That Day
「『前略、辰伶殿。
こたびは急を要する用件にて。
本来私がそちらへ赴き、諸事情を詳しく説明せねばならぬと重々承知の上で、あなたの愚弟にこの手紙を言付けています。
物事をかいつまんで話すはあなたの愚弟の得意技なれど、それではあなたが壬生のまとめ役としていかに無能かをきちんと伝える事が出来まいと危惧し、現時点で私達が壬生の敗残兵の一味よりこうむった被害の数々と、あなたの政治統率力の無さを知らせるべく、ここに、私達が知り得る限りの事の成り行きと詳細を、非常に詳しく分かりやすく明記して差し上げています。
言葉ひとつの漏らしも無いようしっかりと、隅から隅まで読み砕いて頂けます事を・・・むしろうっかり読み落としたなどと、部下に無能をひけらかす事の無いよう・・・・足りない頭を常に限界まで働かせて・・・・読むように・・・・』・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・って、なんだこれはッ!!!!」
怒りに肩を小刻みに震わせて、顔を紅潮させて、辰伶がとうとう大声で怒鳴った。
窓際で小さな蜘蛛を手玉にとって遊んでいたほたるは、そんな辰伶に対し、しれっと素知らぬ顔でそのまんまの注釈を入れた。
「なにって アキラからの手紙。ちゃんと渡したからね」
ついさきほど、何の脈絡もなくこの場に不穏な話を投下したほたるは、固まる辰伶やその部下達をよそに、やおら袂からゴソゴソと平たい小さな包みを取り出し、ハイ、と辰伶に手渡した。
辰伶は、平たいながらにもかなりの厚みのこの包みを、不審に思いつつも即座に開封した。中身を取り出すと、かなりの厚みのそれは、10枚は軽く越えていると思われる便せんの束だった。
アキラから、壬生の執政役、辰伶への手紙だった。
事が事だけに、辰伶がその便せんの束を開き、その1枚目を読み上げ始めた時には、常に辰伶の側近くに仕えている辰伶付きの部下達4人が、神妙な面持ちで辰伶の傍らに寄り添っていた。
が。
アキラからの手紙の、その1枚目の内容が次第に明らかになっていくにつれ、ほたるの持ち込んだ、球を取り巻く陰謀のその主題へと入る前に、みるみると怒り心頭に発していく辰伶に反し、それぞれがそれぞれに冷静に場を収めようと速やかに動いた。
「こっ・・こっ・・・・このっ・・」
「辰伶様、落ち着いて下さい・・」
辰伶の憤りを、まず、紋刀(あやと)がため息混じりに受け流す。
紋刀は普段から、辰伶の、壬生に誠心誠意尽くす姿勢をとても尊敬し、自分達の長として心から慕っていた。
が、アキラからの手紙の文句に素直に振り回される辰伶の、子供のような実直さに対し、こういった場合には本当に、出来の悪い親を持つ子の様な気持ちになるのだ。まったくもう・・・、と腹で呟きつつ、辰伶の肩に手を置き、ハイハイと宥める。
その間に、普段から冷徹に仕事を黙々とこなす瑳紀(さき)が、せっかくの手紙をくしゃくしゃにされてはかなわぬ、と、「失礼します」と静かに辰伶に一言告げて、その手から手紙を取り、一人壁際に寄って、黙読し始めた。
そうしてそれを機に、事の顛末をずっと苦笑しつつ見守っていた、執務室に勤務する辰伶付き精鋭達の中では一番年輩の、見嶺平(みねひら)が、辰伶の側から離れ瑳紀の傍らに身を寄せ、瑳紀と共にその手元の手紙を黙読し始める。
辰伶は紋刀の窘める声が耳に届いているのかいないのか、拳を握りしめカッカッと激している。
「許せんっ!!オレをとことんまで愚弄しおって!!大体あの男は初めて会った時から性に合わないと・・・」
「辰伶様っ、ハイッ、お茶どうぞ!」
この場に勤める者達の中で一番幼い四十万耶(しじまや)が、必死で笑顔を作り、辰伶専用の湯飲みにお茶を入れ、唐突にその眼前にズイッと差し出した。
ほこほこと湯気の上がるいかにも熱そうな入れたてのお茶の向こうから、四十万耶が自分を必死に見つめている。にこやかな笑顔を作ろうとしているのだが、目が必死なのだ。どうか落ち着いてくれと訴えている。
「さ、辰伶様ッ・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
笑っているのに、雨に濡れて震える子犬のように心許ない、怯えた目で見つめられ、辰伶はすっかり毒気を抜かれてしまった。我に返って一度目を閉じ、深く息を吸ってから、すまん、と一言言い、四十万耶の手元から湯飲みを受け取った。
煎れたてのお茶がなみなみと注がれている湯飲みはかなり熱く、受け取った時に湯飲みの口に近い部分を持った為に、瞬間あやうく取り落としそうになったが、すぐさま紋刀がここに置いて下さいとばかりに四十万耶が持ったままだった受け皿を指さした。辰伶はサッと湯飲みの底へと手を持ち替え、そうしてやっと一口すすり飲み、四十万耶が差し出した受け皿へと湯飲みを置いた。その後すぐさま紋刀がそつのない動きで四十万耶から茶を受け皿ごと受け取ると、辰伶の机へと歩み寄り、そのままゆっくりと机の上に茶を置き、そうしてまた再度辰伶の元へと歩み寄る。
紋刀はその途中に、押し黙る辰伶の傍らで不安そうに佇む四十万耶の背をポンと叩き、彼に目配せをして口の端で微笑った。紋刀の気遣いにより、四十万耶の目からようやっと怯えが消えた。ほっと息をつく。
そこで、それまでの現状をまったく無視して、アキラからの手紙を静かに読み耽っていた瑳紀が、今が頃合いと見越し顔を上げ、彼の特徴でもあるその沈着冷静さを指の先まで漂わせて、低い声で静かに問うた。
「 辰伶様、よろしいですか」
現場の緊張感を促す部下の呼びかけに、辰伶は深呼吸をするように再度深く息を吸い、胸を張るような仕草をしてから瑳紀の方に向き直った。失態を晒した気恥ずかしさからか、軽く咳払いをする。
「・・・・ンンッ・・・ああ、」
「辰伶様は、よっつ揃う事により、どんな願いも叶うと言われる『球』、の話に、覚えがありますか?」
「『球』?・・・・なんの話だ」
辰伶は初めて聞く話に、首を傾げ瑳紀を見つめる。瑳紀がそのまま流れるように、辰伶への問いの理由を続けた。
「辰伶様がケイコク様と共に五曜星の任に就かれていた当時、・・・・この手紙によりますと今より約9年ほど前に、先程の女性・・様、とこちらに名前が記されていますが、その球をひとつ所持していた様の故郷の『暁の谷』という隠れ里を、球を奪え、という五曜星への任命により、ケイコク様が襲撃した、と書かれているのですが・・」
瑳紀の言葉に、辰伶は驚き、目を瞠った。その場にいた皆が一斉にほたるを振り返る。と、当人は室内に背を向け、窓際で、糸を垂らし逃れようとする小さな蜘蛛を、自分の手元にたぐり寄せて遊んでいる。
ふと、視線に気付いたのか、顔だけ振り返り辰伶を見た。視線だけで、何?と問うような、自分に向けられるほたるのあどけない表情に、辰伶は肩を落とし、アキラが手紙で、事を克明に知らしめようとしてくれた事に感謝せねばならないか・・と、心でその屈辱に呻いた。
だが今優先すべきは、その『球』の話と、の事だ。アキラが自分を侮辱した事への怒りは、ほたるの飄々とした体と相まって未だ収まらないが、今、そこにとどまる事は辰伶にとって無能を表している。冷静に事を分析し、彼等が訪ねて来たその要因を見極める事こそが重要なのだから。
・・・が、どうも自分は、久方ぶりに会う弟のペースに巻き込まれ気味なようである。ついため息混じりにほたるへの愚痴を零してしまう。
「・・・どちらにせよ、聞いても、詳しく答えてはくれなさそうだな」
「なにを?」
「 そんな任務があったとは初耳だ。太白が誰から仰せつかったのかは知らんが、・・・・オレに回さなかったのは何故だろうな・・」
少し呟くように過去を振り返る。自分が心より慕っていた、かつての五曜星の長のその姿をつい鮮明に胸に思い描き、少し物悲しい。つと自分の机に歩み寄り、先程四十万耶が煎れてくれたお茶を飲もうと茶碗を手に取り、口に含む。茶碗は先程と変わらず熱かったが、胸に染み入る温度はちょうど心地よかった。
と、辰伶のそんな心中を推し量ったのか、ほたるが過去を思い出しつつ無表情に問い掛けた。
「他の事で忙しかったんじゃないの?えぇと・・・確かあの頃って・・・・・・・・・・・鼻の骨がなんとかかんとかって・・・ああ、そういえばアレ、なんだったの?」
「ブッ!!!」
勢いよく茶が辰伶の口から吹き出される。ワーッと四十万耶が慌てて布巾を取り出し、机に駆け寄った。そこに残されていた数枚の書類の上に茶しぶきが飛んでいた。慌ててそれを拭う。
「だっ、大丈夫・・ですか?」
「ゲホッ!ゴホッ・・す、すまん、オレとした事が・・」
紋刀がせき込む辰伶の背を撫でながら、いきなりの事に驚き問うた。アキラからの手紙を握ったまま辰伶の様子を分析するように見つめる瑳紀の傍らで、見嶺平が腹を抱えて悶絶しそうなほどに必死で笑いを堪えている。
ほたるが見嶺平のその様子に気付き、今度は見嶺平に問うた。
「アンタなんか知ってんの?知ってるなら教えてよ。歳子からなんか聞いた気はするんだけど・・・えぇ・と・・」
「思い出さんでいいッ!!!!忘れたままでいろッ!!!・・・・見嶺平どのもです!!」
「こっ・・・これは申し訳ない・・ブッ・クク・・」
謝りつつもなかなか笑いが収まらない見嶺平を、紋刀と四十万耶は不思議そうな顔で見つめている。今にも問い掛けを続けそうなほたるを、何とか押し留めて話の主題を戻さなければ、と、焦った辰伶が逆にほたるに問い掛けた。
「そっ、それはそうと、ケイコク、お前はさっきあの女性・・を、この部屋から遠ざけるように行かせてしまったが、その理由はなんだ。その手紙に綴られている彼女の故郷への襲撃が本当なら、今ここで、何か彼女に聞かせたくない話でも・・あったのか?」
ほたるに対し、室内の全員が問いたい事柄であっただろうそれを言葉にすると、ほたるは一瞬、辰伶が今まで見た事も無いような憂いをその目の中に浮かべた。
だがそれはほんの一瞬の事で、すぐにまたいつもの無表情に戻す。
「別に。長旅だったから、早く休ませてあげたかっただけ」
出てきた理由は、実に当たり障りのないものだった。辰伶は訝しげに、少し眉を顰めた。
ほたるは、再度室内に背を向けると、窓の桟に身を潜めて隠れていた小さな蜘蛛をそこから追いやり拾い上げ、優しく手の平に乗せた。
長い渡り廊下から、眼下に広がる街並みに視線を移す。
まさか自分が、このように穏やかな心持ちで、この街並みを見下ろす事になるとは・・・。
の胸中に、何か郷愁めいたものが漂っていた。
この地を見下ろす自分の中に、そんなものがあるなどと・・・だが、やはり、あの焦げつくほどの怒りは、いくら待っても湧いてはこない。あの真っ黒い淀みは、何処か遠くへとなりを潜めてしまった。
消えてはいない。それは分かる。消える事はない。ないのだ。
球を奪い返したあの日、あの夜。
この地に忍び込むだけでも大変な苦労だった。鬱蒼とした樹海を抜け、大きな闘いの後を残す門を抜け洞窟を通り、共に球を奪い返す為に戦った戦友達は、一人が陰陽殿に入る前に捕まり、尋問を受ける前に自殺し、一人が球を奪い返して壬生の地を後にする時、追っ手に捕まり、殺された。
自分一人が生き残った。
は谷の首領に、我が子同然に可愛がられていた為、首領から自分の跡継ぎとして、谷の歴史や、それに沿う珠の事を詳しく聞かされていた。
その時に、球に携わる者が必ず守らなければならない掟の一つとして、球を持つそれぞれの隠れ里同士で交流を持ってはいけない、というものがあった。理由は首領にも分からないが、ただ、必ず守らなければならない掟として、長い長い時を言い伝えられて来たのだという。
なので、は珠を奪い返すまでの8年と約半年は、その掟を守り、ずっと自分達だけで頑張ってきた。
しかし、故郷である「谷の壊滅」を旅の始まりとし、何事をも順調になど進む訳が無かった。
生き残った友人の二人は、珠の存在すら知らなかった為、いきなりの不幸に自暴自棄になり荒れ果てた。
その二人の友を支えて、立ち直らせるのに2年。
谷の皆の仇を取る為の「戦友」と、お互いを認めあい、体術を磨きつつ、壬生一族の住まう地を探すのに4年。
内輪もめに1年。
生きる為だけに一生懸命だった時期もある。
壬生一族の場所が見つからず、珠のことはもう忘れてゆっくり暮らそうと揉めたこともある。
夢中になって努力して、やっと壬生の地を・・その隠された場所を見つけたのが7年と半年後。そして、そこへ忍び込むまでに至ったのはそれが最初で最後だった。
澄み渡った青い空に、戦友達の顔が浮かんで、胸が痛かった。
「あの・・・」
渡り廊下のその中心で、いつの間にかぼんやりと佇んでしまっていたに、不思議そうな顔で問い掛ける女官に、は慌てて応えた。
「あ、と、・・すまない、つい。・・・・以前、・・ずっと昔に、ここに来た事があるんだ。夜だったから、街並みはちゃんと見えなかった。・・こんなにも、なんというか、・・普通の街並みだったのだなぁと思って・・」
そう言われてその女官は、「?」と小首を傾げたが、必要以上に物事を問う事はしなかった。
も、曖昧な笑みを頬に浮かべただけで、それ異常は何も綴らず、女官の進む方向へと身を転じて歩き始めた。
そう。
達がここに初めて足を踏み入れたその時、ここは悪魔の住まう地なのだという、恨みからの怨念で捻れた強迫観念が、目に映るもの全てを、黒い、穢れた物体としてしまっていた事実など、その女官は知る必要も無いのだから。
「ねぇ、もうオレのとこ行ってい?」
手に絡めていた、細い細い蜘蛛の糸を窓枠に優しく擦り付け、小さな蜘蛛をようやっと解放したほたるは、ゆっくりと辰伶の方へ振り向くと、抑揚のない声の響きでその場に問うた。
沈黙に支配されていた面々が、顔を上げ一斉にほたるを見た。ほたるは構わずやや強引な響きで続けた。
「オレも知ってる事話すけど、それは明日するから。今日はアキラの手紙で終わり。今はもう行くね、辰伶」
名を呼ばれ、更に訝しく思う。
ほたるは先程、袂から出した手紙を辰伶に渡すなり戸口に向かい、近くを通りかかった女官を呼び、自分達用の寝室をひとつ用意してくれと頼んだ。
は、ほたるのその行動の真意が分からず、戸惑いつつも様子を見る・・・そういうような素振りでその傍らに佇んでいた。
辰伶は、ほたるが、ここまでの長旅に、女性であるの体を気遣ってそういう行動に出たのだろうと、ほたるの胸中にある某かのものを慮って、スッと廊下へ顔を出し、この二人を客間へ通せ、と、その女官に指示した。当然のように、部屋へは二人で行くのだと思ったからだ。
だが、ほたるはすぐ、を指さし、まず先に彼女をそこへ案内してくれと女官に言った。そうして、そのまま、戸惑うを一人で行かせてしまったのだ。
『っていうの。ずっと壬生に付け狙われてて殺されかかったんだけど、辰伶知ってた?』
先程のほたるの何気ない体で放られた言葉がふと蘇る。なら何故にこの壬生で一人にする?それに・・・・・・・殺されかかった、と聞いたが、事がこんなにも根が深いものだとは想像もしていなかった。壬生によって故郷を壊滅させられ、自分達に対し、激しい恨みを抱えている事だろう。その恨みの対象である壬生の地を、今回目指した目的でもあった重要な用件を後回しにしてまで、今彼女を一人にせねばならない理由が辰伶には解らない。だが、問われたほたるのその表情 。
「 そうか。分かった。・・・だが、彼女はずっと壬生の刺客に付け狙われていたと言ったな?先程一人で行かせてしまったが、彼女にしてみればこの壬生では、それは余計落ち着かぬ事なのではないのか?」
特に含みは無い。
それに、復興からずっと壬生を取り仕切って来た自分の現在の心境からすれば、今のこの壬生で、昼間から無体を働く輩など決していまいと断言出来る。だが心境であって『現状』では無い、と、狙われ続けた彼女に言われれば、口を噤むしか出来ないだろうとも思う。
・・・・・聞かれて、ほたるが何と答えるのかが知りたかった。先程の憂いの表情は、・・・少し前まで、自分も抱えていたもののように思えるから。
だが、ほたるの口から放たれたそれは、辰伶の知りたかったものとはまったく違うものだった。ほたるがゆったりと口を開き、何を戸惑う事も無くさらりと言った。
「だって、辰伶が居るんだから、そんな心配要らないでしょ」
「?・・・・」
どういう意味だ?ケイコクは何を・・・
「オレは、戦いの後からの今回の事、壬生の外で起こってるって思ってる。壬生に戻ってその事確信した」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「だから、さっきオレが、この事知ってた?って聞いた時の辰伶の顔、・・・・面白かったし。ゴメン。ちょっとイジワルした」
ふいに、フ、と軽く微笑う。辰伶は、今ほたるが言わんとしているものの意図するところを、朧気ながら理解したような気がした。だが、まさか、・・・・
「イジワル、とは?」
目を見開いたまま沈黙してしまっている辰伶の代わりに、見嶺平がふわりと微笑い、ほたるに問う。
見嶺平は、ほたるから返る言葉が何か知っていた。辰伶の、皆の努力の証。
壬生を愛する皆の想いの形、その結果。
「だって、壬生の街並みの、こんなに何もかもが穏やかなのは、辰伶が一杯頑張ってるからでしょ。だから、今の壬生でそんな悪さする人居ないって思って」
この弟は・・・!!
あまりの事に、言葉が出て来ない。完全な不意打ちだ。ケイコクは、ちゃんと見て、そして、気付いていたのだ。久方ぶりに訪れる、故郷の変化を、その辿り着いた先を・・・・オレ達壬生の民が、心から求めていたものを ・・!
目頭が熱くなるのに慌てて顔を伏せ、何度も激しく咳払いをした。なんとか場を取り繕おうと必死で続く言葉を探すが、何も浮かばず困り果てた。チラと見嶺平を見ると、なんともまぁ嬉しそうに自分を見つめて微笑っていた。
先程ほたるに問いを続けたのはわざとだと即座に気付き、辰伶は心で舌打ちしつつ再度茶碗を持ち口元へ持っていくと、程良い温度に冷めたそれを一息に飲み干した。この異母弟の前で落涙するなどという失態はなんとか抑える事が出来たようだが、この場の沈黙を何とかせねばならない。見嶺平に限らず、どうやら他の面々も、次に言葉を紡ぐのは辰伶だと決めてかかっているように感じられた。
・・・・漂う場の空気がなんとも言えず、生温かい。困った・・・・。
「・・・なんか変な事言ったオレ?」
ほたるも場の雰囲気が何か少しおかしいと感じたらしい。少し眉を顰めて首を傾げて面々を見回した。と、ふいに見嶺平が室内の中央に躍り出て、ほたるに向かいニコリと笑った。
「ゴホン。 では、私が客室までの道案内を仰せつかってもよろしいですか?ケイコク様」
「?ていうかアンタ誰」
抑揚のない響きで誰だと問われ、見嶺平は、持ち前の柔軟さで紳士的に対応する。
「これは失礼しました。私、辰伶様のお側近くで勤めさせて頂いておりまする、見嶺平と申します。先の戦いの以前は、壬生廉駕(れんか)塾にて教師を務めさせて頂いておりました」
「?」
言われて、『壬生廉駕塾』という音の響きに聞き覚えがあるかも、と思う。不思議そうな顔で返事を保留していると、辰伶が慌てて口を挟んだ。
「お、おい!失礼だぞケイコク!オレ達も教鞭を取ってもらっていた時期があったんだぞ、・・!・・・・まさかさっぱり忘れてしまっているなどと言うんじゃあるまいなお前・・・」
まさかまさかそんな事は、と、弟の頓着の無さの、その際限の無さに驚きおののきつつ、恐る恐る問うた。と、ケロリと軽い調子で、それを象徴する返事が返って来た。
「忘れた。ていうかオレまともに修練受けてないもん。先生の顔なんて一人も覚えてないよ。・・・・・?あ、待って。覚えてるかも。・・・確か、・・・・・」
弟の言葉の続きを、兄が固唾を飲んで見守る事数秒。
見嶺平が、自分に関して、彼の中で今、どんな記憶が一番に蘇ってくるのだろうとわくわくしながら、ほたるを見つめて。
その見嶺平のいたずらっ子の様な表情に、ほたるの中でするりと記憶の糸が繋がった。そうか、この人・・・
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そっか、アンタ蝶々捕まえるの上手だったよね確か」
「ちょ・・・・蝶々?!!」
出て来た記憶がそれか?!ていうかなんだ蝶々とは?!!と、辰伶が思わずツッコミを入れた時、間髪入れずに見嶺平が吹き出した。
「ブッ!アーッハッハッハ!!変わりませんなケイコク様は。その茫洋とした居住まいはあの頃を思い出すにいっそ清々しい。・・・・またお会いできて、心から光栄に思います。ところで・・この部屋を後にされる前にひとつだけ、お聞きしてもよろしいですか?」
問うたその瞬間、少しだけ見嶺平の目の色が変わった。剣呑では無いが、何か、ほたるに対し決断を迫るような緊張感が見嶺平の顔元に漂う。
ほたるには何故だか、彼がわざとそういう色を出したのが解った。・・・そう、この男はそういうのが巧いんだ。
何気ない体で、周囲に対し、気付かせる。皆に『聞け』と主張する。
ほたるは殊更に無表情になり、見嶺平を見た。
「 うん。何?」
「谷の唯一の生き残りである様は、この壬生に対してどのような心持ちでこの地を訪れたのでしょうか?」
見嶺平の問いに、室内にもピリリと緊張感が走った。辰伶に沿うようにほたるの斜め向かいに立って、顔だけこちらに向けていた紋刀が、体ごとほたるの方に向く。瑳紀も、探るような視線でじっと二人を見つめている。
特に四十万耶は、目の前にいる、表情にあまり抑揚のない・・少し怖いような気がする『ケイコク様』に、今日初めて会ったのだ。いつも穏やかで頼りがいのある辰伶が、特定の誰かに対し激しく動揺し激する様を初めて目撃し、その上、その特定の誰かである『ケイコク様』と辰伶が、『異母兄弟』であるという事実に驚愕し・・・先程から驚く事の連続で、息もつけぬ怒濤の展開に緊張から胸を押さえ、固唾を飲んで次の展開を待っている。
辰伶は。
見嶺平がこういう空気をわざと作る時は、決まって自分の感性の及ばぬ領域に論点が飛ぶ。四角四面で物事を捉え過ぎる、と、意固地な己を振り返り、戒める結果となる事がよくあるのだ。
だから、神妙な面持ちで耳を傾けた。続く見嶺平の言葉も、その後、ほたるから返される言葉にも。
「もちろん、ここを訪ねて来た理由が理由だけに、そういった事はご本人の口から綴られて然るべきなのでしょうが・・・・・・・・・。先程、ケイコク様が辰伶様と久方ぶりの兄弟喧嘩を繰り広げておられた時、様はそれはとても穏やかな表情でお二人を見つめておられました。この壬生に故郷を奪われ、その上でまた、その奪った当人と共に仇の地を訪れた・・・と、その一節で片付けるにはそれはあまりにも、美しい横顔でした。その美しい横顔の、心の中にある覚悟は、一体どういった形のものなのか・・・」
「・・・・・」
「それに、球を巡るこの一連の事件はどうも・・私どもの間のみで片付けられる話ではありません。今日はまだ日も高い。本来なら、このままご本人に詳しく、事の経緯を伺って、速やかに官僚方との緊急会議を開き、今後の方針を決めるべきではと政治的観点からは思います。 ですが、ケイコク様はどうも、ここに到着した今日くらいは、そういった事から様を遠ざけたいとお考えのようですね。さすれば、今宵は軽く宴席などを設けて、と思っておりましたが、ケイコク様帰省の報も、明日までは黙します。それでよろしいですか?」
そうか・・・。
遠ざけたかったのか。彼女にとって、これからこの壬生で始まるであろう、瘡蓋を剥がす様な・・哀しい過去を掘り返す執拗な責め苦に向けて、せめて、今日くらいは、と・・・
箱を開ければ、単純だがとても繊細な結果が待っていた。辰伶は今日、この弟に対し驚く事ばかりで、しかし想いを巡らせてみれば、それはとうに知っていた事のように思う。今回の対象が自分では無い、というだけで、辰伶はほたるのその繊細さに救われた経験がある。先の闘いの最中。殺せなかった異母弟。
こびりついた観念と妄執から解き放たれたあの日 ・・・。
見嶺平の、もうとうに答えの出ている問い掛けに対し、ほたるが低く笑った。窓枠に手を掛け背から半身を預け、少し顔を上に向け、見下ろすように威嚇する。
「・・・・・アンタ、面白がってるの見え見えだよ。オレは蝶々じゃないんだから」
「これは失礼しました。その羽ばたきがあまりにも悲壮な色合いで・・つい手の平に閉じこめたくなりました」
ニコリ、と笑い、なんという事もなく威嚇をかわし、自分を手の平で転がす見嶺平に、さすがに感に障ったのかほたるが眉を顰めて見嶺平を指さし、辰伶の方を向いて更に抑揚を消した声色で言った。
「辰伶、この人ケンカ売ってる」
再度名を呼ばれ、辰伶は何故かほたるのその仕草がとても愛おしく感じ、なんだか自分が今日一日でかなり『弟バカ』になってしまったような気がする、と、心の中で苦笑する。
もっとも、この二人を良く知る者にとっては、辰伶の『弟バカ』はとうにカッチリ構築されてしまっていて、日々更に建て増しされている事もとうに見え見えだったりするのだが。
「見嶺平どの、このままあなたに客室までの道案内をさせると道々物騒ですから、やはりオレが愚弟を客室まで送り届けてきます」
「すみません、ケイコク様との問答は刺激的でつい調子に乗ってしまいます」
ニコニコと上機嫌な顔で二人を交互に見つめ、見嶺平が一歩引く仕草でおどけて見せた。ほたるはプゥッと頬を膨らませ、口の中でブツブツと、そうそう、この人こんな人だった、と、見嶺平を見て不機嫌に呟いている。
と、辰伶が紋刀の方を向き、厳しい顔つきで何事か指示を出した。紋刀は頷くと、一度ほたるの方を向き恭しく一礼して、すぐさま室内を後にした。
辰伶は続いて瑳紀を呼び、見嶺平も四十万耶も沿って傍らに立ち、すぐに四十万耶が紋刀の後を追うように室内から出ようと扉に手を掛けた。が、慌ててほたるに向かい直し深々と一礼し、再度踵を返し慌ただしく扉の向こうに消えた。
瑳紀は自分の机に着き、書面を取り出し、何事か書き付け始め、見嶺平は先程、瑳紀から受け取ったアキラからの手紙をまた1枚目から黙読し始める。
4名がそれぞれ表情を引き締めて職務に立ち返ったところで、辰伶がほたるを促し、二人で静かに執務室を後にした。
「明日の朝までに、あ奴からもらった手紙を会議の文書用として、官僚達に分かりやすくかいつまんでまとめておく。明日、朝食を終えてから彼女と執政室を訪ねてくれ。文書に目を通し、足りない部分があれば会議前に補足して欲しい。・・・頼めるか?」
客室までの道すがら、辰伶はほたるの少し前を歩きつつ、きちんとほたるの方に顔を向け、ほたる達二人に協力を請うた。
ほたるはすぐさま、少し後ろから、うん、と返答を返す。それを聞いてまた、辰伶が続ける。
「過去の襲撃の件に関しても、今の『現状』に対しても、オレも、皆も・・精一杯努めさせてもらうつもりだ。・・そう、彼女に伝えてくれ」
神妙な面持ちでそう告げた辰伶に向かい、再度ほたるが、うん、と返答する。それ以上もそれ以下もない、素直な答えだが それにしても、と、辰伶はほたるを見つめて、考える。
彼の声色とその表情の抑揚の無さはいつもの事だが、人が真摯に話しかけている時くらい真剣に聞く様をその顔元に滲ませたらどうなんだ、と、いつも通りともとれる飄々とした態度のほたるに対し、なんだか軽く不満を感じる。
だが、まあ、それがケイコクの特徴のひとつでもある。今日は色々、ケイコクの兄として奴に対し、思わぬ眼福と、深く感じる事も多かった。まぁ、今日は許してやろう。
などと、辰伶は一人上手で不満を腹の内に収め、むしろ何故か上機嫌に客間への道程へと視線を転じる。弟可愛さ故か、今自分が、端から見れば気持ち悪いほどに喜怒哀楽が激しくなっている事に、辰伶はまったく気付いていない。
「あ」
「?なんだ。どうした?」
声を上げ、唐突に立ち止まるほたるに、辰伶が振り返り何事かと問い掛ける。と、
「そういえば、辰伶達、も、自己紹介もまだだったね。・・・・・・・・・・・・・・・・まぁいいや明日で」
ほたるは、初めてその事に気付いたかというような驚いた表情で言った。そして、そのままその事柄を放り出すようにケロリと後を続けて、あっという間に自己完結してしまった。
そして、客間ってまだ遠いの?などと呟きつつ、とてとてと歩いて自分を追い越していくほたるに向かい、辰伶は呆然と立ち尽くして弟の後ろ頭を見つめた。
ろくに彼女と会話もさせず、逃がすようにさっさと客間に行かせておいて、自己紹介もなにもないものだ・・と、辰伶はほたるの徹底した頓着の無さに、心から盛大にため息をついた。
「?」
室内にその名を呼びかけつつ、客間の戸を淀みなく開けた。
名を呼ばれた当人は、そのまま室内の正面奥に位置する窓際に、ペタリと沿うように座り、ぼんやりと外を眺めていた。現れたほたるに向かい、顔を上げ微笑む。
ふと室内を見渡すと、客間といえど、今の壬生を象徴するような作りだった。装飾は華美にならず、欄間に施された彫り物など、凝ってはいるが無駄の無い作りで、全体に柔らかな配色でまとめられていた。
その空間に、の佇まいはなんとはなしに浮いていた。
警戒心の無さが際立っていた。
もうその地の中央に案内され陣取っている、ジタバタしても始まらないと覚悟を決めているのか、
過去との折り合いが上手く働かず、気もそぞろに鈍くなってしまっているだけなのか。
ほたるは壬生の城下街に足を踏み入れた時から、の感情の流れの変化を、多分その両方だが、偏りはきっと後者にあると強く感じていた。
だから、まずはしっかりと今を受け止めて欲しかった。過去の哀しみに捉えられ、浮き足立つ事なく壬生と対峙する心積もりを持って欲しかった。
一晩あれば大丈夫。元々は強いんだから。それでも、辛くて弱くてダメな部分は、オレが支える。
後ろ手に戸を閉め、一直線にの元へと歩み寄る。と、ストンとそこに胡座をかいて座り込むと、両手を広げてを見た。
「抱っこ」
「え?」
「ホラ、ここ」
ポンポン、と、自分の膝元を軽く叩き、ここに座れとを呼び寄せる。はほたるの直情な仕草に少し躊躇して、困ったように眉を寄せたが、彼がそうやって気まぐれに自分に事をねだるのは、二谷の家に居た時から少しも変わらないので、今回もは、気恥ずかしさに少しだけ頬を染め、だがゆっくりと体をずらし、ほたるの膝に背を向けて座った。ほたるはそんなを後ろから包み込むように、軽く抱きしめる。
鳥の声がする。
窓からの景色と、背に感じるほたるの心地良い体温に促され、はぼんやりと自分を見つめ直した。
旅立つ前、アキラから知り得た情報から、何故、今の壬生が球を狙うのかという新たな疑問が自分の中に生まれた。球を必要としているのがどういった輩なのか、推測も飛んだ。どちらにしても、ほたるとアキラという、この上なく心強い味方を得た今、いつまでも追われる立場でいなければならない理由も無い。心の中で、今の壬生に対し、何故と問い掛けたい事柄を繰り返し算段した。その事に関しては必要以上に力んだ。
本当は、執政室に案内された時も、どんな人が出てくるかとかなり身構えていた。出て来た執政役の辰伶の、ほたるの物言いに振り回される人の良さそうな様に、一気に肩の力が抜けた。そうしたら途端に、その力みを何処へ逃がしていいか分からなくなった。
それぞれの名前を紹介する間もなく客間へと行かされたが、今日はそれで良かったのかもしれない。色々話せば、澱む想いをうまく制御出来ずに、ひどく感情的になってしまっていたかもしれない・・・・。
外の景色から視線を離し、少し腰を浮かせ向きを変え、ほたるの首元に縋り付く。抱きしめるとすぐに、ほたるが自分の背中にするりと手を回して、自分を覆い、包み込んでくれるのが分かる。
「・・・・・・・・もっと、力・・・込めて・・」
「うん」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・もっと・・」
「うん」
ほたるは、分かってくれている。自分が今、とても不安定になってしまっている事・・。
無理をしなくていいと、言ってくれている・・。
力を込めて抱き寄せられると、ひどく安心する。は、ほぅ・・、と、その心地よさに安堵の吐息をついた。柔らかく温かな愛しい人の息吹が、ほたるの耳元をくすぐった。
途端に先程までの殊勝な想いは何処へやら。ムラムラといかがわしい情念がほたるの中に募ってくる。急激に衝動が大きくなる。
「したい」
「 え、ちょ、」
「したい。いいでしょ、我慢出来ない」
「ほたっ・・ん・・・っこ、こんな昼間から・・おいっ!・・っあ・・」
が止める声を無視し、静止の為に自分達の間に挟み込もうとした手を難なく捉え、ほたるはの唇や耳元にキスの雨を降らせた。耳元から繰り返しダイレクトに響く水音が、の理性を壊そうと真っ向から迫ってくる。
・・・と、何かを唐突に思い出したようにほたるはふいに顔をあげ、壁に向かって喋り始めた。
「とりあえず今日中に顔見に行こうと思ってたけど、やっぱ行かない。聞こえた? もうこっち視ないでよ」
がいきなりの事に驚き、ほたるを見上げて問うた。
「?どうした急に。誰に言ってるんだ?部屋の外に誰か居るのか?気配はしないが・・」
「そこには誰も居ないよ。どっか上の方。この壬生で一番の変人。・・明日会えるよ」
「??・・って、オイ!いい加減にしろ!!」
再び自分への愛撫に立ち戻ったほたるに向けて、拳骨を落とそうと拳を振り上げるがやはり捕まり、両手を両手で塞いでしまった。
真っ昼間から何に構うことなく行為に及ぼうとするほたるをなんとか静止しようと、は懸命に怒り、抗ったが、そんなを少しも構わず、手が塞がっているので仕方なく、犬猫のように鼻先や歯での着物の襟元を崩そうとする。
そんなほたるの仕草が可笑しくて、はとうとう声を上げて笑い始めた。そんなが可愛くて愛おしくて、食べずにいられようかと、ほたるはの喉元に舌を這わし、その肉を貪った。
「待ってたのに」
謁見室の椅子で片肘を付き、閉じていた目蓋を細く開けて拗ねたように呟きを零した。
結局待ちぼうけをくらう事になってしまった。それまで壬生の地の上空を覆うように、網の目状に伸ばし飛ばしていた『気』を、すぐさまコントロールし直し、細く小さなものに変化させる。
「・・・・それとも、君に構ってもらえると思ってた私が浅はかだったかな」
紅の王は、ハア、と、苦い微笑を浮かべため息をひとつつくと、諦めたように席を立ち、さすがにもうそろそろお昼寝から起きた頃だろう、と、るるの待つ寝室へと、ゆったりと歩き始めた。
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