辰伶





城内のそこら中に、夕飯の美味しそうな匂いが漂っている。

時刻はもう7時を回っている。
は、いつもなら明日の女官長としての仕事の段取りを見直して、自分の右腕となって支えてくれている副女官長のセツと、雑談など交わしながら自室へと戻っている頃なのだが、今日は、本日付けで退職する女官のお別れ会の席を少しの時間だが設けていたので、仕事を終える時間がいつもより少しずれ込んでいた。
それなら、今日一日の報告もついでに済ませてしまおうと、辰伶の部屋に洗濯物を片付けに行くのを、世話係としての今日の最後の仕事とする事にした。
部屋に居なければ、洗濯物を片付けた後で、執政室を訪ねてみよう。


は、仕事をする辰伶の、背筋に太い筋が一本通った様な、キリリとした姿を見るのが好きだったが、自室で少し肩の力を抜いている様子の穏やかな表情も、もっと好きだった。
いつもならもっと早い時間に、世話係としての仕事は済ませてしまうのだが、今日は少し遅くなったので、もしかしたら帰っているかもしれない。

押し隠していようと思っても、事あるごとにこうやって顔を出すのだから・・・

は自分の果てのない恋心を思い、少し、嗤った。



「入ります」
戸を明ける前に声を掛けたが、辰伶からの返事はない。
少々残念だが、早く仕事を済ませて、執政室へ行ってみよう、と、扉に手を掛ける。そして、扉がほんの少しだが空いている事に気付いた。
おかしい。今日朝訪ねた時はぴしりと閉めて・・・・
    私ではダメなのですか?決まった人が居ないのなら、試しに交際期間を置くだけでも・・」
今にも泣き出しそうな、悲壮な声が聞こえてきた。
若い、女性。


は心臓が止まるかと思うくらい驚いた。辰伶の側に勤めて長いが、部屋の中で女性の声を聞いたのは初めての事だったからである。

いけない事をしている、と、思いつつ、思わず耳を澄ます。
胸が苦しい。
「・・・母には既に断りを入れましたが。オレは今の職務で手一杯なのです。女性と付き合う余裕が無いのです。理解して下さい」
冷静な辰伶の声。
どうやら奥の部屋で話をしているらしい。の声が聞こえなかったのは無理もない。
来客中とあればの声を聞き逃してもなおさらだろう。
辰伶の返答が想像通りのものだったので、少し落ち着いて、冷静に事を受け止めようとする自分がいる事には気付いていた。

中の女性は、ご実家からのお見合い相手か何かだろうか。・・・辰伶様があまりにも素っ気ないので、自分で確認せねば気が済まなくなったのだろうか。

これ以上は、聞いていても自分が空しくなりそうだったので、気付かれない様その場を立ち去ろうとした時、どさっ・・と、人が倒れ込む音がした。
慌てる辰伶の声が自分のところまで響いてきた。
「やっ     やめなさいはしたない!何をするんです!貴女は申し分ないお家柄のご息女、こんな・・」
立ち去ろうとした足がその場に凍り付いた。中で何をしているのだ。
「私は貴方じゃないと嫌なんです!見も知らぬ、年輩の方の妾になるのは嫌です!後生です・・・後生ですから、抱いて下さい・・・!貴方が、好きです!辰伶様・・!」
はばさばさと、手に持っていた洗濯物を落としてしまった。吐き気がする。喉が焼けるみたいに苦しい。

がそこで身動き出来ずに固まったままうずくまっていると、が今まで聞いた事もないような苦しげな響きで声を荒げて、辰伶が言った。
「オレには・・想う人が居るのです・・・・!申し訳ないが・・!」





「そこで何をしている」
気付けば、辰伶が髪を乱して、服も少し乱して、部屋から出て来たところだった。正面からとかち合う。
ははたと、自分が一瞬呆けていた事に気付き、慌てて足元に落とした辰伶の洗濯物を拾い集めて言った。
「・・・洗濯物を届けに参ったのですが、ご来客中のようだったもので・・・」
声が震える。立ち聞きなんてはしたない事をしていた事がばれただろうか。
と、そちらに怯えを持って行こうとしたが、は、気持ちを切り替える事など、とうてい出来そうもなかった。


声が震えるのはきっと、ばれるのが怖いからじゃない。

気付けば中から女性のすすり泣きが聞こえる。

辰伶様は中の女性から逃げるのに成功したのだろう。
だけど、私は、


「来い」
辰伶がいきなり、そのままどうする事も出来ず立ち竦んでいたの手をかなり乱暴に取り、早足で歩き出した。
はそのあまりの勢いに、せっかく拾った洗濯物を2〜3枚落としてしまった。

自分に対し何を言うでもなく、いきなり手を引いて歩きだした辰伶の背中をはきつく睨んだ。
辰伶の心情としては、早くその場から立ち去りたかったのだろうが、何故私まで連れて行く!と、は大声で叫び出しそうだった。
辰伶にきつく握られた右手が痛い。
思えば、辰伶から手を握られるなんて事は初めての事なのに、こんな状況でなければ、きっと嬉しくてたまらない筈なのに、の今の胸中は苦い煙で一杯に曇ってしまっていた。

想う人がいるって言った・・・・!
想う人が居るって・・・・・・!

気付けば二人は、町への出入り口への回廊をひた歩き、門で二人の雰囲気を訝しげに見る門番の視線を背中に感じつつ、壬生の町並みへと足を踏み込んでいた。



「あの・・・」
数10分は確実に歩き続けただろう。は、繋がれた手が少し汗ばんできた気がして、辰伶の手を離したくはないけれど、恥ずかしくて・・・、その繰り返しで、つないだ手の事を言い出すのをためらっていた。
先程まで、ひたすらに歩くという行為は、人を冷静にするものだなあと、はしみじみ考えていた。
手を引かれて歩き始めた時は、胸が苦しくて、叫び出しそうだったのに、擦れ違う人の視線が、自分の息づかいが、だんだんと心に冷静さを取り戻させてくれていた。
自分を先導する辰伶の背中に、やっぱり男だなあ、背中広いなあなど、改めて現実の男を、強く感じさせられている自分。
熱い手の平に、男を意識している自分が居て。
は自分の中の辰伶への気持ちが、もう永遠に忘れる事など出来ないのだ、と、改めて深く思い知らされていた。
たとえ辰伶に、想い人が居るとしても。
そして、その人と結ばれたとしても。


さすがに、町の繁華街と思われる所に足を踏み込んだ時は、夜もこれからという時刻にあって、人混みも激しくなってきていた。
辰伶の後ろを追う形のは、手を繋いだままただひたすらに歩き続ける事が少し困難になってきた様に思われて、少し声を大きくして辰伶に問うた。
「辰伶様・・・!あの、何処まで・・」
の呼びかけに、辰伶はたと立ち止まって、後ろを振り向いた。
辰伶の顔は、少し上気している様に見える。
対するも、歩き続けたせいか、それとも照れからか、頬が赤い。
一瞬、お互いを見つめ合って、どちらからともなく、繋いでいた手をゆっくりと離した。
お互いのぬくもりで汗ばんでいた手の平に、外気が通って、一瞬心細さに捕らわれる。

「・・・何か食べたいものはあるか?」
「は・・え?」
は、思ってもみない事を聞かれて、つい間抜けな声を出してしまう。
辰伶は少しイラついた様に、ため息をついて再度問うた。
「何が食べたいかと聞いたんだ。・・・・もう夕飯時だろう。何か食べたい物があるか」
再度、丁寧に問われて、の心臓が跳ね上がった。

これは・・・・・・?まさかして、もしかして、夕飯のお誘い?ええ?
そんなまさか、何で。自分と?
「あ、あの、なんでも、私は、・・?え?」

はひどく焦った。
今自分の置かれている状況が理解出来ない。
頭がついていかないので、またしても答えはおかしなものになってしまう。
辰伶は、少し考えて、また前に進み出した。
は慌てて追いかけたが、見失うまでもなく、すぐ前の路地を裏手に入る。正面に、のれんのかかった戸口が見えた。ついで、のれんの『何でも屋』の文字が目に入った。
が、そのトンチキな店名に首を捻っていると、辰伶はを促し、ためらいなく戸口をくぐる。
が慌てて後を追い戸口をくぐると、景気の良い店主の声が響いた。
「いらっしゃいませ!あ、これは辰伶様!再度ご来店下さるとは光栄です!お仕事ですか?奥の座敷へ?」


そうしてすぐに座敷に案内されて、辰伶に促されて、お互いの正面に座る格好となった。
辰伶はそのまま、案内してきた店主に、品書きを見ながら色々注文する。
店主はしっかり頷くと、改めての方を見て、ごゆっくりどうぞ、と言ってから、すっと座敷を後にした。
その時になって初めては、辰伶の洗濯物を数枚、持ったままだった事に気付く。今日の洗濯物には確か下着も混ざっていた筈、と、重なった生地の色合いの中に、慌てて下着の色を探した。
が、見当たらない。
という事は、さっき辰伶の部屋の戸口の前で、手を引かれた時落とした数枚の中に、下着が交ざっていた事になる。
は思わず神に祈った。
すすり泣く女に、戸口に落ちたぱんつ・・・・。自分のせいでまた辰伶を今後の噂の的にしてしまったかもしれない。泣く女だけならまだしも、ぱんつ・・・。
洗濯物を抱えて固まってしまったを、出されたおしぼりで手を拭いていた辰伶が不審に思い訪ねた。
「なんだ、どうした。仕事か?今日これから何か重要な事があったのか」
「い、いえ、はあ、まあその、女官長としての仕事はまだ多少残ってはいますが、私がいなくともセツが判断して廻してくれる事と・・。いえ、それよりも、その・・下着を・・・」
「なに?」
はあまりの事に、語尾の方で声が小さくなってしまい、辰伶はちゃんと聞き取れなかったのだろう。すぐに聞き返してきた。
は自分の背中を冷や汗が伝うのを感じた。辰伶が怒るかもと、怯えている訳ではない。
自分のした失態に、辰伶の立場を悪くする様な事を招いたら、と、自分に追い立てられていたのだ。
再度問い返してくる辰伶に、は黙っている訳にもいかず、口を開く。
「あの、下着を、戸口に、落として参りました・・・・」
の告白に、辰怜も一瞬固まった。
すぐさまと同じ様に、下着と、自分が飛び出した後の部屋の状況とを結びつけて考えたのだろう。
それが人の噂となる今後を考えれば確かに気が重くなる話だが、辰伶はのあずかり知らぬ所で、胸中それどころではなかったので、すぐ気を取り直し、店主を呼びつけ、紙袋を持って来させた。
そしてにその紙袋を手渡し、手に持っている洗濯物を袋にしまうよう言った。

は辰怜から袋を受け取り、言われた様に中にしまって傍らに置いてから、すぐさま後ろに下がり、床に手をついて深々と頭を下げて、辰伶に謝罪した。
そして暫くそのままの姿勢で辰怜の返答を待った。
辰伶が自分に対し、この事で怒りを向けたりはしないと、そんなに度量の狭い男ではないと、は知ってはいたが、自分達の立場を考えると、それがどこであれ筋を通すのが、辰伶の世話係を勤めてきたの信念である。
辰怜は、そのの信念を黙って受け取ると、頭を上げて、席に戻るよう促す。
「もとはと言えばオレが無理矢理お前を引っ張って来たのだから、責はオレにある。お前が気に病む事はない」
再度、席に戻るようを促す辰伶に、は更に深く、もう一礼してから座に戻った。
座り直してから、改めて辰伶のほうを向くと、辰伶はの顔をじっと見て、言った。
「いつも、ありがとう」
腰を落ち着けて、じっくりと自分の気持ちを伝える様に言う辰伶に、は少しどぎまぎしてしまい、いえ、そんな、と、まとまらない返事を呟くように返した。
ふと、辰伶が優しく微笑む。
そんな今の辰伶の姿に、は改めて考えさせられてしまった。


女官達の話でもそうだが、確かに辰怜様は変わった。
全体的に、物事に対する受け止め方が大らかになった。
人として、男として、懐が深くなった。
あの頃より、それだけ、魅力的になったという事なのだ。
それにもまして、今、辰怜様は男としても丁度盛りの頃合い。彼女達が声を高くして騒ぐのも無理はない。
まして、こういう時に見る笑顔は、誰でも、とても嬉しいものだ。救われる。


は、微笑んで自分を見つめる辰伶の視線になんだか気恥ずかしくなって、慌てておしぼりで手を拭う。
ふと、先程の、辰伶の手の平の感覚を呼び戻したいという、情念が胸に熱く立ち昇った。
同時に気恥ずかしさも戻って来た気がして、頬が熱くなる。

実は先程辰伶も、おしぼりで手を拭おうとした時、同じ情念に捕らわれて、思う事に体が反応しそうで心底焦っていたのだが、丁度その時にが落とした下着の話をしたので、気持ち落ち着きを取り戻し、ほっとしていたのである。
しかし、がおしぼりで手を拭き、ほんのり頬が赤く染まった様子に気付き、辰伶の視線は再度熱を持ってしまう。

顔を上げたと目が合う。

二人の間に通った空気が一瞬、熱を持った。
が、がまたより一層顔を赤く染めてすぐ下を向いてしまったので、辰伶は今のの気持ちを確認したくて気持ちが急くのを強く感じていた。

座敷の前の廊下を、ぱたぱたと人が走る音がした。
戸が開き、色とりどりの料理が運ばれてきて、机一杯に並べられた。
所狭しと並んだ料理の付け合わせや箸休めに、バランスが悪いほど妙に煮物が多い事には気付いた。
は煮物が好きだった。特に柔らかく煮た野菜を好んで食べた。
そんな自分の好みをハタと思い出し、ちらと辰伶を見たが、辰伶はまたも品書きを見て、店主に更に注文していたので、二人の視線は合わなかった。
は、単にここのお勧めの料理なのだろう、と、思い直した。自分の好きな料理など話した事もないのに、辰伶が知る訳がない、と、自分の納得のいく結論に落ち着いたのである。

「今、食前酒を頼んだ。オレはあまり酒に詳しくないので店主に聞いて、口当たりの優しいのを。お前は飲めるのか?」
「あ、いえ、とても弱いです。でも少しなら・・・」
「そうか」
辰伶は優しく笑って、オレも酒はあまり強くない、と言った。


今日のこの少しの間でも、辰伶とこういう会話をしている時間を、はとても愛しく感じていた。
辰伶も、同様に感じていた。食事に誘うというよりも、有無を言わさず無理矢理さらってくるような事になってしまったが、はまんざらでもない様子だったので、その事がことさらに嬉しかった。
お酒に酔う前に、この空気に酔いそうだ。そう、二人して思っていた。



食前酒はとても口当たりが良く、アルコール特有の、後口のむわっとした感じが少ないもので、は注がれた分はすいすい呑んでしまった。
辰伶が料理に箸をつけてから、も、辰伶の誘いを遠慮なく頂く事にした。
料理は、店の名前の如く、本当に種類が豊富で、こだわりがなかった。和洋折衷、色とりどりで、味付けも申し分ない。煮物もことさらに美味しい。

つい夢中になって、上機嫌で箸を使っていたら、辰伶の手が止まっている事に気付いた。
も慌てて箸を置くと、辰伶が、しまった、と言う様に慌てて箸を持った。
が不思議そうな顔をすると、辰伶は一つ息付いて、そして笑って言った。
「壁は、取り去れないものかな」
は言葉の意味がよく掴めない。首を傾げていたら、辰伶が徐にに向かって頭を下げた。
は驚いて、口の中の物を慌てて飲み込んでから、辰伶に問うた。
「なっ・・どうしたんですか?」
辰伶は顔を上げ、慌てふためくに向かってこう、言った。
「あの時はすまなかった。ひどい事を言った」

そして、は知ったのである。
辰伶と、自分の前に勤めていた世話係の、辞めるまでのいきさつを。
なぜ、女官達の間では『保たなかった』と言われていたのか。
なぜ、自分が来る前、暫く世話係を持たなかった期間があったのか。
なぜ、自分に対して冷たく接していたのか。

「トラウマ・・というのだろうか。親にいらん心労を負わせる事も辛かったが、太白にまで世話を掛けてしまって・・・・いざという時に、まだまだ力の足りない自分が本当に、本当に嫌だったのだ。だから・・あの時・・」
「・・・・・・・」
は黙って話し終わるのを待った。
この人は、今、私にとっても、とても大切な事を話してくれている。
傷になったままの、想い。
「・・・あの時、お前をいたわる事よりも、自分を守る事の方にばかり気持ちが偏ってしまっていて・・。お前はとてもよく尽くしてくれていたのに、それにきちんと気付けない、心の狭い、弱い自分が、お前をひどく傷つけてしまった。あの後のお前の、哀しげに泣き叫ぶ声は今でもよく覚えている」
「やっやめて下さい!そんなの思い出さないで下さい、恥ずかしい・・あのときの私は、私も、自分の感情に手一杯になっていて、辰伶様に八つ当たりした様なもので・・・・あの時は、口汚く・・・本当に、申し訳ありませんでした・・・」
最後の方は言葉にならない。は泣きそうで、嫌だった。
今泣くのは、とても卑怯な気がした。自分が被害者だと訴えているようで。
とても悲しかった、と、示しているかのようで。

気持ちを切り替えなければ、と、そつない動きで今にもこぼれそうだった涙を拭い、きちんと辰伶に向き直る。
今は先に確かめなければならない事がある。
は出来るだけ普通の声の響きで、辰伶に問うた。
「でも、何故今そんな昔の話を?それを言う為に今日誘って下さったんですか?」
すると、辰伶は照れた様にすっと目を反らして言った。
「ああ、いや、今日の事はまあ、今日の事で。謝るきっかけになったという・・。その、詫びとしては何だが、女官長にお前を推薦したのはオレなんだ」
「は?」
詫び?と、は心で繰り返す。
話の展開がよく飲み込めない。
「これで、後ろ盾が無くとも、ここでのお前の地位は揺るぎないものとなるし。・・・世話係の女性が、みな、良縁を探す為にこの職についてるとは思わないが・・実績も、強い後ろ盾になるから・・」
「はあ・・・・・・」

はあまりの事に間抜けな返事しか出来なかった。
今の話を要約すると、辰伶は、自分がよりよい良縁に巡り会う為に、女官長に推薦した。後ろ盾がなくなった自分に対し、泣かせた詫びのつもりで。と、いう事になる。

はしばし、差し出された展開に固まっていた。
つい先程、辰伶は『想う人が居る』と言っていたのだ。
そして、自分に対しては、良縁が見付かれば、と言っている。
この展開では、辰伶は、はっきりと、は自分にとって、自分の中の罪悪感から、他よりは少しは目を掛けている世話係、と、それ以上もそれ以下もない、と、言ってしまっているようなものなのだ。

とかく、辰伶は、不器用極まりない男なのである。
女を喜ばせる話術のセンスなど、皆無に等しいし、自分が言った事で女性がどう感じるか、 それを気にしながら言葉を選ぶなどといった細やかさなど無縁の人物なのである。
当然、今のの胸中など、知る由もない。

辰伶の、を見る眼差しは、やっと、に対し謝る事が出来たという、長年の鬱積から抜け出せる安堵感で綻んでいた。
それが余計にの中の辰伶という男に対し、言いようのない怒りを追い立てる。

先程の話の展開からこんなオチに続くのか!
この男はやっぱりバカだ!

一瞬、つい一瞬、淡い期待を抱いてしまった。
私もそうとうのバカだ・・・悔しい。

どうあっても伝わる事がない私の気持ちが、悔しい。



「それで良かれと思っていた。だが、実は、・・・」
辰伶が何か言いかけたが、はもう何も聞きたくなかった。ついと、食前酒の残りに手を伸ばし、自分のグラスになみなみと注ぐ。それを、一息に飲み干すと、驚いてを見る辰伶に、笑顔でこう言った。
「このお酒はとても呑みやすくて私好きです。もう一本頂いてよろしいでしょうか?」

私はやけ酒なんてした事ないけど、やけ酒ってきっとこういう気分なんだ。

呆気にとられる辰伶を後目には、勢いよく己の手酌酒でガブガブ飲み下していたら、2本目が終わる頃には意識がなくなっていた。





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