That Day




この医者の名前、姓は二谷といったが、いつもにこにこ、実に人好きの良い性格から、馴染みの患者や親しい町人からいつもあだ名の『にこ先生』で親しまれていた。

ここは、さして大きくはない、どこにでもある様な町の、どこにでもある程度の診療所で、経営もさしあたっては平凡に運営されていた。ただ、診療代が他より安く設定されているのと、時間を問わず、にこ先生が就寝するまではいつでも急患を受け付けるという親切さもうけて、一日の診察人数は他の診療所を軽く二倍は上回っていた。
そこで大活躍の看護婦が、名を菜子という、住み込みの万能ウーマンで、にこ先生の事なら身の回りの事から、症状に合わせて使う薬のイロハまで、ツーといえばカーのタイミングの良さで対応する。丸い瞳が愛らしい、二谷診療所のアイドルだった。
見かけと頭の良さではさぞ引く手あまたであろうが、ただ、惜しむらくは、菜子はとても気が強かった。プライドもとても高かった。
だから、ほたるが
「先生が鞄って。急いでよ」
などと仏頂面で言おうものなら、
「人に物を頼む態度をお母さんに習わなかったの?ちょっと顔がいいからって調子に乗ってたらこうよ!」
と、鞄のおまけに、鼻先をそれはひどくつままれたりするのだった。

だが彼女は、本当に嫌いな人には見向きもしないし、話かけられても口も聞かないという偏屈さも持ち合わせているので、一応今のところは、ほたるはまだ嫌われてはいないようであった。


「何突っ立ってんの?邪魔よ」
菜子が治療に使うお湯を沸かして、洗面器に入れて持って来た時、ほたるは女の部屋の前でぼーっと突っ立っていた。丁度襖の取っ手の前に立っているので、ほたるがどかないと菜子は部屋に入れない。
「・・・・別に。治療してて胸丸見えだから出てるだけ。・・・頭冷やしてくる」
「・・・・・」
カンのいい菜子は、ほたるの『頭冷やしてくる』が何を表すのか、すぐに感づいてしまったので、この仏頂面がそんな事を真面目に言うのが不思議だと思う反面、よっぽどこの部屋の中の女性の事が好きなのね、と、ほたるの気持ちを勝手に作り上げてしまった。
洗面所の方向へと向かうほたるを横目で見送りつつ、襖の取っ手に手を掛けた。
「入りま〜す」

「そんな訳がない!」
女のあまりの怒号に、菜子は手に持った洗面器をあやうく取り落とすところだった。
慌てて中に入り、二谷の横に洗面器を置いて座る。
「どうしたの?そんな大声出しちゃ傷に響くわよ」
菜子は勢い起きあがりかけている女をたしなめるように、胸の辺りに手を置いて優しく諭した。
「あなた死ぬところだったんだから。そのぐらいひどい傷なのよ。たかだか2日昏睡してたくらいで傷は完全に塞がらないわよ。最低でも10日は寝てなくちゃ。それからやっと起きて歩く練習をして・・」
菜子が全て言い終わらないうちに、女は手で顔を塞いでぽろぽろ泣き始めた。
つぶやく様に言い募る。
「訳が分からない・・・あの男をもう二度とこの部屋に近付けないでくれ・・私は・・」
「・・・・あの男・・ほたるくんの事?・・先生、彼女に何を言ったんですか?」
「なっ何も!私はただ、意識を失ってた2日間、ほたるくんはずっとあなたに付き添ってたんだよ、と・・・そしたら・・・そんな訳ないって・・」
二谷は、何かまずい事でもしでかしたのか、イタズラが見つかって怒られる事におびえた子供の様に焦って言った。
菜子は、そんな二谷の様子から、話の経過はそれだけではないと鋭く察知したが、今は女を落ち着かせる事の方が先決と、改めて女の方に向き直った。
「ほたるくんが戻ってきても、この部屋には入れないから落ち着いて。今は少しでも体の回復の方に気持ちを専念してもらわないと・・ね。あなた、名前は?」
やはり同じ女性だからか、それとも、菜子の看護婦としての手腕によるものか、菜子の穏やかな声色に、気持ち解されたのか、女は顔を塞いでいた手を、涙を拭いつつゆっくりとどけて、菜子の方を見て、言った。
「・・・・名は、、という・・」





それから10日間、ほたるは二谷の診療所に顔を出さなかった。
部屋に戻ってきたほたるに対し、菜子が優しく諭したからである。
菜子も、忙しさにかまけて恋愛経験が無い訳ではない。現に、実は今現在でも、二谷に対し、期待と諦めの入り交じった複雑な恋心を、情の奥底に隠している。なので、ほたるがに対し、どういう気持ちを抱いているのか、その部分だけは理解出来るのだ。
ただ、二人の状況に関しての情報は皆無に等しいし、また、先程の自身の取り乱しようでは、傷の治りにも差し支えると判断したので、ここはほたるに我慢してもらう方を取ったのだった。

にしても、菜子は
『程良く傷がくっつくまでだいたい10日はかかるから、それまで一人で休ませてあげて。今の状態じゃ話も何もできないから・・ね』
と言っただけで、診療所を出て行けとは言っていない。なのに、微動だにせずしばらく菜子を見つめた後、
『・・・ここって、あの女治すのに全部で幾らくらい?』
と問うて、菜子を驚かせて、その後、金額を聞いてから、返事もせずに、振り返りもせずに、すたすたと出て行ってしまったのだった。

菜子は、人を見る目に自信があった。まして、が昏睡していた2日の間、ほたるに自分の食事の支度をさせることすら、菜子がどれだけ苦心したか、皆まで言わずもがなであった。
この男は、本当に、物事に対して全てにおいて頓着がないのだ、と、を抱いて現れた時に一瞬ほたるに見惚れてしまった自分を激しく叱責したくなるくらい呆れていたのに、なのに、そのほたるが人の言う事を素直に聞き、診療代を稼いでくるかのような文句を後にして行方をくらますというのは、菜子の中のほたるという人物像からしてみれば、殊勝にも程がある事なのである。

「どっちかって言うと、側から離れないとかってごねちゃうかなって思ったりしたんですけどね。まあ、先生がいらん事を言ってくれちゃってますからねえ」
すぐ帰ってくると思っていたのに、ほたるが姿を見せなくなって5日目、風邪をこじらせたおじいさんの家への往診の帰りに、菜子が、腹に一物置くという芸当の出来ない、実直な二谷に対する叱責の意も込めて(実は菜子は、二谷のそんな子供じみた所もとても好きなのだが)、隣を歩く二谷に言った。
だがその二谷にしても、洗面所から戻ってきたほたるの顔を見るなり、正面に立ち『さっきはごめん。嫌らしい事をした』と目を見て謝り、その場は菜子に任せて診療に戻ったのだが、話を済ませて二谷の元に戻ってきた菜子に、事の詳細を聞いて、心底意外に思っていた。
二谷も、ほたるに対して菜子とさして変わらない印象を抱いていたから、自分の言った事など露ほども受け止めず、が治るまでそのまま居座ると思っていたからである。
「あの時はうちにさんを連れて来た時の状況が状況だったもので、確認の為に、ほたるくんはさんに危害を及ぼした事に関係している人物かどうかを聞こうと思って・・ほたるくんは必要以上に話してくれないから分かんない事だらけだし・・でも、確かに早計だった。ごめん。でもねえ・・」
「ねえ・・」
二人は軽くため息をついた。
ほたるという男は、良くも悪くも、接触した人間に強い印象を残す人物だったので、このままふらりと居なくなってしまうのがなんとなく寂しかったのである。
だがそれはそれ。去って行ってしまった人間にいつまでもこだわりを残していては仕事にならないと、気持ちを切り替えてに相対そうと二人が決めた、出て行ってから10日目に、二谷の貯金より更に4倍ほどの金銭を袋一杯につめて、ほたるが戻って来たのである。




「菜子ちゃんお腹すいた」

戻るなりの第一声がこれである。
ほたるは、体中塵と埃だらけになって診療所に帰ってきた。
よほど腹が減っていたのか、先にフロへ行けと怒鳴る菜子に対し、絶対先にご飯!と、台所の上がり端に寝転がり、テコでも動かなかった。
二谷は何よりほたるが無事帰ってきたのが、なぜそんな気持ちになったのか分からないが、何故か息子を迎える親の気持ちの様に嬉しかったので、怒る菜子をなだめて、その時すぐ用意出来る、残り飯とありあわせのおかずを用意させた。
にこにこしながらほたるがご飯にがっつく様子を眺めていたら、つとほたるが思い出した様に懐を探り、両手に一握り程の袋を取りだして、二谷に手渡した。
口の中にご飯がある、モゴモゴと聞き取りづらい発音で、
「これで足りる?あの女の分と、ここに居る間のオレの分」
と言った時には、袋を受け取りながら、胸にじーんと熱いものが込み上げてくるように嬉しかった。

          のだが、袋の中の大金を見た時に、ざわと腹に掻け昇ってくるものがあった。
二谷は顔色を変えて慌ててほたるに問うた。
「ほたるくん、こんな大金を一体どこで?」
菜子はぶつぶつ言いながら、ほたるのせいで汚れた上がり端を雑巾掛けしていたが、二谷の声色がけげしくなった事に驚いて二谷を見た。
ほたるは口の中に漬け物を放り込んでから、抑揚の無い声で言った。
「賞金付きの奴殺して報償貰った」

殺した、と言う時のそのあまりの表情の無さに、二谷も菜子もほたるに得体の知れない影を感じて一瞬怯んだが、この時代、賞金稼ぎを食い扶持のアテにしている人間は沢山居る。
だから、手っ取り早く大金を稼ぐのならこんなに楽な方法は無いだろう。今現在、珍しくもない事だ。ほたるはいつも長い双頭の刀を携えていたし、亜流の武士であったのだろう。そんな彼が選んだ手段としては、自分達が責めるべく事ではない。
だが、金額が半端ではない。二谷は勢い、思わずほたるを問いつめた。
「でも、こんなに大金の賞金ついてる人間なんて滅多に・・それに、これだけの金額の人物を君が一人で?」
「こんなに人捜ししたの初めて。もう二度とやだ。なんとかっていう山賊のアジトごと全部燃やしちゃったから一杯貰えるんだって。最初信じてくんなくて怪しいとかって捕まえられちゃいそうになったから、ムカついて思わず役人殺しそうになったけど我慢した」
「・・・・・・」
二人とも、ほたるの物言いに呆気に取られて、二の句が継げないでいた。
そんな二人の様子に、何を思ったのか、ほたるは最後のご飯粒を飲み込んでから、これまた抑揚の無い声で、言った。
「ごちそうさま。あのさ、仕返しとか心配しなくてもいいよ。絶対誰も来ないから。お風呂入っていい?足りるんでしょ?足りない?」
言葉の最後の方は、まるで子供が欲しいものをねだるように眉間に皺を寄せて自分を覗き込んできたので、二谷は慌てて返答した。
「あっ・・いや!足りるよ!というか、とても多いから、いる分だけ貰って後で返すよ。・・・お風呂に入ってきなさい」
「うん。ありがとう」
二谷がちらと菜子を見ると、菜子ははたと我に返り、慌ててほたるを追って風呂場に向かった。歩き回る前にまず足を洗え〜!と、菜子の怒号が響く。
二谷は、一日の診療が終わった後でも滅多にこんなに疲れたため息はつかない、という様な重いため息をひとつ、はあ、と、ついた。




襖の前に、人の気配がする。
はうとうとしていた意識をむりやり引き戻して、襖の向こうの人物に警戒した。
この気配は・・・と、記憶をたぐり寄せ、警戒を強くした。半身起き上がって、掛け布団の下に小太刀を構える。と、襖の向こうに居た人物から、声が掛かる。
「入るよ」
ほたるはからの返事を待たずに襖を開けた。
中に入って襖を開けたまま、の布団の横へ行き、座り込んだ。
の顔を真っ直ぐに見て、流れるように言った。
「オレに向かって殺気纏う意味無い事くらい分かってるんでしょ?気の無駄遣いはやめなよね」
と、言うが早いか素早くの腕を掴み、掛け布団から出すと、が抵抗する間もない早さでから小太刀を取り上げてしまった。そのまま小太刀を枕元に放り投げる。
は掴み上げられた腕の痛さから、力の差に舌打ちすると、ほたるを睨み上げて言った。
「私を助けたのは何故だ。何故今また戻ってきた」
「その前にさあ、確認してもいい?アンタ、遙かなる暁の谷の、首領の血筋じゃない?」
の顔が、音がするくらいの激しさでみるみる怒りの形相を纏った。再度枕元の小太刀を素早く拾い、ほたるに飛びかかった。
「お前にその谷の名を口にする資格はない!!死ねぇっ!!」
勢いほたるの心の臓めがけて放った小太刀を、ほたるは楽に受け止めた、かに、見えた。

畳に鮮血がほとばしる。
ほたるの左手の平がみるみる真っ赤に染まっていった。
当然小太刀はかわされると踏んで、そのまま捨て身で飛びかかろうとしていたの動きが止まった。目が湧き出る赤に吸い寄せられる。
ほたるはそのままの姿勢で、顔色ひとつ変えずに言った。
「血を見たら少しは落ち着くの?悪いけどオレまだ死ねないから、今はこれで我慢してよ」




BACK  /  NEXT

KYO夢トップへ