戦いくれて、血を流し、それぞれの想いを引き裂き、そしてより強い絆へと変化させたあの運命の決着の日から、早や半年が過ぎようとしていた。
あるものはあてどもない旅へ、あるものは故郷へ、己のしがらみや運命との更なる闘いへと赴いていった。
「・・・・お腹すいたかも・・・・」
誰とはなしに、あてもなくぶやくこの男、名をほたるといった。
眼下に町の賑やかな明かりが見下ろせる山の中にほたるは居た。
連れもなく、一人で膝を抱え、どこを見るともない視線を地面に漂わせて、ふうむ・・・と、一人ため息をついた。
季節は初夏。野宿には丁度頃合いの気温と湿度で、もう少し登ればその服装では少々肌寒いという事を知ってか知らずか、今ほたるが居る位置は、山の麓の民家からは丁度ひと登り、たき火を焚いても麓の人間が気付くか気付かないかの微妙な距離であった。
常人なら下山に30分はゆうにかかるであろうこの距離も、この男の気力と体力ならおよそ15分もあればひょいひょいと飛ぶようにおりるであろうと思われるのに、なにをわざわざ初夏とはいえ、山の中での野宿を選んでいるのか。
答えはふたつ。まず、ほたるは宿に泊まる金銭を持ち合わせていなかった。
戦いくれて、みんなとの別れの時は、ほたるの異兄・辰伶や、みんなの「銭頭」のゆやが、放蕩なほたるがまともに一人旅など出来るかと心配して、道々一人でなら合わせて1ヶ月は悠々自適に過ごせる程の金をほたるに手渡していた。
もちろん、渡す時に、無駄遣いはせぬよう重々に重々に、幼い子に言うように噛んで含んで言い聞かせ、それから手渡していた。これだけ言い含めれば、いくらバカでぼぅっとしていて、常に風のようにふらつき廻る放蕩人でも、頑張って節約すれば3ヶ月分にはなるであろうし、また、3ヶ月くらいはまともに過ごしていてくれるのではなかろうかという期待もあった。が、二人ともにその願いは軽く裏切られていた。
まず、渡された金銭はきっかり1週間で使い切っていた。
本人は、大事に使おうと思っているのだ。宿代の節約の為に、農家に一晩の宿を借りる。
と、そこで、世にも切ない身の上話を爺さん婆さんから聞いたりする。
と、朝、一宿一飯のお礼にと、普通の宿の3日分の宿賃をその老夫婦に置いて行ってしまったりする。
かと思えば、昨日節約したから今日一日くらいは贅沢してもいいよね、とばかりに後日豪遊したりする。
金に執着がない上に頓着もないときているから話になろう筈もない。気付けば懐はぴゅうぴゅうと肌寒く、季節はもう本格的な冬・・・野宿にも困り食事にも困り果て、賞金稼ぎでもしようと思い付くも空しく、賞金付きの悪人を捜し出す程の根気も無く。どうしようかと町の外れの河原で一人ごちていたら、ある一人の女が声を掛けてきた。
「どしたの君?迷子?なんて・・・・訳ないかな?」
人の良さそうなふくふくとした笑顔の女に、一拍置いてから、微笑み返す。
そして思い出したのである。
以前、なじみの遊郭へ遊庵を迎えに行ったほたるに、遊郭の女達がほたるの見目の良さにきゃわきゃわ騒ぐ事に嫉妬し、自分に対し、遊庵が言っていた事を。
「お前みたいなヤツは、とりあえずツラも良い事だし、困った時はその辺で女でも捕まえて暫く世話になって、ヤバくなったら逃げて、そんでまたよそで捕まえてって、そうやっててんてんと女移していきゃ、人間とこじゃ一生楽に暮らせるかもな〜。そういう事にこだわり無さそうだしな。てか無いよな」
その時は確か、能無し扱いされたような嫌な気分になって、ちょっとムッとして「そんな事ないよ」と、答えたんだったか。あの時はまだそういう事に対して成長途上で、女がなんなのかもよく分かってなかった。自分の母親の事もあって、大事にしてあげなきゃいけないんだっていう妙なしこりもあった。
でも。
今はもう、女に色んな幻想抱く程子供じゃない。
「アンタ・・一人暮らし?」
そうしてほたるは、財布が空になってから今までの月日を、色んな女をてんてんと渡り歩く事で、比較的楽に過ごしてきた。時には色濃い女も居て、情夫も居るのに自分と遊んだ為に刃傷沙汰に発展する事もあったが、ほたるは対して気にもとめず、頃合いをみては猫の様に居なくなり、また違う町へ、違う女へと渡り歩き続けたのである。
そうして半年が経った今、女達を弄んだバチが当たって、町に降りられなくなってしまったのだ。これがふたつめの、野宿の理由である。
自分の面倒を見てきた女達が数人、ほたるを忘れられず捜し歩いているのだという。やはり鉢合わせは避けたい。とかくこの男は面倒事が嫌いなのだ。
ほたるからしてみれば、再度出会っても、「あの時はどうもありがとう」くらいしか言う事が無いというのに、ただでさえ女という生き物は「どうして」と連発したがるものである。
そして更に、ほたるが腹に一物も無く芯から何も考えていない、本当に風に例えるにふさわしい男なのだという事が理解出来ない感性の弱い女に限って、しつこく、未練がましいのだ。そして捜し歩いている数人というのはその類に入る。
身から出たサビとはいえ、楽する事にだれてしまっている心根に、そういう女を説き伏せようなどという根性ははなから無く、というか元から無く。
とりあえず最後に、追ってきた女を見かけた町からは出来るだけ遠ざかり、女の足では到底無理であろうという獣道を使い、3つばかり山と谷を越え、季節柄豊富な野の山菜や果実を食し、出来るだけ人目に触れぬ様、女達が追ってこれぬ様、この1ヶ月程そうして過ごして来たのである。
「はあ・・・・何か、もう力出ない」
眼下に見下ろせる町の灯りに、また1ヶ月前の様に女に世話になろうかと、甘えた考えがちらと頭をもたげたが、何の為に今まで逃げ隠れしてきたのかとハタと思いつき、止める。ほたるの胸中は先程からこの繰り返しであった。
他人と、誰とも触れあわない、とことん一人旅というのがかなり寂しく、気持ちとげとげしくもあった。
会いたい人が、居ない訳ではない。今頃何をしているのかと、空に心を漂わす。
かつて共に戦った、戦士達・・・。この半年の間に、みなはどう様変わりしているだろうか?
「・・・・・?」
ふと、ただならぬ気配を背中に感じ、そちらへ振り向く。
時刻はもう深夜を回っている。月明かりで見る膨大な木々の列は、無言でほたるに危険を知らせている。何者かが近付いている。一人ではない・・・・数人。
ほたるは重い腰上げて、焚き火を背にして仁王立ちになり、刀に手を掛けた。目を閉じて、見えないモノを見ようとするかのように、神経を研ぎ澄ます。
手裏剣の音。刀の音。草の上を飛ぶ足音。
追われる者の、キリキリとした息使い。追う者の、笑い声・・・・・。
この笑い声の方の気配は・・・人間とは少し異なる・・・壬生一族・・?
ザザッと激しい音を立て、木々の間から一人の女がもの凄い勢いで飛び出して来た。
黒い忍び装束をまとい、腹に深手を負っているらしい、片手で脇腹を抱え、息づかいも荒く、それでも闘志は猛々しい。燃える様なオーラ。
後ろ手に、追ってくる男達に向かい手裏剣を二、三続けざまに放ち、こちらに駆けてくる。
ほたるは何もせず、刀に掛けた手を外し、そのまま突っ立っていた。
「・・・・ハッ!・・・」
月明かりと焚き火とで、お互いの容貌がギリギリ確認出来るほどの距離で女が飛んだ。
悠に3メートルは飛び上がり、空中で捻りを加えてほたるの正面を向き、ほたると焚き火を軽々と飛び越えて、地に降り立った。
着地と同時に女の脇腹から血しぶきが飛ぶ。険しい顔で息を呑むが、次の瞬間、女の目はほたるに釘付けになっていた。
「・・・壬生の刺客・・!ケイコク!なぜここに?!」
「・・・・・助ける?殺す?どっちがいい?オレあんた知らないし、どうでもいいけど、助けてほしいなら加勢する。ケガひどそうだし」
ほたるは自分が知らないこの女が、自分の顔を知り、そしてかつての名で呼ぶ事を不思議に思ったが、問いただす気にはならなかった。
それより、背後から迫り来る壬生一族の気配の方が気になる。半年前の戦いの残党が人間界に降り立ち、悪さをしでかしているのだとしたら、自分にも責任があるし、他の仲間達も黙ってはいないだろう。
だが、この女が自分に助けられる事を良しとしないのに手を貸す気にもなれなかった。
元々そういった根性も持ち合わせていないのである。
いや、持ち合わせていない筈なのだが。
もともと、普通の人間が多少修行を積んだところで壬生一族の血にかなう訳はない。
ほたるは充分その事を知っていたし、まして眼前の女は相当の深手。相手の壬生一族の気配は、二、三人といったところか。ここで自分が加勢しなければ、この女はむごたらしく殺される事は分かりきっている。
助けられる事を良しとしないのであれば、犯されて惨殺される前にひとおもいに楽にしてやるのも人情。ケイコクだった時には、間違いなく、そ知らん顔でその場を後にしても何とも思わず、心にも残らない出来事だったろうが、首筋の【火】を自ら消してからは、自分の中にある情を、不器用ではあったが少しずつ形に出来るように変わってきていた。
だから、とりあえず『助ける』か、『殺す』かと聞いたのである。
だが。
『・・・綺麗。死んじゃうのもったいないかも』
意外にも、眼前の女に対して心を移している自分がいた。
先程まで一人で、寂しかったから? 違う。
綺麗 だ。先程、自分を飛び越えて、背に月を負い、空中で振り向いた時の、顔。
今、苦し気な息使いと共に揺れる瞳の、光。
破かれたのか、少しはだけた胸元から覗く白い、肌。
ゾクッとした。初めてだった。
女を見て、鳥肌が立つほどに、沸き上がる、欲望。
激しいほどに、自分に男を感じた。 犯したい。
「ケッ・・・ケイコク様?!!なぜここにっ?!」
合わせて三人。壬生一族の男がほたるを取り囲み、指さし、おののいた。
女から視線を逸らし、男達の顔をそれぞれ見たが、知った顔はいなかった。だが、壬生のただの町人なら、自分の名は知っていても、顔まで見知っているという人物は希少だ。
ほたるは自分から進んで他人に『五曜星・ケイコク』と名乗った事がない。それに、眼前の男達は、自分を懐かしむでなく、恐れているのだ。
自分を様付けで呼んで、震えている。ほぼ、先の戦の残党・陰陽殿に仕えていた兵士の生き残りに間違いはないだろう。
ほたるの腹は既に決まっていたが、一応確認する。
「なんでこの女を追うの?あんたら何してんの?ここで」
ほたるから向いて中央の男が、震えながらもなんとか勇んで答えた。
「あ・・あなたに関係の無い事です!私達の安住の地を奪い取っておいて、私達のする事に手出ししてほしくはない!そこをどいて下さい!」
「安住の地・・なんて、今だにそんな勘違いしてるバカに、どいてなんて命令されたくない。オレは、聞いてるんだけど。なんでこの女を追うの?」
「・・・・・!」
平坦な声色なのに、殺気は今にも爆発しそうな気配のほたるへの恐怖で、三人ともぎりぎりと歯ぎしりの音が聞こえてきそうなほど悔し気な表情で立ち竦んでいる。
三人掛かりで襲いかかってもとうていかなわぬ相手だと知っているのだ。一歩も動けぬまま、ほたると、ほたるの背後の女を交互に見つめる。
つと、ほたるから右手側の男が口を開いた。
「・・・ケイコク様はもう壬生にお戻りになる気はないのですか?」
その言葉に残りの二人がハッとその男を見た。三人の視線がかち合い、何に自分達の救いの光を見たのか、中央の男が懇願する様にほたるに向き直り、すり寄ってきた。
「私達は今、自分達『革命派』のリーダーとなり得る力を持った人物を探しています。かつての栄光ある地位より更に上の地位へ、私達と共に昇り、そして極めましょう!人間どもなどみな私達の奴隷となり、今壬生の地で我が者顔ではびこっている町民どももみなケイコク様にひれ伏すのです!」
「・・・可能だと思ってるの?狂やオレ達がいるのに」
顔色ひとつ変えずにほたるがそう言うと、男はほたるの背後の女を指さして、ニヤッといやらしく笑って言った。
「可能なのです!あの女の持つ珠さえあれば!」
男のその声を皮切りに、両隣の男達が同時に動いた。ほたるの背後の女に、刀を構えて飛びかかった。
と、ほたるの両隣から前方、辺り一面がものすごい熱気に包まれた。
飛びかかろうとした男達も、ほたるにすがる様に話し続けていた男も一瞬で炎に包まれる。
両隣の男達は一声も発せず塵になったが、中央の男は塵になるその瞬間まで、ほたるのあまりの急な攻撃に、自分がこれから死ぬのだと理解出来ずにほたるに向かって話し続けていた。
「あとみっつ・・集めて・・・・ ・・・・ イコ・・ク様・・・ ・・」
「わ・・たしも・・殺すのか・・?」
ホタルが刀を脇に収めて女の方へ振り向くと、女は先程の闘志も消え失せて、息も絶え絶えに片膝をついていた。だがその視線だけはほたるの顔を見つめている。
今まで自分が苦戦していた男三人を一瞬で塵にした後も、表情に抑揚がない。何も感じていないのだろう。
ふいに、女が皮肉気に口の端だけで笑い、力尽きた様にその場に倒れ込んだ。
「・・・・」
ほたるは無表情のまま女へ近寄り、うつぶせに倒れた女をゆっくり仰向けにした。
意識を失って身動きひとつしない女の傷口を見て、それから立ち上がり焚き火の近くに置いていた自分の荷物を持ってまた戻ってくる。
荷物といっても、小さな風呂敷包みのようなもので、おそらく刀にぶら下げて歩いていたのだろう。
風呂敷を広げて中を探ると、旅立つ時、辰伶が持たせてくれた物の中から、針と糸を取り出した。生まれて初めて使う為、糸を針穴に通すのにとても苦心したが、なんとか通って、そのまま徐に女を見る。
ちらとも迷うという動きはなく、針先を女の腹の傷口の脇に突き刺した。
「もう戸口閉めますよにこ先生〜!よろしいですかぁ〜?」
長い髪を後ろでひとくくりに束ねて、顔の大きさに合わないずり下がりそうな眼鏡を掛けた幼い顔をした看護婦が、奥の診療部屋へ向かって高い声をはりあげた。
もうくたくたで、早く閉めて片付けて横になりたいといった、なげやりな雰囲気ありありでため息をつく。
「んも〜診療代がちょっと安いと思って、町の人達なんかあるとみんなここに押し掛けるんだから・・毎日毎日これじゃくたびれちゃってやってらんない・・・・きゃあっ!」
ぶつぶつとグチをこぼしながら戸口に手を掛けて閉めようとすると、ふいに予告なしに若い男の手が伸びて戸の動きを止める。あまりに急な事だし、深夜という事もあって、看護婦はつい大声を上げてしまった。その声に弾かれて奥から中年の男が飛び出してくる。
「何事ですかっ?!・・・・?」
戸口から顔を出した若い男の、あまりに浮世離れした容貌に、看護婦も中年の医者も、一瞬言葉を失って男を見た。が、金髪の男が、そんな二人の様子に表情ひとつ変えず、腹を血だらけにした黒装束の女を抱えてこう言った時には、二人とも一瞬にして眼光厳しく職務に立ち戻った。
「この女血足りなくて死にかけてるから助けてやって」
女が重い瞼を開いて一番に目にしたものは、暗がりの中のある一室の天井。自分に時間の感覚が無く、昼とも夜ともつかない。
次に、体の感覚がゆっくりと目覚め、意識も冴えてきて、自分が柔らかい布団に横になっている事に気付く。
生きているのか・・・・私は・・・。
そして、部屋の中に自分以外の気配を感じて、そちらを首だけで振り向く。
左手側・・・。ほたるが自分の隣で横になって眠っていた。
「・・・なっ・・!何・・?!あっつ・・!・・」
今ここに、自分の側に見る筈がないものを見た驚きに、思わず反射的に跳ね起きて傷の痛みに呻く。自分が大きな刀傷を負っている事を忘れていた動きの反動は大きい。あまりの痛みに息が詰まる。
「う・・ん・・?あれ?起きてる・・・」
隣の騒がしい気配に目が覚めて、ほたるは眠そうに目を擦りつつ起きあがる。
半身起きあがってうずくまっている女を見て、すぐに立ち上がり襖の方に行き、襖を開けて廊下を左に向かって大声で医者を呼んだ。
「にこせんせぇ!女起きたー痛そうだよー」
すぐにどたばたと足音が響いて、中年の男が現れた。足音も騒がしいが、声も騒がしい。
「目が覚めたかっ!ああ起きあがっちゃいかん!横になって横に!傷口が開いたら大変だ!ほたるくん菜子ちゃんに言って鞄取ってきて僕の鞄!」
「ヤダあの女キライ。うるさいもん。どっかのバカ兄貴そっくり」
「今はそんな事言ってる場合じゃないでしょ !!!!菜子ちゃ んカバ ン!!!」
「だってオレちゃんと先生呼んだし。目覚めたら呼べっつったじゃん。ちゃんと仕事したよ」
「じゃあもうひとつ仕事して!今日のゴハンの分の仕事!菜子ちゃん忙しくて聞こえてないみたいだから急いで菜子ちゃん探して鞄持ってきて!鞄って言えば必要なもの揃えてくれるから!」
「むう・・・分かった。行ってくる」
ほたるは新たな仕事を言いつけられた事がちょっと気に入らない風に、頬を膨らませて、とてとてと今医者が来た方角へと歩いて行った。
女は顔を上げるのもやっとの様にゆっくりと医者へ視線を移して言った。
「・・・私の、珠は?」
女の声色はかなり切羽詰まっているようだが、医者はさして気にも止めず、女に横になるよう手を添えて勧める。
「早く横になって、さあ!手を貸して・・そう・・珠って、胸元にぶら下げてたのなら、君の枕元にあるよ。ああ反り返らなくても取ってあげるから!無理な動きしないで!・・んん、脈はだいぶ戻ったけど、まだ熱が高い・・」
左手で女の腕の脈を測り、右手で首元の脈をそっと触ってから、そのまま右手を女の枕元へと伸ばし、置いてあった珠と袋をゆっくりと女に手渡した。
女は珠が無事なのを、目と手で確かめてからホッと一息ついて、改めて医者を見て、問うた。
「私は・・どうやってここに?」
傷口を診るよ、と言いながら服の襟元へ手を伸ばし、菜子という看護婦が着せたものか、患者用の浴衣の胸元をはだけていく。
大きなガーゼののりを外し、ほたるが縫ったままの傷口を、指で、痛みの無い程度にそっと触診する。傷口はだいぶ塞がったようだが、まだまだ余談は許さない状況である事は、肌の熱と色が証明している。
「・・・ん?え?あ、ごめん。君がここにって?ああ、ほたるくんが抱えて来たんだよ。この傷口を不器用にざくざく縫ってからね。でもおかげで出血を押さえる事が出来たから君は今生きてる。連れて来るのも、もう少し遅かったら死んでたよ。良かったね。目が覚めて。・・・・自己紹介する前にひとつだけ確認してもいい?」
それまでニコニコと話していた医者が、急に表情を厳しくして、女に口元を寄せて来た。
「・・・ほたるくんは、君と一緒にここに居てもいい人間なんだよね?」
女はどきっとした。それまでの、ほたるが自分を手当してここに連れてきたという医者の話にも驚いていたが、 自分と一緒にここに居ていい人間か?一生に一度でも自分にそんな事を問われる事になるとは・・・・人生とは、運命とはなんと皮肉なのだろう。
「そんな事聞かないでやってよ。その女が嫌だって言っても今んとこオレはこの女から離れる気ないから」
二人とも驚いて、はじかれたように声の方を見た。手に黒い鞄を持って、鼻先を赤くしたほたるが立っていた。
「鞄、取ってきたけど。いるの?いらないの?」
取りに行った時と同じ様な調子でとてとてと歩き、医者の膝元へと寄ってきて、鞄を置いた。ちらと傷口を見てから、またとてとてと戸口に向かい、無言のまま外へ出て襖を後ろ手に閉めた。
「・・・・まずかったかな?大丈夫?」
医者がバツが悪そうに頭を掻きつつ言うが、女の胸中はそんな医者に構う余裕などなかった。今のほたるの台詞がぐるぐるとすごい勢いで、頭に渦を巻いていた。
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