咲き乱れるよう計算された様々な花や樹々が植えられていた。
そして、以前はごく限られた人物のみが出入り可能だった城内も、今では以前の怪しさは見る影もなく、いつでも誰でも希望とあらば紅の王を訪ねる事が出来るという、開けたものに様変わりしていた。
建物の内部も、殆どの表立った部分は実に分かりやすく作り直されていたので、紅の王への謁見も行きたいものが好きに訪ねて歩くという気安さが城内部に常に漂っていた。
もちろん半年という短期間では、以前の闇の部分が全て完璧に処理されている訳ではないので、そこに近くなると護衛兵が目を光らせて張り番をしていたりして、物々しい感も少なからずある。

そこで以前より前に出て立ち働くようになったのが、お世話係といわれる女官達である。

半年前までは表立って立ち働く事を許されず、住まいも隠陽殿とは完全に切り離された位置にあった。
常に意識されぬよう、空気の様な存在である事を良しとしていたので、服装も以前は目立たぬ藍色の着物だった。
それが今現在、膝下フレアーのサーモンピンクのスカートに、フリルフリフリエプロンという、実に華やかな西洋風に様変わりし、城内表街道を派手に立ち働くという状態になっていた。
だがそのお陰で、そういう場所に対しての物々しさも軽減されるという、闇の部分の内部への精神的負担を除く役割も果たしていた。





は、お世話係の長、女官長だ。戦いの前は、辰伶のお世話係だった。

は、仕事の手際が良い事と、世話をする相手に常に気持ち良く日々を過ごしてもらおうという、日頃からの前向きな努力が認められて、奉公に上がってから3年で上層部のお世話係に上がる事になった。
そして、五曜星の辰伶のお世話係に任命されたのである。

何の因果か、戦いの後女官長に就任してしまったが、そうなった今でも、辰伶のお世話係は自分が務めている。



今日、眼前で突然の大風にはしゃいでいる女官達の中の一人が、婚約者と晴れて挙式の為、職を辞する事になっている。
彼女の相手は上流階級の出の役職で、年も10しか違わないなかなかのハンサムなので、きっと今は自分のこれからの華やかな生活に、心底胸躍らせている事だろう。

良家の親族が、縁ある娘を宮城に奉公に出すのは、いつの世も同じ事である。
空気の様にと教育されていた半年前も実は、表立って知られていないだけで、そういった事が組織内に根深く暗躍していた。
ここで働く女官達は年齢的にみな若く、だいたい大まかに見て平均14才から24才と言ったところだが、ハタチ前に大概が嫁に行く。良縁に巡り合わせる為にここに来させているのだから、親族の者としては花も盛りのうちに、が当然の配慮だろう。



には頼るべき親族はもう居なかった。みな、『死の病』だった。
だが、親族が次々と帰らぬ人となったその同じ月に、上層部で働いていた30も年上の男に嫁がされるところだったは、後ろ盾が無くなった事を理由に相手方に縁遠くされる前に、自ら婚約破棄を申し出た。
両親が死んだ事はにとって気が違いそうな程哀しかったが、気持ちの伴わない結婚をせずにすんだ事は心底嬉しかった。
が一度にあんな複雑な想いを胸に抱える事は、きっと、もう一生無い事だろう。



は最近、ふと気が付くと、女官達を昔の自分に重ね合わせている。
楽しかった事、辛かった事、様々な事を思い出しながら、女官達のここでの日々を出来るだけ過ごしやすいものにしようという、自身の努力の源でもあった。
だがには、そういう時決まって一緒に思い出してしまう、忘れてしまいたい出来事があった。


嫁いで人が代わる筈だった、辰伶のお世話係のが、10日の休みの後、代わらずに今だそこに居る事に疑問を抱いたのか、辰伶が、が辰伶の洗濯済みの衣服を箪笥に揃えていた時に、声を掛けてきたのだ。
人が代わる筈では無かったのか、と。

「・・めずらしいですね。私事にお声を掛けて下さるなんて」

少し皮肉も混じっていた。
は親族の葬式で暇を貰っていたのだが、暇をもらう時は女官長に言うので、辰伶が訪ねない限り、の現状は辰伶には伝わらない。
が仕事に復帰してから早や一日も終わろうとしていたが、辰伶はその事に対しては何も触れてこなかったので、10日やそこら、お世話係の女が代わっても、辰伶にとってはなんら構うところではないという事なのだろう、と、は思った。
また、もし知っていたとしても、世話係などにお悔やみの言葉ひとつ言う程の事でも無い、のか。

は辰伶が好きだった。
だから、こんなにも腹が立つのだ。構われない事に。
好きじゃなかったら、腹も立たない。気にもならない。

自分の気が尖っているのが分かる。この状況ではきっと誰しもがそうなるだろうと、は今、全てに捨て鉢になっているところもあった。

辰伶は、少し低い声色で返事したに、こう言った。
「見合いを断ったと聞いた。親に先立たれて、今頼るべくはその婚約者の筈だろう。何故嫁に行かなかった?」
は目を見張って辰伶の方を振り向いた。


知っていた。私が独りぼっちになってしまった事を。
知っていて、婚約を破棄した事も知っていて、今言うべき事がそれなのか?
何て腹の立つ男!


だが辰伶は、のそんな胸中を知らずに、苛ついた声色で続けざまにこう言い放った。
「上の人との仲立ちはしないぞ。オレにそういう期待は一切するな」



初めて紹介された時に、目線が合って、まるでお見合いをしているみたいだ、と、必要以上にドギマギしてしまった事を、は今でも鮮明に思い出せる。

だが、初めて紹介された日も、その後も、洗濯物の有無等の義務的な会話を仕事の合間に交わすだけで特に接触も無く、日々が過ぎていった。
辰伶はとても仕事に熱心で、朝早くから任地へ赴き、夜遅く帰って来てから深夜まで書類の整理をしている事も日常茶飯事だったので、紹介された日に花開いたの淡い初恋は、勤め始めて3ヶ月後にはもう散りかけてしまっていた。
二人の間に会話と言えるものが本当に無いのだから、一瞬の期待を抱く時間も皆無なのである。だから、もう諦めて仕事に集中しよう、と、気持ちを入れ替えようとした、そんな時だった。
部屋の彩りにと、庭先で芍薬を一輪摘んで帰ろうとした際、太白と辰伶が会話をしているところに偶然出くわしたのだ。
辰伶は、が普段見た事もないような表情の豊かさで、それは可愛らしく微笑んでいた。

は今まで見た事のない辰伶の表情の年相応の明るさに、恋心を完全に、以前よりも完璧な形に再燃焼させてしまい・・・。

それからの日々は少しでも長く、辰伶の側で勤めを続ける事がの目標になった。
接触の少ない事を寂しがるよりも、好きな人の一番近く、側で仕えさせてもらえる事を光栄に思おう、と。
日々、笑顔を向けてくれなくても、頑張って、一番の笑顔で尽くして来たのだ。



辰伶様のお世話係を勤め始めてから1年半。
面識もさしてない男との婚約が決まって、精神的に参っていた時も、素知らん顔だったくせに、今、この今、言うべき事がそれなのか。
私があなたを好きだというのは私の勝手だけれども!
告白もしていないけれども!


そう、告白もしていないのだ。       そう考えた瞬間、私の中で何かが切れた。度重なる精神的仕打ちに、もう堪える事が出来なくなっていたのかもしれない。



「死ぬほど偏屈な男にそんな事一生!死んでも!頼みませんので。いらぬ心配でございます」

は辰伶に向かって、忌々しく唾を吐く、という事は下品過ぎて出来ないが、表現的にはまさにそんな感じに言い放った。
辰伶は本当に、本当に驚いていた。
それはそうだろう。『はい』『いいえ』『分かりました』くらいしか言わないただのお世話係が、天下の五曜星の自分に対して思いっきり毒づいたのだ。クビを宣告されても当然だろう。

だが、辰伶は、をその場でクビにはせずに、困った様な顔を一瞬見せて、すぐまたいつもの厳しい表情で部屋から出て行ってしまった。
出て行ってしまう辰伶の背中があまりに切なくて、はその場で恥ずかし気もなく大声でおんおん泣き喚いてしまったのだ。

後日、辰伶が部屋で女を泣かせていたという噂が広まり、は辰伶に、自分のせいでひどい迷惑を掛けてしまったのだと恐縮して、辰伶の弁解をして回った方が良いだろうかと悩んでいた。
その矢先、辰伶が五曜星会議の前に通路ででくわした歳子に、堅物がやりますねぇなどとからかわれて、言った言葉がこれである。

「そのような事にうつつをぬかす暇がこの辰伶にあると思っているのか?」

ダメだ     と、はその時心底項垂れた。もういいと思った。

辰伶はその後をクビにしなかったし、失礼な噂が流れている事でを責めるでもなかった。ただ、以前と同じようにに勤めさせてくれていた。
冷たいのは自分に対してだけではないし、浮いた噂もその後一切無かったし、そんな様子も皆無だった。
だから、は決めた。

もういいと、そう思う事にした。切ないけれど、好きの気持ちは募るけれど、必要以上に接触はせず、同じ日々を繰り返していよう、と。



人を好きになるという事は、その人に少なからず期待をいだくものだ。

叶わぬものと分かっているフリをして、自分を追い込んで楽しんだり、悲観したり。

目が覚めた時に滑稽だというオマケもついてくる。

それでも、目が追ってしまう。ならば追うに任せよう。ただ、心の奥底で何を考えていようと、決して、一生、誰にも見せるまい。


そうやっては、辰伶への気持ちを胸の奥にしまい込んだまま日々を積み重ねてきて、その間に色んな事が、本当に色んな事があった。
辰伶が心から親っていた太白も、いつも辰伶を堅物とからかっていた歳子も今は亡き人物で。

辰伶は今、紅の王にとても近い所で日々政務に勤しんでいる。
は女官長になった今でも、辰伶のお世話係は辞めていない。
は、辰伶に辞めろと言われるまでは、続けたいと願っていた。
辞めろ、と。もういいと、言われるまで。側に居たい、と。




小雀達の会話はいつも、必要以上に気に掛かる。
は、眼下の風景を目で追いつつ、雑念に捕らわれていた。

辰伶様ももうそろそろどなたかとご結婚してもいい。壬生の上層部の人間としては遅いくらいではないだろうか。まして、以前とは立場が違う。
私と同じ、父上様を『死の病』で亡くされて以来、ご実家では当主様として見合いの話は引きも切らぬ筈。ご母堂様も、辰伶様が早くご結婚される事を望んでおられると聞いた。
だから。


様ぁー!辰伶様のお洗濯物、こちらにご用意しておきましたのでー」
言われてはっとした。
は最近とみに、こんな風に物思いにふける事が多くなってきて嫌だ、と、自分にため息をついた。現実、一緒に立ち働いている女官達と年もそんなには変わらないのに、女官長に抜擢されてから、いやに老け込んでしまった気がしていた。

実績的には自分よりも確かな女官は、現在も数多く存在するのに、なぜ壬生を立て直すこの時期に、色んな段階を飛ばして自分がいきなり女官長になれるのか、任命された当初も、今も、はどうしても理解出来なかった。

先の戦の後、女官内の一部でも色々ゴタゴタと揉めた事があった。
女官内でも特に、地位的に上の者達の間でその揉め様はひどく、結果老齢方はみな内情を知り過ぎて、今後自分達にも何某かあるのではと、怖がって実家に帰ってしまった。
それ自体は咎める者も居なかったので、辞職は個人の勝手、として落ち着いていた。
が困ったのは、一番の年上でもない自分が、何故か誰かに推薦されたとかで、女官長就任になってしまった事である。
まさか自分がそんな立場の人間になるなんて思いもよらなかったし、『はいそうですか』と二つ返事で引き受ける訳にもいかなかった。より家柄も立場も上の人はまだ沢山残っていたのだ。

以前なら紅の王は、のような上層部のお世話係でさえ、拝顔する事すら一生叶わない相手だったのだが、今ではかなり下々の者まで、希望とあらば進言しに行ける様になっていた。
もそれを知り、すぐさまその事を進言しに行った。
自分よりも適任の者が沢山います、まだまだ若輩な自分にはあまりにも大任と、畏まって言うに対し、紅の王は、
「君を推薦した人の期待に添うよう、頑張って職務に励むように」
と、満面の笑顔で言われたのだった。

その結果は、何の因果か知らないが今の自分に選択肢がない以上、女官長として踏ん張るしかないと心を切り替えて、日々慣れない業務に邁進する事にしたのである。
そして、そんなある日、洗濯物を干す為の中庭に、紅の王が自分を訪ねてやってきた。そして承った、紅の王直々の任命が、このフリフリエプロンのユニフォームである。

紅の王が言うには、以前から、書物で見た洋風のお世話係に密かに憧れていたのだという。
はひどく目眩がしたのを覚えている。

紅の王は人の心が読めるのだという。
なので、物騒な考えを抱いていたらすぐに分かってしまうのだ。
後日その話を人から聞いた時、は思った。

ならば自分が紅の王に呆れていた事も気付いていただろうか。

奥深くにしまったつもりでいる、辰伶様への心も。

はその事をふと思い出し、少し自嘲気味に笑って、その場を後にした。



は五曜星となった辰伶のお世話係としては二人目で、の前に勤めていた人は1年保たずに辞めてしまったと人の噂に聞いていた。
その後辰伶が世話係を2ヶ月近く持たずにいた事も。
その話を聞いた時はまだ上層部の方のお世話係としては新米だったので、以前の人が何故辞めたかなどもちろん知らなかったし、人づてに昔の話を根ほり葉ほり聞き出せる程無神経でもなかった。
辰伶の部屋で大泣きしてしまった後も、その事が心のどこかに引っかかっている事は気付いていたが、以前の辰伶の世話係が何故辞めたかなど聞いて回る気にはなれなかったので、結局今現在に至っても、は、以前の世話係が何故『保たなかった』という言い回しをされるのか、そしてその後辰伶が何故2ヶ月も世話係を持たなかったのかは、知らないままなのである。




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