アキラ
球は、月の光を受け、暗緑色に鈍く滲んでいた。
その夜、はアキラに初めて球を見せた。
今まで特に見せまいと隠していた訳ではない。ただ、アキラがそう望まなかったので、改めて見せようとも思わなかっただけの事だ。
歩を進める事三日。その夜は、街道沿いにあった民家の離れに泊めてもらっていた。
孫が出来たばかりの老夫婦の和やかな笑顔と、母親に抱えられてすうすうと安らかに寝息を立てている赤子。それを幸せそうに見守る父親。決して贅沢な暮らしぶりではなかったが、本当に穏やかな空気の一家だった。
アキラは少々の居心地の悪さを胸の奥に感じながらも、から少しでもこの三日間の野宿の疲れが取れればと、離れを貸してくれたこの一家に心から感謝していた。
風呂を借り、離れに戻ると、が球を手に、月を見ていた。
その後、眠るまでと話をした。
に見せてもらった暁の谷の球は赤い色だったという。
の調べた情報では、月の里は暁の谷と、のいた陽の刻の村と違い、里の者が少し異質な気を帯びているのだという。
が苦労をしてその里の場所を見つけ出し、里の門の者に球の危機を説き、里の長に会わせてもらえるよう頼んだが、始終薄ら笑いを浮かべているだけでまともに取り合ってもらえず、その時は仕方なしにその場を後にしたらしい。
そしてその後壬生一族から奪われた球を取り返し、を探し出し、出会い、再度二人で、二つの球の持ち主の忍の村が壊滅したのだと、危機感を説こうと、月の里のある場所に向かっている最中に、壬生一族に追われ、二人ははぐれたのだと。
球の数は、伝えられているのは四つ。
同じだけ隠れ里があるのだとすれば、何がしかの情報の欠片くらいは見つかってもよい筈なのに、残るもうひとつの隠れ里の正確な位置も掴めず、その存在すらも定かでは無いらしい。どんなに調べても、何も手に入れる事が出来なかったのだと。
手にすれば、何事をも思い通りに出来ると伝えられている、四つの球。
それを知って壬生一族が球の収集に励み、しかしその期間にとても開きがある。
定かでは無いが、二人を追ってくる壬生一族達は、そんなに派手な動きもせず、人数もまばらで、ひどく統率が無いように感じられたらしい。
少な過ぎる情報から得られる事は、それでも貴重でもあった。
だが繋ぎ合わせる糸もないままに、考えを巡らすのも無駄なことだ。
は球を胸元にしまい、話はそこでいったん途切れた。
歩を進めてやがてひと月が過ぎようという頃に、二人はの村のある山への道を登っていた。
二人はその尋常ならざる脚力で、並の者ならその倍の月日がかかるであろう距離を、ひと月で確実にこなしていた。
アキラは改めて、のその脚力に感心していた。特に修行は積んでいないというが、生まれ持って得たものか、並みの女性よりは遥かに俊敏で、持久力があり、そして何より、忍耐があった。
ここに辿り着くまで、何度も野宿を繰り返したが、は決して泣き言を言わなかった。
今まで一人で過ごして来た時間が長かったにとって、その道行に心強い味方が居る事、そこへ向かうのは自分一人では無い事が、をとても勇気付け、励ましていたのだろう。はいつも笑顔を絶やさず、自分は大丈夫だと、その表情で告げていた。
いつも、不安が無い訳ではなかった。だが、襲撃にあった自分の村が、五年の月日を経て、どの様に様変わりしているものか、そしてそれを目にした自分が、果たしてどれだけ正気でいられるのか、には、計りようも無かったから。
それでも、一人ではないのだ。
一人ではない 。
対するアキラは、とは違うところで、滑稽なほどに、困り果てていた。
山小屋で、抱きしめあって眠ったあの夜以来、は、何度となく同じ夜をアキラに求めていた。
最初の内こそ、くっついて眠る事を求める一瞬にすら照れて、顔を真っ赤にして自分の懐に潜り込んで来ていただったが、アキラがそんな自分を嫌がらず、むしろ微笑んで懐に迎えてくれ、そしてただ優しく抱きしめて眠りにつくといった夜を重ねるにつれ、の行動は無邪気になっていった。
まるで親犬にじゃれつく子犬のように、無邪気に体を密着させ、足を絡めたり首に手を回して来たり。体を横たえて、眠りにつくまでのその少しの時間に、そうする事で感じる人肌の温もりを、とても楽しんでいるようにアキラには見えた。
こうなって来ると、には自分を「男」と捉えていれば当然に感じる筈の、警戒心といったものがまるで見えない、と、一人心中でそう憤っていた。
がじゃれてくるその度に、「着物がはだけます!はしたない!」とか、「いい加減にしなさい!もう寝ますよ!」などと、まさに子を叱る親のように、その実心は男として焦りつつ、叱咤を繰り返してきたのだ。
だが、はとにかく自分とそうやって過ごす夜が嬉しくてたまらない、そういった風にアキラは感じていたので、アキラも無下に引き剥がす事はしなかった。
むしろ。
アキラは、かなり我慢の限界に来ていた。
一緒に旅をしてきたこのひと月の間に、に対し、愛おしむ気持ちが自分の中でどんどん膨らんでいく事をアキラは自覚していた。
自分だけを見つめて、自分だけを求めて、邪気の無い笑顔を絶やす事無く自分に向けてくるが可愛くて、もういっそ、と、何夜も思った。
だが、今、この時に、とそうなってしまう事に、どうしても抵抗があった。
愛しいと思う。
抱きたいととても強く思う。
その身を重ねて、の全てを自分のものにしたいと。
だが、その気持ちの流れが何処に行き着くものなのか、アキラは今だ掴めないでいたのだ。
この気持ちの行き着く先が、ただ女と二人きりで旅を共にしている男の、その性欲の欲するものなのか、それとも、果たして 。
自分でも、何故そうまでそこに固執しなければならないのか、いまいちよく理解出来なかった。だが、納得いかないのだから致し方無い。
だが、実は、「納得」などという言葉の形に置き換える事すら、そういった事の理には「論外」なのだという事には、アキラはまだ行き着いていなかった。
手を出したいのに、出せない。自分が勝手に作り出してしまったもののしがらみから抜け出せないままにひと月、アキラは今にも暴れ出しそうな欲望を抑えるのに、そしてそれをに気取られないようにするのに、まさに、必死だった。
自分の前を、生い茂った草木を掻き分け一心に進んでいく、の後ろ姿。
体の線が着物を通して浮き上がって、・・・そこに手を伸ばし、なぞって、確かめたくなる。
その欲情の行き着く先を。そして、自分が心から欲するものがそこに、存在するのかを。
の胸中は今それどころでは無いのに、私は・・・・・。
「」
自分が声をかけると、弾けたように振り向き、嬉しそうな笑顔を向ける。
その瞳が思ったよりも揺らいでいて、の心の中が、自分が考えるより、辛く、追い詰められ、急き立てられている事を知る。
自分が、その一瞬でも、その心を抱きとめてやれば、は喜ぶのだろうか?
少しでも、心強く、そして、その痛みを軽くしてやる事が出来るのだろうか?
「・・・用を足して来ます・・すぐ戻りますから」
自分の口から出て来た言葉は、特に味気ないものだった。
は、うん、じゃあ少しここで休んでる、と、笑って返事をして、そこに座り込んだ。
アキラはそんなに少し曖昧な笑みを見せて、雑木の中に消えた。
風の音しか聞こえない。
誰の気配も感じられない。
ここなら、ゆっくり一人の時間を満喫できる。
アキラが鬱蒼と生い茂った森の片隅の小さな隙間で、ひとつ小さな吐息をついた。
そしてとの出会いの日に、ふと気持ちを泳がせてみる。
思えば、は初めから、とても必死でしたね・・・・。
ふと、考える。
生きていく事に、とても素直で、そして、いじらしい。
何処か、自分に似ている部分があるのかもしれない。共鳴しているから、こんなにも、支えてやりたいと、思うのだろうか。
だが、似て非なるもののようにも思える。それが、にとって、良い事なのか、悪い事なのか、・・・・知りたい。
「・・・・・・・・!・・」
ただ抱きとめてやるだけの事に、なぜこんなにも躊躇するのか。
その答えの欠片を、アキラは今初めて、掴んだ気がした。
求めているのだ。初めて、こんなにも。
だから、傷つけたくない。そして、・・・・傷つきたくないのだ。
一人で立って、歩き続ける事は、いつもそうであれば、容易な事なのだ。
だが、一度手にした温もりは、それを失った時に、計り知れない苦しみを自分にもたらす。
なんの事はない。自分の弱さなのだ。
情けない話ですね・・・私とした事が・・・
ふと、思う。
たったひと月の間に、こんなにも、 ・・・
こんなにも、求めてしまうなんて・・・・・
「・・アキラ」
気付くと、が近くまで寄って来ていた。用を足すには長く戻らないアキラに、心許無くなったのだろう。探しに来たのだ。
茂みの揺れる音に、警戒しなかった自分に、少し、呆れる。
私はに、こんなにも心を移してしまっているんですね・・・
自嘲気味に、笑う。
しかし今それに気付いても、今の彼女には、受け止めるだけの余裕は無い、と思う。痛々しいまでに、先行きへの不安が膨れ上がっているのが分かる。
それでも、笑うのか。笑顔で、自分に話しかけようと、歩み寄ってくる。
今、抱きとめたいと思うこの心のままに、彼女を一時、私の腕の中で休ませる事くらいは、罪にはならないでしょうか・・・?
アキラは、自分の傍らに立ったを、ついと抱え上げ、その場に座り込んだ。いきなりのアキラの動きに驚いて小さな声を上げたを、ゆっくりと膝の上に乗せて、抱きしめてやる。
「少し、疲れました。強行軍でしたからね。もう目指す場所は目の前ですが、一時・・・」
言葉が続かず、空を見た。雲が、気持ち良さげに泳いでいる。
は、何も言わず、ただ、アキラの肩口に、顔を埋めた。
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