アキラ





風の音しか聞こえない。
誰の気配も感じられない。
ここなら、ゆっくり一人の時間を満喫できる。

アキラが鬱蒼と生い茂った森の片隅の小さな隙間で、ひとつ小さな吐息をついた。
そしてとの出会いの日に、ふと気持ちを泳がせてみる。







ほたるがみんなに見送られ、心配されつつ壬生の地を後にして間もなく、アキラ達一行もそれぞれ各々が目指す地へと旅立っていった。
アキラは、幼い頃狂に拾われた、記憶の中の土地を求めて、しばらく彷徨っていた。

最初に、アキラが自分の生地を求めたのには、なにも深い訳などない。
ただ、ゆやが、望が自分に残してくれた気持ちを、望と過ごしたあの町にある望の墓に、納めて来たいと狂に話しているのを聞いて、
ただ、漠然と思ったのだ。
「自分は、どういう風に生まれ、どういう風に育まれたか」、と。


そんな風に考えた事は、狂に拾われてから、今まで、一度もなかったといえば嘘になる。
自分の誕生日も知らなければ、母の胸に抱かれた記憶などかけらも残ってなどいない。
ただひたすらに、狂に認められたいと、強さを求めた。
そうやって、自分の記憶のない過去に、触れないようにしてきたまでの事。

最初、漠然と「それ」が脳裏に浮かんだ時、不思議と抵抗は感じなかった。
それもいいかもしれないと、そう思った。
今まで見ないようにしてきた「自分」を、改めて見つめ直すのもいいかもしれない。

そんな風に感じることの出来た自分がちょっと誇らしく感じて、ここまでの道のりは早かった。
すいすいと足が動いて、四聖天だった頃の戦道を辿り、多分この辺りだろうというところまで来たのが、みなと別れて二ヶ月後の、久方ぶりの晴天に恵まれた、暖かい日だった。






「・・・・・・・・・・・何がなんだか・・様変わりし過ぎてて、全然面影も何も残ってませんね・・」
前日に降った雪に照り返す、日の光の眩しさに眉を寄せて辺りに気を張り巡らせる。
自分が狂に拾われた時、ここは瓦礫と死体しか無かったように思うのに、今では民家が立ち並び、すっかりひとつの集落が出来上がっている。
活気に満ち溢れた人々。店の軒先でひなたぼっこする猫。はしゃぎまわる子供達。
そういう平和な風景を当たり前に感じ取ると、瞬時にイラッと嫌な感覚が湧き上がってくる。
それは、今までのアキラにも、そして今のアキラにも、当たり前のようにつかず離れず、存在していた感情だ。いまさらそれをどうこうしようとは思わない。どうしようもないことなのだから。
親の顔も知らない自分を不幸だと思いたくはない。
屈託の無い笑顔で笑いたいとも思わない。
自分は自分だ。


改めて、変わり果てた町の姿を目にし、その考えに行き当たった時、自分は何をしにここへ来たのだろう、といきなり憮然と首を横に振った。
ゆやさんの感傷にあてられて、何を求めていたのか。


しかしそうは思っても、これから先に行くあてなど、アキラにはない。
はあ、と、肩の力が抜けて、重いため息が抜けた。
ふと、そういえばもう昼時だと、近くに食事所を探した。斜め向かいに小さな旅籠屋を見つけ、そこに泊まって一晩ゆっくり先の事を考えようと、更に肩の力を抜いた。



「はあ・・・・・」
パシャ・・と、湯が跳ね上がる音がする。
意識を張り巡らせ、気配を感じるのは一人、二人と少ない。
温度差ゆえに激しく湧き上がる湯気の湿気が乾いた肌に心地良い。
風呂の環境は最高ですね。と、心に一人呟く。

玄関を通って、部屋に案内されて、道中気配を漂わせ感じた感覚は、時期的にそんなに混んではいないが、それなりに繁盛している事を伺わせる作りの宿だった。
アキラがこの宿に一泊を決めたのはそんなに深い理由は無い、と自分では思っている。
人混みは嫌いなので、そんなに混んではなさそうで、かつ、それなりの対応は最低してくれそうな、作りのしっかりした建物を選んだ。 そんなのは今のアキラにとっては人として当たり前の最低条件なのだが、以前旅路を共にしていた四聖天の戦友達に言わせればきっと、そんな条件は不必要であり、男としてせせこましいこだわりだ、と、つつかれるのだろうな、と、ふと昔を考えた。

アキラとて、昔からそうだった訳ではない。
狂は酒が飲めればいいという。
梵天丸はそれに更に女がつけばいいという。
灯は食事が美味しくて布団がきれいなのが一番という。
ほたるはなにも言わない。なにも考えていないのだ。

そもそも、宿に泊まれるという状況になる事の方が珍しかった四聖天時代は、自分は宿に対して特に何も求めてはいなかった。
まだ幼かったから、酒も飲めないし、女も抱けない。
布団などどうでもいい。食事も食べられるだけ贅沢だ。
それでも生意気に、金が貯まればいい宿をとコブシを振って要求してみたりもした。
鼻で笑われつつも、決まってそんな日はすごいご馳走が部屋を埋め尽くしていた。

自分は、可愛がられていた。
とても。

フン、と、鼻を鳴らしてみる。
今は違うんです。と、一人ごちてみる。
今は自分の納得のいく条件というものを持っている。
我侭な大人達に振り回され、付き合わされる子供じゃない。

それはそれで楽しかった、が。

アキラは、自分の胸中に、ドスンと落ち着いたものがない事を感じていた。
何かを考えようと思っても、とめどなく次から次へと思考が一所に定着しない。
目的がないのだ。見つけなければとひどく焦っているわけでもないが、それでもこの感覚の落ち着きの無さには少し辟易する部分もある。

いつも目的があった。いつでも目指すものがあった。それに向かって盲進していた。
今は、少し違う自分がいる。
生地を尋ねてみようなどと、考える事自体が何よりの証拠だ。
しかし、得るものも無く。

・・・・・どうしましょうかねぇ・・・。

はあ、とまたひとつ息をつくと、アキラの口元の湯気がふんわりと一方向に流れる。
そろそろ風呂に茹だって来たので、上がる事にして、一旦思考を閉じた。



夕食の時間までの一時を、さほど広くない庭を散策したり、部屋で夕焼けの赤い日を浴びたりして過ごし、やがて運ばれてきた夕食を食べ、仲居に酒を勧められたが断って、早々に床についた。
そしてその時にはもう、再び狂と行動を共にする事を決めていた。

今は昔とは違い、狂の傍らにはゆやさんが居る。
自分が二人の邪魔になるようなら、その時また考えればいい。
梵に会いに行ってもいいし。
灯やほたるを探してもいい。

アキラは、知らず、一人で居る事を拒否し、誰かを求めている自分を、その時にはちゃんと認めていた。







夜半。子の刻。
隣室の壁から漂う妙な気配に起こされたアキラは、布団から体を起こし、意識して隣に耳を澄ませる。
床か何かを激しく蹴る音。
小さな悲鳴。声が高い。
男の低い下卑た笑い声。
そのまま動きを潜めて成り行きを窺っていると、どたどたばたん!と、ものすごい音がして、その後すぐ人が二人自分の部屋になだれ込んできた。

半裸の女性と、うだつの上がらないといった風体の、小汚い中年男性。

「助けて!私・・・・お願い!」
思わず刀を構えたアキラの背後に素早く回り、必死にアキラの寝巻きの袖に縋る女性を冷たく一瞥して、アキラは女が掴んでいる自分の袖を振り解いた。
「あなたは遊女ですか?こんな時間に酔った男性の部屋に居れば、そんな目に合うのは当然ですよ。自業自得です」
「な・・・?!」
女はアキラの言い様に、自分の今の状況も忘れ、目を剥いて反論しようとした。が、男がアキラに掴みかかり、力づくでどかせようとした、その一瞬ののちに、アキラではなく、男が宙を舞って床に叩きつけられたのを見て、息を呑んでその場に立ち尽くした。
男は気を失っている。
「・・・・・・あなた・・いったい・・」
アキラは今自分がした事は大した事ではないと、至極当然のような表情で立ち上がり、驚いている女の襟元にすっと手を伸ばす。と、女はびくっとおびえて固まるが、はだけている襟を戻してやると、慌てて自分の淫らな姿を正そうとあちこちに手をやる。
女のそんな様子を見て、アキラはふっと笑って言った。
「・・・・遊女じゃないんですね」
「あ、当たり前です!あ・・・ありがとう。助けて頂きました・・・」
「いいえ。で、どうするんです?深夜ですから、幸い気付いた人は居ないようですし、何かまずい状況でしたら、このまま逃げますか?」
「え、いえ、・・・どうしましょう」
「は?」
「あ、ご、ごめんなさい。どうしましょう。えっと」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「そ、そうですね、とりあえず、あの・・・」
「・・・・・・・・・・・・・ちょっと、落ち着いて」
「・・・はい」
「このままだと、この男が目を覚まして暴れ出しますよ。私はあなた方がこうなった状況を知らないので、どうとも判断しかねます。この男は元居た隣室に運んでおきますから、後はあなたが良いように。よろしいですか?」
「・・・・・・」
アキラは思った事を素直に口にし、当たり前の手順を述べただけだ。言葉に深い意味はない。
遊女ではないものの、少し頭の緩い女のように感じたので、アキラにしては親切に、至極分かりやすく説明してやったつもりだった。
なのに、女は馬鹿みたいに呆けて、じっと自分を見ている。

アキラがしびれを切らし、とにかくこのままでは寝こびれてしまうと、女を無視してとりあえず男を運ぼうと身を屈めた時、女ががしっとアキラにしがみつき、言った。
「私を連れて逃げてください!」

「・・・・・・・・は」
一瞬、何を言われたか分からず、アキラの方がバカみたいな顔で呆けてしまう。
連れて逃げて、ですって?
「あ、あの、言い方が悪かったかもしれませんが、あの、とにかく、私と一緒にいて下さい!私を、助けて下さい!お願いします!」
「・・・・・・・・・・・・・よく分かりませんが、嫌です。私は面倒事に巻き込まれる気はありません。逃げるなら、お一人でどうぞ」
アキラは、彼特有の、嫌味な口調で女の願いを断った。そして不愉快そうに一瞥すると、また再度男を運ぶために屈み込む。
と、後ろでしゃくり上げる声が聞こえて、は、と、女の方に振り返ると、女はなんとも言えない顔で、泣きべそをかいていた。
「お願いしますう〜!もう・・もう私どうしたらいいかあ〜・・一人じゃどうにも・・私じゃ・・ウッ・・ウグッ・・・・ヒック・・」
アキラは盛大なため息をつき、先ほどより更に冷ややかな表情を女に向けて、言った。
「・・・・この男にも、そうやって縋ったんですか?」
「ちっ違います!!その男が壬生一族に近付こうとしてて、しかも月の里の出だと分かって、それで、なんとしても阻止しなきゃって、私・・・・・こんな事言っても分からないですよね・・でも、ほんとにどうしてもこの男に近付かなきゃならない理由があって、それで・・」
女は、どうせ理解してもらえないし、と、半分投げやりに、一人で呟く様に下を向き、話し続けていた。が、途中で、すっ、と、自分の手元にアキラの手が伸びてきて、自分の腕を掴んだので、驚いてアキラを見た。
アキラの纏う気配が変わっていた。怖い顔をしている。
「・・・・・あなたは、何者です?」
ぎっ・・と、自分の腕を握るアキラの手に力がこもる。女は一瞬顔をしかめた。
「・・・・壬生一族と、どういう関わりが?」
「・・・・・・・か、関わりは、ないです・・」
「ないのに、阻止せねば、とは?一本道筋立てて、話して頂けますか?事と次第によっては・・」
「・・・い、いや・・離して・・!」
女の声色は、それまでの頼りないものとは違い、泣きべそをかきつつも、一種異様な決心の強さを纏っていた。アキラはそれを瞬時に感じ取り、ちらと斜め向こうの布団の横にある自分の刀との距離を測る。

「・・ん・・んう・・」
二人の間の緊迫した空気が、男のうめき声で一瞬緩んだ。
その一瞬の隙に女が腕を払った。そして先ほどの情けない様子からは想像もつかない敏捷さで部屋の隅に飛びのく。
アキラはチッと舌打ちをしつつも、素早い動きで刀を取り、ついで流れるようにその刀の柄でうつぶせに倒れている男の後頭部をゴンッ!と殴った。
気付きかけていた男の意識がまた遠のいた。
そしてそのまま部屋の隅に向き直り、隅で身構えている女の方に向いた。

半べその顔は相変わらずだが、口が、負けるもんか!とくっきりへの字に曲がっている。
アキラはなんとなく、戦う気が失せていくのを感じた。
女がアキラを睨みつつ、口を開く。
「・・・・・・あなたが、壬生一族とどういう関わりがあるのか知りませんが、私はここで死ぬわけにはいかないんです!あなたは私より強い!・・というか、私より強い人はいっぱいいますが、・・でも、負ける訳にはいかないんです!だから・・」
アキラはこの口上を聞くにつけ、もうこれ以上この抜けた女と争うのはやめよう、と、気を張った自分が真実馬鹿馬鹿しく思えてきて、構えていた刀を下ろした。
「・・・・・名前は?」
「・・え?あの・・」
いきなり名を聞かれて、戸惑った顔で自分を見る女が、アキラはちょっと可愛く思えて、そんな自分を同時に叱咤した。

可愛い?この明らかに抜けた女が?つられて私までおかしくなってきましたか?

アキラは気を取り直し、んんっ!と、咳払いをして、もう一度尋ねた。
「・・・先ほどはひどく問い詰めてすみませんでした。経緯を詳しく話して聞かせて下さい。むやみに無体な事はしません。場合によっては・・分かりませんが。とにかく、名前を教えて下さい。話がしずらい。私はアキラといいます。あなたは?」
自分の頬が緩んでいる気がする。おかしい。
そんな事をアキラは考えつつ、女の返事を待った。
女はアキラの言葉に、心底気が緩んで、ほっとしたという表情をして、目に涙を浮かべて、アキラを見て、言った。
「・・・といいます。陽の刻の村の生き残りです・・」







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