『ネット検索』
☆宇田☆


パソコンを入手した当時、
珍しさも手伝って、色んなところを検索して回ってました。
ものすごく大きな百科事典が手元にある感覚でね。
当時は、ホームページも、単に自分の呟きを表現できれば満足というのではなく、
読者に有益な何かを提供しようという気概あふれるムードが主流で、
きちんと出典付きの学術的な記述も多く、結構アカデミーだったので、
タメになることも多かった。
この新しく知った全方位的非緊急知識芋ズル式摂取法にはちょっと夢中になりました。
読書時間を注ぎ込んで、検索しまくった時期もありましたっけ。

暫くして、疑問に思うことだけをメモして、ちょこっと見るという使い方に落ち着いてきました。
理由は、チャットとか掲示板書き込みとかの、ネットならではの
「ハンドルネームという覆面をつけて不都合部分をガードしながらのリアルタイム・コミュニケーション」
が面白くなったからです。
だって、良いことも悪いことも、みぃんなフカシ放題だもんね。
私みたいな妄想過多タイプには格好の遊び場と見えました。

でも、幸か不幸か、そこに何らかの真実は見出せなかった。
いえ、存在しないのではない、皆無ではない、とは思います。
でも、「覆面だからこそ話しやすいはず」という期待過多もあったんでしょうが、
少なくとも私は「ああ、これは」と納得の実感を与えてくれるモノに出会わなかった。
そして、こう感じていました。
  相手の言うことが、嘘か本当か、全くわからない。
  本当だとしても、そのパーセンテージは?
  また、相手にとっては掛け値なしの真実でも、私にとっては丸っきり嘘かもしれない。
  そう思うと、全ては混沌の中にあり、掴みどころが無い。
  まるで話に聞く妖怪ヌエのようだ。
もちろん、こういう「わからない」感覚は、ネットの中だけのことではなく、
いわゆるリアルの世界、物理現実の世界でも持ち得る感慨です。
そして、この「わかってる」とか「わかってない」とかの感覚は、
個人的なもの、即ち、その人だけの思い込み(=妄想)と呼ぶべきなのかもしれません。
いやいや、更に考えれば、
単なる決意表明(=私は「わかってる」としてやっていきます!とかの)でしかないのかもしれない。
そう。全ては欺瞞。
かもしれない。
  でも、
  だからこそ、
  どうせ欺瞞なら、より上手く私を騙してくれる、いわゆる「顔の見える存在」の方が好ましい。
で、私は、そういう存在=人間を相手にしたくなったので、そこから後退したのでした。

今のパソコンの使い方は、使い始めの頃のやり方に近づいてきてます、限りなくね。
リアル友達以外とはめったにチャットもしなくなり、
掲示板も、覗きはしますが、書き込みはほとんどしない。
で、辞書代わりに検索することがまた増えました。
ネットは、そういう使い方の方が有益だし、疲れないし、傷つくことも無い。ラクです。

唯一の笑える誤算は、テトリスタイプの暇つぶしゲームからいまだに足を洗えないことです。
ほんの手遊びのつもりだったのに、
なぜか、らっきょうの皮を剥く猿のごとくムキになってやっている自分がいる。しかも、毎回。
これが止められたら、読書量、月に5冊は増えるはずです。あはあははは…(^^ゞ



あ…、割とシリアスに書いてしまった…。
ま、でも、上のような感じが私の「ネット検索」に対する感慨です。
途中、「リアルタイム・コミュニケーション・ツールとしてのネット」にまつわる話になっちゃってるのは、
ま、ご愛嬌。ご寛恕下され〜。

はい、では、次の御題は、「ネット」からも「検索」からも離れて、「自転車」。
これで行きましょう。ヨロシク〜。




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「ある日花屋で突然に」