ao04cm
アキラ
が目を覚ました時、アキラは傍にいなかった。
どこかの宿屋の一室。体を起こそうとするとひどく軋んだ。力がうまく入らない。諦めてまた横になる。
そのままぼうっと意識を彷徨わせる。
三人も、人を殺めた。
自分が。
鼻孔の奥から蘇る生々しい血の匂い。
村に来た壬生一族を殺していた時、の意識は遠くにあった。
ひどく遠いところから、自分を冷めた目で見ている。そんな感じで、一瞬が通り過ぎた。
なにか凄い力に引き寄せられ、操られるように動いていることは理解していた。
だが、それを止めようとは思わなかった。
憎い壬生一族。
ただその感情のみがを支配し、意図的に体を自由にさせた。
返り血が肌に心地よかった。その時は。
怖い。今はただひたすらに、その時の自分が、感情が、恐ろしい。
は力の入らない手で、自分を抱きしめた。
「・・・」
静かに襖が開き、手桶を持ったアキラが入ってきた。中に水が入っているのか、そのまま静かに枕元へと歩み寄り、腰を降ろしてを見つめた。
「・・・・気分はどうですか?」
優しく微笑んで、を視る。が少し青ざめているのが分かった。冷や汗が浮かんでいる。
「・・・・アキラ・・・私・・・」
「五日も眠ったままだったんですよ。・・・・目が覚めて、良かった。今日目が覚めなかったら私はある人を探しに出なければならないところでした。・・・その人にはなるべくなら会いたくないんですが」
苦笑しながら言い、手桶から濡れた手ぬぐいを取り出し、優しく顔をぬぐってやる。
冷たさが肌に心地いい。
はその心地よさに目を閉じて、ぽつりと問うた。
「・・会いたくない人?」
「・・・その人は絶対、私とあなたの事を色々と詮索し、私をからかい、困らせるからです。・・・・四聖天の一人です。特別な力を持っているので・・・その人なら、ほかの誰に出来なくとも、あなたを闇から救い出す事が出来るはずですから」
「・・・・・・・・」
「・・・目が覚めて、良かった・・・」
アキラが再度言う、その言葉の響きから、にもアキラの深い感情の揺れが感じられた。
「・・すごい、心配してくれたんだね・・嬉しい・・」
は、ただ素直に喜びを感じた。そしてそれを言葉にした。
のその様子に、アキラはが戻りつつある事に確信を持った。そして、それに心から安堵した。
「・・・・・抱きしめても、いいですか?」
初めてをその両腕に抱きしめた時の様に、アキラはに問うた。
だがその時とは明らかに違う感情が、アキラを支配している。
は、そう言われた事にとても嬉しそうに微笑み、横になったまま両手を広げた。
アキラがゆっくりとの上に覆い被さり、背に手を回し、抱え込む。
一度、少し力を込め、そうしてからゆっくりと顔を上げ、の方を向くと、少し上気した目元で、を視て、呟く様に、言った。
「・・・・あなたが、好きです・・・・」
「え?・・・アキ・・」
アキラに問うの呼びかけは、アキラの唇によって塞がれ、音にならなかった。
「大丈夫ですか?」
月もしっかりと昇り、夜気の漂う暗がりの中、行燈に火を入れながらアキラがにそう問うた。
その日も、「もう春も終わるよ。夜も充分に暖かいよ、野宿も大丈夫だよ」と言うをアキラが強引に推して、旅籠の一室に辿り着いたのは、もう深夜近くになってからだった。
病み上がりには夜露がよくないんですよ。
何日眠り続けたと思ってるんですか。
ちゃんと目覚めたのは奇跡ですよ。そう思って養生しなさい。当然の事です。
アキラは毎日のように、にそう説いた。
にしてみれば、五日間の眠りから目を覚ましてから毎日、アキラに言われる様に養生してきたお陰で、最初はなかなか喉を通らなかった食事も、もう充分に摂れているし、体ももうなんともないと言えるほどに回復していた。全力疾走だってふらつかずに出来る。
アキラが視て、それが分からない筈が無いのに、毎日強固に野宿を避けた。
連日の宿泊まりでは、銭が続く筈も無く、アキラは一度を宿に置いて、賞金稼ぎに行った事があった。
それでも夜は暗くなる前にきちんとの元に帰って来て、片時も離さないで眠りにつく。そうして、朝、街並みが賑わい始めると出掛けるのだ。そうして、八日ののちに、アキラは、2人がひと月は楽に豪遊出来るほどの大金を手に帰って来た。
それだけの賞金首をたった八日で見付け、体には傷一つ無かった。
が長い眠りから覚めたあの日以来、早やひと月ほども過ぎ去ろうとしていたが、まるでそうする事が2人にとって当たり前のように、は毎日、アキラに過保護なほど庇われ続けていた。
「ふう・・」
が腰の荷物を外し、部屋の中央に並んで敷かれた布団の上に寝転がり、大きく伸びをしてから、ひとつ息を吐いた。
行灯に無事火が入ると、アキラも背の荷物を解き、枕元に置いてを視た。
「疲れましたか?今日はよく歩きましたからね」
「よく歩いたって・・・言ったって・・繁華街を街から街への距離ほどしか進んでないよ」
「さんの事を探りながらですから、進まなくても当然です。返って人混みの方が疲れるんですよ。知っていましたか?」
また気遣ってくれている。仕方がない人だ、というような表情で、ごまかしている。
アキラとのそういったやり取りは、このひと月余り、連日の事だったので、にはそれがすぐ分かった。
は、戸惑った顔をしてアキラに言った。
「・・・・・アキラ、私、もう本当に大丈夫だよ。お金ももったいないし、何よりもう、野宿しても全然大丈夫な暖かさだよ。だから・・」
「警戒の意味もあるんです。彼らは目立つ行動は避けているようですから、人が多い方が表立っては襲って来れないでしょう」
「それは・・そうだけど・・」
は、自分が何かに引き出された力を使い果たし、気を失っていた時、アキラが残った壬生一族の一人から色々聞き出した事は聞いていた。
アキラは、あの時ちゃんと月の里の男を始末しておけばよかったですね、と、笑って言った。
笑い顔は、何かに囚われ、引きつっているようにには見えた。
は、聞き出した話の内容を深くは問いたださなかった。アキラが言わないのなら、今聞くべきでないと言う事だ。アキラの中できちんと考えがまとまるまで、素直に待つ事にしていた。
そして2人は、今後の道行きを、壬生に決めていた。
アキラが顔見知りだという壬生一族の現幹部の人物が、今こうやって暗に動いている一族の者がいる事を知らずにいる様子なので、その人物に現状を教えに行く為に、である。
「しっかり喝を入れてやらねばなりませんからね」
アキラは、彼定番の、意地の悪い含み笑いで言った。
は、このアキラに喝を入れられるその人を、ちょっと気の毒に思った。
ふいに、の方を向いて、アキラが言った。
「それより、この宿は深夜でも露天風呂を開放しているそうですよ。家族風呂、とかいうのもあるそうですから、一緒に、入りますか?」
「え?!」
「クスッ・・・冗談ですよ」
いつもの様に、顎に手を当てて、笑う。
は少し、腹が立った。
「・・・・・口付けも、くれないのに、そんな冗談は当たり前に言う・・」
の言葉に、アキラが途端に心許なげな顔をする。
「それは・・」
「・・意地悪・・もう、寝る」
は浴衣にも着替えず、そのまま布団に潜ってしまった。
口付けをしたら、自分が止められなくなりそうで怖かった。
アキラの中に、このひと月余りの間、と早く結ばれたいと想う気持ちは、常に、強くあった。だが、一旦解き放たれてしまうと、その行為に果てしなく夢中になりそうで、病み上がりのの体をひどく貪るが故に、歯止めが利かなくなり、そのまま壊してしまいそうで、それが怖くて、いつも傍らに寄り添うに、どうしても手が出せなかったのだ。
が死ぬかもしれない。
自分の前から、このまま消えてしまうかもしれない。
死はいつも自分と共にあった。
今更その事柄をどうこう言う気もない。ただ。
を失った、その後に。
自分がどうなるか、想像もつかない。
余りの苦しさに、体が震え出す。
それ程に、五日間、眠りの世界を彷徨っていたとの、果てしなく長く、待つしか出来ない辛い日々の事は、アキラにとって、根深く重く、胸に残ってしまっていた。
「・・・・私は、・・・」
「・・・・・・・・」
「・・・お風呂に、言って来ます。眠れるようなら、寝ていて下さい。・・・おやすみなさい、・・」
「・・・・・・・・・・・・」
は返事をしなかった。アキラは、刀と、宿が用意して枕元に置いていた浴衣と手拭いを持って、を残し、部屋を後にした。
廊下の脇にある、仄かに小さな行灯がアキラを導く。
さすがに深夜という時刻のせいもあってか、宿の中は静まり返っていた。近くに繁華街があるせいもあるだろう。夜はこれからだと、元気のある衆は遊びに行って不在なのだ、と、アキラは思った。
狂も、梵も、ほたるも。こんな時は宿に居なくて。
灯は、・・・時々一緒に居てくれていましたね。私の為に。
ゆやさんやトラと行動を共にするようになってからは、夜はいつも一緒でした。
・・・・懐かしい。
急に、懐かしい面々が強く思い出されて、アキラは胸に浮かぶ彼らの顔に、強く郷愁の念を感じた。
アキラは、ここで初めてハタと思い至った。廊下の真ん中で立ち止まる。
自分の故郷は、人なのだ。
大切な戦友。大切な、仲間。
彼らの一人一人が、自分の故郷なのだ。
改めてそれに気付き、やんわりと微笑った。
その後、フッと、の顔が胸をよぎり、アキラは、と自分の事を、とても静かに、願った。
にとって、自分はそうなれないだろうか。
私の中で、は、もう、かけがえのない、たった一人の女性・・・
離れることなど考えられないし、考えたくも無い・・!
お互いの魂の、帰る場所になれれば・・・・私は・・・
切なげに零れた吐息が、傍らにあった行灯の火を、優しくくゆらせていた。
カラララ・・と、「男湯」と暖簾の掛かった引き戸を引いてみる。
中には誰も居ない様子で、辺りを見回すと、廊下を少し歩いて向かいに「家族風呂」と暖簾が掛かっていた。
興味本位で行ってみると、鍵は掛かっていず、空いていた。宿屋の人の好意で、部屋の支度をする間にと、遅い夕食を頂いた時に、「家族風呂に入る際は鍵を掛けて下さい。それが使用中の知らせになります」と聞いていたのだ。その言葉からいくと、今は不在、という事だ。
中を覗くと、脱衣所は狭いが、風呂は大人3人はゆったりと入れる広さだった。全面に自然の岩を使用していて、子供が駈けるとボコボコとした足場は少し危険だが、大人が入るにはなんら支障はない。何より、眼前にぽっかりと浮かぶ荘厳な月。この風情の良さは、アキラの感性を完全に捉えてしまった。
誰もいない。この時間なら、一人で使用しても迷惑には決してならないでしょう。
アキラは改めて脱衣所に戻り、手早く着物を脱いだ。鍵を掛けようとして、止めた。
・・・・・何を期待して。
自分のしている事が、少し滑稽に思えたが、まあいい、と、特に囚われず、そのまま風呂に入った。手桶で掛け湯をして、ゆっくりと湯船に浸かる。肌に感じるあまりの心地よさに、深い吐息が長く、眼前の湯気を浚っていった。
静かだった。聞こえるのは、自分の呼吸と、少しの水の音。
繁華街から届く喧噪も、邪魔になる程に大きくはなく、大して気にならなかった。
そういえば、夫婦で旅行に使う常連さんが多いんですよ、と、含んだ微笑みで仲居に言われたのだったか。
私には生涯縁のない事のような気がしていましたが、・・・・
アキラは、こんこんと胸に湧く、とのこの先の日々へ、想いを馳せた。
カラ、と、戸の開く音がする。
アキラは、気付いていない。
ピシャン、という水の跳ねる音が、自分のすぐ背後でした事に気が付いて、アキラは慌てて振り返った。全裸のがそこにいた。
手拭いで前を隠すでも無く、産まれたままの姿を月の光に晒していた。
「・・・ッ!!」
アキラが驚いて、慌てて湯から立ち上がった為に、激しくバシャッ!と湯が跳ねる。
だがそのままアキラは、自分の男根を隠すのも忘れて、月夜に照らされたの体に魅入ってしまった。
仄かに浮かび上がるの体の滑らかな線。
緩やかに曲線を描き、その先には、豊かに張った膨らみが、緊張のせいか激しく波打っている。
自分が血しぶきを清めてやった、今にも消え入りそうな青白いの体は、もう何処にも居ない。
今は、春の香りを全身に纏い、薄く、桃色に色づいている。
雪の山小屋で視た時とは、また少し違う気がする。 何故だろう。あの時より、更に、女性らしく、丸く、全てのものを惜しみなく包み込むような、包容力と存在感を、強く、感じる。
が赤い頬をして顔を反らしたので、自分の醜態に、はっ、と気付き、慌ててに背を向けて首まで勢いよく湯に浸かる。また、バシャッ!と湯が跳ねた。
「・・!驚かさないで下さい!一体・・・!」
首まで染まった赤い顔で、アキラが慌てて叫ぶように言うと、が消え入りそうな声で答えた。
「・・・・男湯、覗いたら服が無かったから、もしかして、と思って・・・」
アキラは、言われた言葉に驚いて、だが顔はから背けたままで、低い声で問うた。
「・・・男湯、行ったんですか?」
「誰も、居なかったよ。時間、遅いし・・」
そういう問題ですか・・!と、アキラは怒鳴りそうになったが、がそれに先んじて言った。
「・・入って、いい?」
「そ、れは・・そこに突っ立っていても冷えますから・・」
言われた事柄に、うっ、と、怒鳴ろうとした声が喉の奥に詰まったが、何とか平静を装う事にした。が、あまりに急な事に、どうにもつっけんどんになってしまう。動揺はその声色に全て現れてしまっていた。
アキラは少し場所をずらし、がゆったり入れるように隅に寄った。
が、アキラの使った湯桶で、掛け湯をする。バシャ、と、石畳に湯の落ちる音がした。それと共に、熱っ、と、小さく小声で訴えた。
チラと、がアキラの様子を伺うと、アキラは向こうに顔を反らしている。表情が分からない。
・・・・怒ったかな・・急に、こんな事したから・・、でも。
はぐっと息を呑み、出来るだけ静かな声でアキラに問うた。
「・・入るよ?」
「・・・・・どうぞ」
受け答えは、至って静かだが、2人ともその胸中は激しく高鳴っていた。
チャプン、と、優しい響きと共に、湯に波紋が広がる。
「あっ・・・つい・・・アキラ、よく平気だね・・うはー・・・」
が湯のあまりの熱さに、つい子供の様に震えた声を上げた。その響きにアキラの口元から思わず笑みが漏れる。
「ずっと突っ立っていたから体が冷えてるんですよ。すぐ慣れます・・・・」
の無邪気な感想に思わずいつものように返事を返したが、自分で言ったその一言で、先程のの全身が脳裏に鮮やかに蘇り、体が冷える程に見つめ続けたのは自分だった、と、恥ずかしさの余り激しく自分を責めた。
取り戻しかけた平常心は、また何処かにいってしまった。
一時、沈黙が2人を支配した。
「・・アキラ、怒ってる?」
が、口火を切った。アキラが、ふう、と吐息を漏らす。
「・・怒ってなど、無いですよ。何故、そう思うんです?」
「・・だって、・・」
「・・・・・・」
アキラは、自分に対し以前の様な口付けをくれなくなっていた。
でも、大事に思ってくれているのは分かる。それこそ、腫れ物にでも触るように。
焦れたが口付けをせがむと、優しい、触れるだけの口付けをくれる。やんわりと。
そしてその後に、きゅっ、と、口を引き締めて、伸ばした手をすぐ引いて、隠す。
求めているのは、自分も同じなのに。
どうすれば。
どうすれば、包み隠さず、自分の中にある気持ちを、伝える事が出来るのだろう。
「・・・もう、本当に大丈夫だから・・だから、・・その・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・・アキラ、あのね、・・・・」
言葉が続かない。
言い出そうとするといつも、どうしても、もうひとつの結果が胸をよぎり、言葉を紡がせるのを引き留める。
アキラは、拒んだりしない、と、思う。だから来たのだ。・・・・・だけど、もし、もしも、全てが自分の勘違いで、思い違いで、
もしも、本当は否定しているのだとしたら。
・・・・・・滑稽な事だ、と、ふと、は思った。自分はもう、こんなにも踏み出しているのに。
お互いに、すっ裸で、湯に浸かり、同じ月を、目の前にしている。
クス、と、笑う。と、アキラも、同時に笑った。
え?と、戸惑った表情でを視る。
「・・今、・・・同じ事を、考えましたか?」
も驚いてアキラを見るが、すぐ微笑んで、アキラに答える。
「うん、多分・・」
答えを聞いたその少し後に、アキラも、微笑った。
「はいつもそうですよ。ズカズカと勢いよく人の懐に踏み込んでは、滅茶苦茶に荒らして、子供の様に無邪気に笑っている」
「ええ?そ、そんな事」
「そうですよ。私はだいぶんあなたに振り回されて。今だって、いくら深夜で人が少ないだろうと見越したからといって、男湯を覗くなんて・・・考えられません」
「・・・じゃあ、もし私が女湯で、キャーッて叫んだら、アキラ、助けに飛び込んで来てくれないの?それと同じだと思うけど」
「激しく、違います」
「・・・違わないもん」
「違います。全然、激しく、まったく、違っています」
「・・・・・・熱い。やっぱり熱いよ、ここ」
「・・話を反らさないで下さい」
「だって熱いもん。気付いてた?アキラ結構長湯なんだよね」
「ええ。お風呂は好きですよ」
「・・知ってた?お風呂好きな人って、甘えんぼなんだって」
「はあ?」
「お湯がね、包み込む感じが、母親の胎内と似てるから、意識せず求めてるんだって」
「・・こじつけてますね」
「うん。嘘だもん」
「・・!!」
「あっは・・!アキラの顔・・!」
「・・・・本当に、もう・・」
楽しい、と、2人は思った。
こんな時間が、ずっと、続けばいいのに。
そんな問答を繰り返しているうちに、は、どうにも湯が熱く感じて、たまらなくなって来た。アキラの方を向いて、名残惜しげに、言った。
「・・・・アキラ、私、のぼせそう」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫。・・先に、上がる、ね」
「・・・・・ええ」
アキラの返事も、の体調に対する気遣いと共に、少しの名残惜しさが感じられた。
はその事がじんわりと嬉しかった。入ってよかった、と、思った。
ぼんやり考えながら立ち上がると、ふいに湯の中にある、足の下の少し突き出した石に躓き、転びそうになった。
「あっ・・」
「え、あ!」
立ち上がるから顔を反らしていたアキラだったが、ぐらついたに気付き、慌てて立ち上がり、の腕を掴み、胸元に引き寄せて、支えた。
「ごめ・・ん・・」
「・・いえ、大丈夫ですか?」
アキラの手が、の腕を掴み。
もう片方の手で、腰を支え。
密着している部分に、気持ちの全てが集中するようで、2人はお互いに、視線を合わせる事に、しばし躊躇した。
ぴしゃん、と、2人の体から伝っては落ちる、水滴の音が響く。
は、ふと顔を上げ、アキラの体を見た。
月に照らされたアキラの体。
その優しい表情と、着物の上からではおよそ想像も付かないほどの、逞しい筋肉が胸にも腕にも、余すところ無く張り付き、脈打っている。
だが、静と動の均整が取れている、とでもいうのだろうか、決して押しつけがましくもなく、強さを強調するでもなく、ただ、静かに存在を示していた。
鼓動を打つ胸板の上を、緩やかに雫がこぼれ落ちる。雫が伝う先には、無数の傷跡。昔の傷みを彩るように、湯に火照らされて紅く浮き上がっていた。
は、す、と、手を伸ばし、指先でそれを辿ってみる。アキラの体に甘い痺れが走る。少し、眉を潜めるのがの視線の端に映った。
「・・痛いの?」
「いえ・・もう、痛くは・・・」
は、そのまま視線と共に指先をついと上げ、興奮で尖っているアキラの胸の先端に触れた。アキラが息を呑むのが分かった。呼吸が荒くなる。
それは、も同様に ・・・・
「誘ってるんですか・・?私を・・」
「・・うん・・」
抱かれたい。
強い、欲情が体を駈け昇るのを感じた。
熱で火照らされ、潤んだ瞳でアキラを見上げると、アキラの顔も、興奮で上気している。
「・・・・・アキラ、私、あなたが・・」
が言うより先に、アキラがその唇を口付けで塞いだ。強く、激しく抱きしめるアキラの腕が、にはとても熱く感じられた。
ふいに、口付けを解いて、を視る。
「・・好きです・・・・・・・」
アキラは、高ぶった自分を、隠すつもりは、もう、無かった。
気持ちのままに、強く、腰を押し付け、足を絡め、アキラは、自分がどんなにを欲していたか、どんなに、激しく求めているか、全身で伝えていた。
は、微かに震える手を、アキラの背に回し、腰を撫でた。アキラの肌の熱さが、緊張した手の平に伝わる。それが、の心にじんわりと、心地良く染みた。
「・・・・・・・ん・・・」
眩しさに気付き、ゆっくりと重い瞼を開ける。目の前に、アキラの顔があった。
「・・・・・・・・・・」
ぐっすり眠り込んでいるようだ。あんまりにも無防備で可愛い寝顔を、障子越しの柔らかな日差しに惜しげもなく晒していて、はつい見とれてしまう。
そう、雪の山小屋で初めて見た、あの時の寝顔も、こんな感じだった。
いつ起きるのかと、じっと見つめていたけど、規則正しい寝息がその眠りの深さを示していて、起こさないように、と、そっと抜け出したのだ。
違うのは。
今、アキラもも、何一つ身に纏っていないという事。
「・・・・・どうして、こんなにも、穏やかな気持ちになれるのかな」
は、ぽそりと、誰にともなく呟いた。
アキラの寝顔を見ていて、思う。
昨晩、アキラは、最初、夢中になりそうな自分を抑えるのに必死で、何かする度にを気遣う言葉を掛けていた。
声の響きに熱が籠もって、苦しそうだった。
怖くなかった、と言えば、嘘になる。
初めての行為に、そして、初めて見た、そそり立つモノに、思わず、腰が引けた。
でも、アキラの顔を見ると。
全てを知っているようで、なのに、とても不安げで。それがとても不思議だった。
好きだ、という、同じ想いを、お互いに共有するという事。
その事がこんなにも、自分を安心させるものなのだ。は、改めて、アキラの顔を、じっと見つめた。
「・・・・・・アキラ・・・ずっと・・」
その先を、くっと飲み込む。言っていい事なのか、悪い事なのか、には検討もつかない。
は、アキラの事について、知らない事の方が多いのだ。
この一件に決着が付いたその後も、自分に縋られる事が、付きまとわれる事が、アキラの先行きにとって、どんな影響をもたらすものなのか、当のアキラでなければ、計る事など出来ない。
ずっと、一緒にいたい。
いても、いいのかな。
知らず、涙が溢れてきた。もう、かけがえのない、たった一人の、愛しい人なのだ。
離れるなんて、想像もつかない。考える事もしたくない。
「・・・・なんて顔、してるんです・・?」
寝起きのゆったりとした声で、アキラが言った。
「おっ、起きたの?ごめっ・・起こした?かな?」
が焦ってゴシゴシと目尻を擦ると、アキラが至極ゆったりとした動きでの手を押さえた。眠そうな声で窘める。
「・・・擦るのは止めなさい・・痕になったらどうするんです・・・・もう・・」
そして、その手でを自分の胸元に引き込んで、ふう、と、息をついた。
「・・・体は、大丈夫ですか?」
「う、うん。・・大丈夫。至って元気、です・・」
「・・なら、良かった。・・・また先を越されてしまいましたね。は朝が早い。私も早い方の筈なんですが・・」
アキラの声色は、まだ眠そうにぼんやりしている。は慌てて謝った。
「ご、ごめんね。起こすつもりじゃ・・」
「・・・・・なに、考えてたんです?」
「え?」
「今・・・・」
今。
ずっと、一緒に、と。
言えない。今は、まだ。球の件は、ちゃんと片付いた訳じゃない。
道中、何があるかも分からないのに、もし、もしも、離れて行動しなければならなくなったりすれば、・・・・・アキラの、足かせにはなりたくない。
今までだって、充分、重荷になってた。
は、出来るだけ自然に、笑顔を作った。
「・・な、なんでも・・あくび、かみ殺してて、変な顔になっちゃった」
何気ないフリで、先程言い掛けた言葉の続きを、心の奥に、ぐいっと押し込んだ。
「・・・・・・・・・・」
アキラは、何か変だとも感じたが、深くは追求しなかった。共に居れば、いずれ分かる事だろう。そう、思った。
「・・確かに、変な顔でした・・」
フッ、と、笑った。は、アキラに憎まれ口を叩かれた時に見せる、もう、という顔をして、睨んだ。アキラがまた、クスクスッと、楽しげに笑った。
触れ合っている、の柔らかい肌の温もりに、アキラはだんだんたまらなくなって来ていた。
は心地よさげに自分の腕に収まっている。
今日は、何も考えず、このままと2人でいたい。
アキラは、今、自分の中に芽生えた願いを、即座に口にした。
「・・・・・今日は、ここでゆっくりしませんか?」
「出掛けずに?いいよ」
弾けたようにけろっとした返事が返ってくる。が何も気付いていないのは分かっている。言葉の奥に含んだ想いも。
だが、もう、気付く筈だ。
「・・・じゃあ、このまま、」
「うん。なあに?」
気付かない。
らしいといえばそうですが・・・なんだか憎たらしくもありますね。
私がこんなに高ぶっているのに・・・・。
「・・・そんな邪気の無い顔で見上げないで下さい。私が今考えている事を、言葉にしないと、分かりませんか?」
アキラが少し赤い顔をして、口をへの字に曲げると、の頬を撫でる。
「・・あ!え?あ!」
勢い、思わず体の隙間から下を覗いてしまうの顎を、慌ててくいっと掴み、上を向かせる。
「・・だからって勢い良くそこを見なくてもいいんです!」
「あ、ご、ごめん・・だって・・」
「・・・・ほんっとに、もう・・気が削がれるという言葉を、知ってますか?」
「う・・削がれた、の?」
「・・・・・・・」
心配そうにアキラの顔を見上げるに対し、アキラは意地悪く無言でそっぽを向いた。
「あ、の、私は、抱かれたい、けど・・」
赤い顔をして、下を向き、がこそりと言った。
言われた言葉の響きに、色香が漂う。アキラの背に、ぞくり、と、昨夜、包み込まれた感触が蘇る。思わず、喉を鳴らした。
「・・・・」
「今、すぐに、・・・このまま、離れたくない、から・・・」
の言葉に、胸の奥がドクンと高鳴る。
離れたくない。それは、昨夜自分が心から願った事だ。
私だって。
アキラは、強く、思った。そして、言葉にした。
「・・・・・・離しませんよ・・・ずっと、このまま・・」
「・・・・・・・・・・うん・・・」
アキラは、いつもより強く、力を込めて、を抱きしめた。
は想いのたけを込めて、小さく頷き、アキラの背に手を回した。
毎日が、謳うように、軽やかに。
の笑い声が野に響き、アキラの微笑みを誘う。
2人の穏やかなひとときは、そうやって流れるように過ぎていった。
そうして、季節は初夏を迎えた。
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