アキラ
その時の事は何も覚えていない。
気が付けば、アキラが不安げな表情で自分を視ていた。
球が自分の手の上から独りでに浮いて、壁に吸い込まれた、と、アキラが話して聞かせてくれたが、覚えていないので、何も分からない。
はその後、呆けた状態のまま半ば引きずられるようにその場所から連れ出されていた。
正気に返ったのは地上に戻ってからで、それまではアキラの顔も見ず、声も聞かず、球が吸い込まれた壁に張り付いて、そこから動こうとしなかったのだ。
何を言うでもなく、ただ視線も虚ろなまま、まるで己も壁と一体になるのだと言わんばかりに、ただ強固にそこを離れなかった。
地上に戻り、外の空気を吸い、すぐに、はたと、アキラを見た。
「・・・・あれ?なんでここに?」
散々気を揉ませた後の第一声がこれである。アキラは安堵と憤怒の入り交じった溜息を盛大に、長く、吐いた。
その夜、食事を済ませて床に着いたは、改めて、自分の胸元に無い丸い固まりを気にしていた。
今まで必死に守って来たものが、何処かへ行ってしまった。
心許なさと共に、実は、安堵の想いも強い事を、誰かに伝えたかった。
すぐ隣に横になっているアキラを見ると、こちらを視ていた。気付かなかった。視線を意識する事で、途端胸が激しく波打つ。
は、無言でこちらを向くアキラに少し戸惑いつつも、ぽそりと呟くように、アキラに問うた。
「・・・球、無くなって、ちょっと嬉しいって言ったら怒る?」
すると、がそう伝えたかったのだと、知っていたかのように、すぐに返事が返って来た。
「何故です?怒りませんよ別に。重荷だったんでしょう?」
返事の内容に、その優しい響きに、ほっとする。ついで、考えていた事を口にした。
「・・・・・・うん。・・・・私は、覚えてないけど、元々、球があったその場所に還った・・みたいな感じだよね」
「・・とは?」
「あの場所に球が隠されてあった事は間違いない訳だから、そういう意味で。消えちゃったにしても、場所は、同じな訳だから・・」
「・・・・・」
自分の言った事柄に、アキラは何事か思案している様子だったが、は、どうしてももうひとつ、アキラに聞いてほしい想いがあった。アキラの次の言葉を待たずに話し続ける。
「壬生一族に取られなくて、良かった・・けど、」
「けど?」
「・・・これから、どうしよう」
自分の目的と共に、常に懐にあった緑の球は、今はもう無い。
つい、胸元を再度探ってしまう。そこにあったの「現状」が、急に頼りなく、浮ついたものになってしまった。
瀕死の数矢から渡された、自分にとっては唯一の、育った村の形見とも言える物。
アキラの返事は、実に素っ気ないものだった。ふいと顔を逸らし、自分に向けていた体ごと仰向けになってしまう。
「・・・どうしようもこうしようも、村を片付けたらさんを探しに行くんでしょう?結構忙しいですよ。さあ、早く寝て。明日も働きますよ」
「・・・・・・・」
「・・・なんです?」
「・・・・・・・・・」
自分はこれでも結構真剣に今後を憂えているのに。
アキラの返事が、あまりにも簡潔に、しかし的を射たこれ以上ない答えだったので、はつい憎まれ口を叩きたくなる。
ぷうと頬を膨らませ、自分もアキラに背を向ける様にくるっと横を向いた。そして、聞こえるか聞こえないかの小さな響きで、ぽつりと愚痴た。
「・・・・離さないって・・・言ったくせに・・」
聞こえないように、でも聞こえるように。
返事はいらない。そういう事を、今、絶対したい訳じゃない。
でも、今こうやっていつものように、一緒に横になっているのに、アキラから自分に向けられる「気」が、いつもより冷たい気がして、は何故か少し、いたたまれない気持ちになっていた。
一瞬の沈黙の後に、アキラが少し怒気を含んだ声色で言った。
「・・・・・他の事に気を取られている人を無理矢理こちらに向かせるんですか?」
どういう意味?
は少し、腹が立った。お互いさまだと思った。そして、大して考えもせず言葉にした。
「・・・・・・・・・・・・・・それはアキラだって同じな癖に・・・」
言ってしまってから、固く目を閉じた。言い争いがしたい訳じゃないのに・・!
と、ふいに、暖かい空気がを覆った。
気が付けば、後ろからしっかと抱き留められていた。
アキラの口から、ふう、と、小さく吐息がひとつ。
「・・・そうです。気になっていますよ。あそこでの、あなたの様子がね」
アキラの「気」も声色も、先程と比べとても優しく、落ち着いたものになっていた。
は、自分の覚えていない洞窟での一時の間に、アキラに対し自分が考える以上に心配させていたのか、と、アキラの様子から、改めて理解した。
アキラの苛立ちを、自分の捉えた枠の中からしか理解しようとしていなかった自分が急に恥ずかしくなり、少し縮こまって小さく問うた。
「・・・・・そんなに変だった?」
「気持ち悪かったですよ。ヤモリみたいに壁にへばりついて離れないんですから」
「ヤモ・・言うに事欠いてヤモリって!」
「私の声も、耳に届かなかった」
「・・・・・・・・・」
「腹が、立ちましたよ。すごくね」
「・・・・・って、言われたって・・」
は、アキラのその真剣な口調に、ますます身を縮こまらせた。
アキラにしてみれば、が一瞬でも、自分の事が分からなくなったという現実に、腹が立って仕方がないのだ。必死で声を掛けているのに、自分の手を振り解くの手。
心配、とか、以前に、腹が立つ!
は、アキラの憤りに、どうしていいか分からず、体を捻り、その胸に顔を埋めた。
アキラの匂いを胸一杯に吸い込んで、ゆっくりと顔を上げ、アキラの方を見た。
むうっと、怒った顔をしている。どうしよう。
は勢いに任せて、身を乗り出してアキラに口付けた。
チュ、と、小さな水音が立つ。アキラが一瞬、身を強張らせた。
「・・・覚えてないけど、・・・ごめんなさい」
眉を寄せて、自分を見るの視線。
着物の襟がの胸の膨らみに沿って、少し緩んでいる。
あっちを向いたりこっちを向いたり、忙しくした為に着崩れをしたのだ。柔らかそうな、暖かそうな谷間が覗く。
アキラは、そんなから一気に、自分に向かって立ち昇ってくる色香を、腹の奥に感じた気がして、思わず腰を引く。
は意図してやっている訳ではない。それは分かっている。
だからこそ、困る。
自分は今、怒っているのに!
精一杯毒づいてやろうと思うのに、口元が緩む。
アキラは思わず手で口元を覆った。顔も仄かに赤くなっている。アキラは、暗がりで問答している今の自分達の状況に心から安堵した。こんな顔、見られたくない。
アキラは、んんっ、と、ひとつ咳払いをすると、改めての方を向き、抑えた口調で言った。
「・・・・・とにかく、もうあそこには近寄らない方がいいですね。あなたは気になって仕方ないかもしれませんが、私は近寄らせたくない。なにか、良くないモノを感じます」
「うん・・」
アキラはを、再度、きゅっ、と、気遣うように優しく抱きしめた。
本音を言えば、は明日もあの洞窟に行く気でいた。
何かを探りたい訳ではない。調べる方法も分からない。
ただ、行きたいのだ。何故だかは分からないけど、あの場所に、惹かれる。
だが、アキラの心配をこれ以上増やしたくないと、は素直に返事を返した。
それに、その原因も分からないのに正体を失うのは、自分でも気味の悪い事だ。決して良い事では無いのだというアキラの言い分に完全に分がある。行くのであれば、行かねばならない、アキラも納得する「理由」が無ければ。
「理由」・・・・・あるのだろうか。探すだけ無駄な気もする。
の脳裏に取り留めもなく、色々な事柄が浮いては消え、浮いては消えた。
アキラが、一時の後に再度、軽く咳払いをして、の顔を覗く。
「・・・・、・・」
「・・・・・・・」
「・・?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
見れば、すうすうと心地良さげに、その可愛らしい唇から規則正しい寝息を紡いでいた。
先程の、からの口付けで耳に届いた軽い水音と、その唇の柔らかい感触に、図らずも煽られてしまったアキラが、この先を思案していたその一瞬に、は眠ってしまっていた。
その寝顔は、実に穏やかで、アキラの胸中にある淫らな展開とはかなりかけ離れたものだった。
「・・・・・・はあぁ〜・・・・」
アキラの口から、重たく、甘い、溜息がひとつ、闇夜にゆっくりと広がった。
はたと、周りに気を飛ばす。
いない。何処にも。
「・・・・・また!」
アキラは忌々しげにチッと舌打ちをすると、手に持っていた朽ち木の柱を放り、村長の家のあった場所に向かった。松明などいらない。地下に降りる道は、既に手慣れたものだ。
アキラは石造りの階段を軽く駆け下りると、ほんのり明かりの射すその場所に向かって走った。
「・・!!」
アキラの声は、完全に怒りの響きだ。
が、壁に張り付いている姿が視える。
が作った急拵えの松明の火は、地面に放られ今にも消えそうに不規則に揺らいでいた。その火の作る影が、の体をぼんやりと浮かび上がらせている。
まるで、自分も壁と一体になるのだとでも言いたげに、は壁と密着していた。
怒りに任せてその腕を壁から引き剥がす。凍えきっている。
自分がから目を離してしまったその一瞬から、そんなに時間は経っていない。なのに、完全に血の気が引いてしまっているかのように。
あなたは誰?とでも言いたげな瞳。
自分に向けられるその視線が、アキラを心底苛立たせる。
無言のまま、無理矢理壁から引き剥がし、暴れるを抱え上げ、洞窟を後にした。
これで何度目だろう。
地上に上がった途端、気を失ってしまうの顔を見て、アキラは深い溜息を吐いた。
の顔は、少しやつれていた。
は、球が洞窟に吸い込まれたあの日以来、村を片付ける合間に連日、洞窟に通った。
最初の内は、の不在に気付いたアキラが洞窟に行き、を抱えて地上に戻ると、最初の頃と同じく、はたと我に返り、困った顔をしてアキラを見ていた。
だが、それが続くにつれ、の表情に影が差すようになり、口数も少なくなり、そして、ひどく疲れを訴えるようになった。
食事の量も目に見えて減り、アキラは心配でたまらなくなっていた。
ふと気付くと居なくなってしまうに、アキラは何度となく「もう洞窟へは行くな」と、説教を繰り返したが、はどうも意識してやっている訳ではないらしく、何度話し合っても理解し合えない。気が付いたら、引き寄せられているのだと、真剣に訴えるの表情に、嘘はなかった。
ある夜、を寝間に残し、布団を抜け出して洞窟に降り立ったアキラは、不審な物が無いか、自分にも何か感じられないか、手を使い、気を細部まで飛ばし、持てうる限りの力で内部を隅々まで調べた。
だが、なにをどう視ても、何処をどう調べても、そこにはただの硬い壁がそびえ立つのみで、アキラにはなにも感じられない。
仕方なくその場を後にすると、が眠っている家へと戻った。
そこには、死んだ様に眠り込んでいるが居た。
は、洞窟へ行って、意識を失った日は、必ず布団に入った途端に、ぐったりと眠りこけてしまう。そんな夜が連日続いて、抱き合う事もままならなかった。
アキラは、なんとも言えない、切ない気持ちで布団に潜り込んだ。
そうして、そんな日が連日の様に続き、アキラはに「山を降りよう」と話した。
もうここで得るものは何もない。の体調も芳しくなく、原因はあの洞窟にある事は誰の目にも明らかな事だ。
なのには、もう少し、もう少しだけ、せめて焼け落ちた家の下敷きになっている骸を、ちゃんと葬ってあげたい、と、アキラに縋りついた。
他意が無いのは充分に分かっている。だからこその言葉はアキラの胸に刺さった。
だが、ここに居ればはその内寝込んでしまう。
アキラはに、自分が片付けている間、座って指示を出すだけでいいと諭した。
自分が気にしていても、片付ける場所を変えてしまえば、アキラにはがいつ居なくなったのかすぐには掴めない。
なら、見張っていればいいとでも言いたげに、「提案」ではなく、「命令」をした。
断る事は許さないと、静かに怒気を飛ばした。
はただ黙って頷いた。
ある日、がぽそりと口にした事がある。
以前は、ただ何もかも分からなくなるだけだったけれど、今は、意識を取り戻した後に、少し、覚えている事がある、と。
アキラは作業の手を止めて、の傍に寄り添い、座った。
壁が脈打っている様に感じるという。
躍動感を感じる、と。
生きているもののように、鼓動が聞こえる、と、自分の胸に手をあてて、言った。
足下の地面が、の言葉に答えて身じろぎしたように、少し、震えた気がした。
異変にの顔を思わず視るが、は気付いていない。
惹きつけられる。
自分の中にある、村をこのような終末に導いた壬生一族に対する憎しみや怒りが、壁の静かな躍動と共に自分の中で綺麗な炎に変化していくような気がする。
いずれ迎えるであろう戦いの日へと、その為の力として自分の中で、人ならぬ力が導いているような。
静かな吸引力で、自分の精神を人ならぬものへと蝕んでいくような。
その事は得てして不確かだが、ここにいるとなぜか怒りを淡い喜びに感じる。
もっと怒れ、もっと昂ぶれと、自分の中の激情を誘い出し、煽って、ほかには何も考えられないように ・・・
その話をしている時のは、まるでうっとりと酔っているようで、アキラの中の何かを著しく揺さぶった。
「う・・ん・・」
「?気が付きましたか?」
アキラは洞窟から出て、気を失ったをそのまま抱えたまま、その場に座り込んでいた。
から向けられる不安げな視線に、アキラはの肩口を支えていた手に、きゅっ、と、少し力を込めた。
「・・・、もう限界です。あなたは目に見えて弱っていく。今日はもう、このまま家に戻り、食事をとって、眠りましょう。・・・明日、山を降りるんです」
「・・・・・・・」
視線を外して、返事をしないに、声の調子を強くする。
「無理矢理にでも、連れて行きますよ」
「・・・・・うん。分かった」
断ったら今すぐにでもこのまま山を降りそうな気配のアキラに、少々の名残惜しさが胸をよぎったが、しかし自分も不調を肌で感じていたので、は素直にうなずいた。
アキラは目に見えてホッとした表情をした。
それがの胸を打った。心配を掛けている事は分かっていた。
だが、気が付けば洞窟に向かっている自分を止められないでいたのだ。問答を繰り返しても、どうにもならなかった。
「・・アキラ・・ごめん・・ね・・」
「・・・謝るのなら、早く元気を取り戻して、それからにして下さい。今のあなたでは、いくら言い募ったところで、糠に釘です。そんなあなたは、面白くもなんともないですから」
「・・・・・もう・・」
アキラのいつもの憎まれ口は、やんわりと、だが確実に、の胸に刺さった。
村に来て既にひと月が過ぎていた。
村を離れると約束した次の日の朝、ただならぬ気配をアキラは感じ取った。
まだ完全に日も明けきらぬ時刻。自分の傍らでまだ静かに寝息を立てているを、そっと起こし、外の様子に耳を澄ませる。
村を探って動いている気配。
アキラにはすぐ分かった。人ではない。この気配には、覚えがある。
数人の壬生一族。
に身振りでそこを動くなと言い、アキラがゆっくりと戸口へと向かい、外を伺う。
飛ばせるだけ遠くに気を飛ばし、敵の人数を確認した。今アキラに掴める人数は、四人。
に、捕まえて話を聞き出す、と、そう話そうと思い振り返り、寝間を視た。が、そこに居る筈のがいない。
外に気を散じる余り、中の動きに疎かになっていた。アキラは思わず寝間に駈け戻り、の気配を追うと、そこから裏口に通じる障子戸が開け放たれていて、裏口の戸がキイキイと軋んだ音を響かせていた。
アキラは急いでの後を追って、裏口から飛び出した。
・・・・体が熱い。
動け、走れ、と、誰かが言う。
のスピードは凄まじかった。およそ人間業とは思えない動きで、壬生一族を引き付けて、倒していく。
一人、また一人。
戦いの気配を追いそこに駆けつけたとき、アキラはにわかに、今眼前で起こっている出来事が信じられなかった。
いくら忍の村の出とはいえ、特にひどく修行を積んでいる訳でもないが、竜巻のように舞い、人でない力を持った者をものともせず、軽く切り刻んでいく。
喉元を掻き切られ、音も無く地面に頽れる、の倍はあろうかという見事な体格の男。
はそれに一瞥をくれる事も無く、手に持つ短刀に再度血を吸わせようと次の獲物に向かっていく。
が激しく動くたび、その地に血を吸わせるたび、足元の土が奇妙に蠢く。
草がなびく。
総毛立つとはこの事だ。この気配は一体・・・!
ふいにがぐらついた。アキラは考える間もなくその場に走り出した。
こときれた様にその場に倒れこんだに、残った一人が斬りかかる。
「ガッ・・グ・・!」
瞬間、足元から胸元まで氷が這い上がり、男はカタとも動けなくなった。首元までじわりと冷気が這い登る。
冷気の元は、アキラだった。
アキラは、刀を振り上げたままの状態で半身氷漬けになっている男を、チラと一瞥してから、倒れ込んだに走り寄る。
を抱え起こして、返り血にまみれた顔を覗くと、ぐったりと気を失っている。その顔からは、完全に血の気が引いていた。この一瞬に生気の全てを吸い取られたかのようだった。
は明らかに、超常的な何かに導かれ、ものすごい力を一瞬にして発動させ、そしてその反動で気を失ったのだ。
は人だ。尋常ならざる力に導かれたとはいえ、今の動きは人としての限界を超えている。その反動の大きさは計り知れない。
アキラはそのままを今一度その場に横たわらせると、既に顎の下まで凍りついた男を静かに振り返り、問うた。
「話して頂きましょうか。何故球を狙うんです?」
アキラの声の響きはとても静かで、かえって男の恐怖心を煽った。
「・・おま・・えは、確か、ケイコク様と共にいた・・何故、この女と・・」
「・・・即死にたいのなら、どうぞ。楽にして差し上げますよ」
アキラの纏う冷気が強くなる。男の喉の奥に冷たい空気が忍び寄り、ひゅうと鳴った。
「あっああ!まっ待て!言う!頼むから・・!」
今の壬生は、本来在るべき姿から外れてしまった、と、男は言った。
人に恐れられ、全てのものの遙か頭上に君臨してこそが神。なのに、あの戦いのせいで、全てが様変わりしてしまった、と。
じろりと恨みがましい視線を、アキラに向けた。
壬生の内部が大きく変革した事によって、居辛くなった者や弾き出された者が寄り集まり、一つの望みを持った。
壬生を取り戻したい。あの頃の、栄華の頂点を極めていた、最高無比の、我らが神の世界を。
そんな中、「何事をも思い通りに出来る」という球を収集する為に、人間界に駆り出された事があると、ふと思い出し、当時を語りだした者がいた。みなその男の話に耳を傾けた。
だがその男は内情を詳しくは知らず、ただ、球を手に入れればなんとかなるのだろうという憶測のみだった。上の人間が途中で球の収集を止めたらしかった。だがその理由は、自分達には手の届かない遙か高官が知るのみで、下の者には明らかにされなかったのだと。
皆の頭上を、憶測の上に推測が飛び交った。
残ったのは、ただ、球を手に入れれば何事をも思い通りに出来る力を得るという、虚か実かも分からぬ言い伝えのみ。
だがそれに縋った。信じるしかなかった。
まず、球を手に入れる。そして、球の秘密を知る者が欲しかった。
何度目かの隠された会合の後に、以前、戦いの最中に、壬生が手にしていた球をどさくさに紛れて盗み出した人間の女達が居たと言う男がいた。
細かな特徴やら装束やらを聞き出し、狩りに出た。
「・・・その、人間の女とやらは、捕まえたんですか?」
「・・知らん・・・別・・だ・・わた・・しは、ハァ、月の、里、とかいう人間か、ら、雇われて・・ゲハッ・・ハァ・・」
「・・・・・雇われて?」
「・・・球が、・・欲しい、んだ、そうだ・・球を、手に・・入れ・・てしまえば、ハァッ・・こちらでどうとでも・・画策、出来る・・からな・・話に乗ったんだ・・ハッ・・ハアッ・・その女の、特徴と、この場所を・・・教えて、くれたよ・・ハッ・・・ハアッ、なっ、なあ、もう、全部、話したぞ!頼むっ!」
「・・・・・・・・・・では、今の壬生の上層部は、あなた方が暗躍している事はまだ気付いていない、という事ですね」
「あっ・・ああ・・・・」
「その会合、というのは今も定期的に行われているんですか?」
「グハッ・・ハッ・・い、いや、集まったのは最初の、頃、だけで、・・今は、大きな動きが、あっ、あれば・・ハアッ・・伝令が廻る事に・・なっている・・・」
「誰から?」
「知らん!ッ・・本当だ!」
「・・・・・・」
ピキキ・・と、音を立てて男の顔半分を氷が這い昇る。男は蒼白の顔をより引きつらせて叫び声を上げた。
「ヒッヒッ!やっ・・・ほっ、本当に知らないんだ!!本当だ!!変な黒装束の使い走りが来るんだ!それに従って動いているだけで・・」
「・・・命令系統にいるのは、誰です?知っている名を全て、吐きなさい」
「ほっ!ほ、本当に知らないんだっ!たっ頼む!助け・・!」
「・・・・・・・・・」
アキラは暫く男の表情を伺い読んでいたが、男の様子から他に何も聞き出せない事を知ると、徐に男に背を向けて、の元に向き直り、横たえているの体を抱えて立ち上がった。そして男の脇をすっと通り過ぎ、背を向けたまま、通る声で、静かに言った。
「ここで永遠に、凍っていなさい。あなたは、墓碑です。ここの村人の、ね・・・」
「ヒッ!ヒイィッ!ッアッ・・ア ・・・・」
言うが早いか、アキラの体から発せられた冷気と共に、男は頭の先まで凍り付き、一瞬で、ただの塊となった。
「・・・・」
気を失ったままのを抱えて、洞窟の奥へと歩を進める。
祠の前まで行き、球を吸い込んだ壁を見つめた。
やはりアキラには何も感じられない。 ただ、今日は少し、壁から血の匂いがした。
アキラはそのまま無言で、その場に背を向けた。そして洞窟の入り口へとゆっくりと歩く。
アキラが歩くそばから、氷の塊が壁を伝って、昇っていく。
入り口に辿り着いた頃には、洞窟の壁は氷で覆われていた。
入り口から少し離れた階段の先に、を降ろし、優しく寝かせると、アキラは洞窟の入り口の前に戻り、立った。
ヒュッと軽く息を飲む音がしたかと思うと、目に見えぬほどの速さで刀を抜き、その眼前で十字に振るう。
アキラが刀をゆっくりと背にしまうと、ピシ、と氷の壁が音を立てた。それを合図に、洞窟が凄まじい音を立てて崩れ始めた。
一瞬後には、洞窟はただの土と石の固まりとなり、土塊とチリがキラキラと氷のかけらの上に散った。
アキラは無言のままで、を再度優しく抱き上げると、階段を昇り、いつも眠っていた家へと向かった。
を囲炉裏の近くに寝かせ、火を興し、湯を沸かした。
ゆっくりと、返り血が滴る着物を脱がしていく。徐々に露わになっていく白い肌に、血が擦れて模様の様に広がっていく事が我慢ならなかった。
やがて湯が沸くと、アキラは手拭いに湯を浸し、それでの体を清めてやった。だが、は目を覚ますどころか、完全にぐったりとしていて、呼吸がいつもより不規則に、粗い。
アキラはその血の気の引いた青い肌に、少しでも生気が戻ればと、少し力を込めて拭った。
そうして、血しぶきにまみれたの体を、やがて綺麗に清め終わると、家の行李の中にあった着物を一枚取り出し、ゆっくりと着せてやった。
ふと、アキラが差し込む光の気配に気付いた。既に日は高く昇り、今日が晴天である事を告げていた。
はぐったりとしたままだった。まだしばらく目を覚ます気配はない。
その額を優しく撫でて、アキラは山を降りることを決めた。
荷物をさっとまとめると、を抱き上げ、静かに村を後にした。
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