アキラ
村を目指して山を登り、中腹に差し掛かった頃、がいきなり道を反れ、ざくざくと雑木を掻き分け、森に入っていった。
のその無言の行動に、アキラは慌てて後を追いつつ、理由をひとつ思い当たった。
が目指しているのは、五年前そこにが置いて来た、数矢の屍。その骸がある位置なのではないか。
そんなに奥には進むまでもなく、は立ち止まった。アキラの推測は当たっていた。
茂みに覆い隠される様に、ひとつ。ただの骸と化したもの。
「・・・・・」
「・・・うん。行く。ちょっと、・・・」
の心の傷を気遣い、静かに声をかけたアキラに、は振り向かず、懐から手ぬぐいを取り出し、広げ、黙々とそこに数矢の骸を乗せた。全部乗せ終えて、そっと包むと、優しく抱え、村への一本道へと戻っていった。
アキラとすれ違いざまに、悲しげな笑顔を向けた。精一杯笑おうと思ったのだが、上手く笑えなかった。そんな様子がアキラには手に取るように分かった。
「・・・無理して笑わなくても、いいですよ・・・・」
アキラの言葉に、はただ黙って頷いた。
アキラは山を登り始めてからずっと、辺りに細心の注意を払っていた。
自分達より先にこの道を登った者がいるならば、これだけ生い茂った森の中の細い一本道、必ず何か、獣でない何かが通ったと分かる某かの残したものがある筈。
先に通った者がそれと分からぬ様に謀って気配を消していたとしても、アキラが今まで培ってきた経験を通して、必ず何かの異変を感じ取る事が出来る筈なのだ。だが、ここに至るまで、何も感じられなかった。
だが、まだ油断は出来ない。アキラは、自分の持て得る限りの力で、四方に気を飛ばしつつ、の後に続いて黙々と登った。
やがて、木々が開け、太陽の光が隙間無く眩しく差し込み始めた。山を登りきったのだ。
途端に目に入る、残骸。見渡す限りの、死の世界 。
の村は、無残なものだった。
焼け焦げた家も死体も、この年月で風化し、その残骸を日の元に晒していた。
アキラの脳裏に、自分の記憶の中に無い筈の過去が蘇る。燃え盛る火。逃げ惑う人々。力無き者達の断末魔。刀を奮い、笑う、音の無い顔。顔、顔。
が抱えていた数矢の骸が、の腕から零れ落ちる。がしゃん、という音でアキラは、はっ、と我に返った。を視る。
は、言葉を失い、無表情でその場に立ち尽くしていた。
アキラが、今のに掛けられる言葉など無かった。ただ、じっと、傍に共に佇んだ。
そうして、やがて徐に、が歩き出した。晒されている骨をひとつずつ、ひとところに集めて回った。
アキラも、を手伝い、ひとつずつ、その骸を拾い上げ、運んだ。
そうして日が傾く頃、村の外れの景色の良い丘に、無言で穴を掘り始めた。
アキラも無言でそれを手伝った。
アキラが、戦で命を失った骸を、丁寧に葬ったのはこれが初めてだった。
心の底に深い闇が溜まる。
とはまた違う闇を、アキラは今、味わっていた。
の闇は、今のアキラには見えない。
表情の無い、横顔。だが、やはり掛けられる言葉など持ってはいないのだ。
作業は日も落ち、月明かりで辺りを探る時刻になって、やっと終わった。
は長い時間、その土の山の前で手を合わせ、じっとしていた。冥福を祈っているように見えたが、心中は分からない。アキラは、そこに至ってやっと、重い口を開いて、に問うた。
「・・・・これから、どうします?」
は、どこを見ているか分からないような目で、アキラを見て、こっちに来て、と言い、歩き出した。村の中心部を通り抜け、外れに焼け崩れ残っている家があり、は中で待っているようにアキラを促し、自分は再度月明かりの中へと静かに消えていった。
ここに辿り着くまでは、の表情から手に取るように掴めていると感じていたの気持ちが、今はまったく見えなくなっている事に、アキラは不安と落ち着きの無さを感じていた。
だが、今の自分にはどうする事も出来ない事も充分に解っていた。
が戻って来るまで、家の中を整えておこうと思い、不在だった五年分の間に溜まっている塵芥を、まず囲炉裏のある一間から、玄関の隅にあった箒で掃き清め始めた。
ここに来るまでにずいぶんと暖かく春らしくなって来ていたとはいえ、ここは山頂。寒さを凌げる様、囲炉裏も整えて、火を興しておかなければ。
アキラはの事であれこれ考えるのを止め、とにかく休める場所をと立ち働いた。
一刻の後、が手にじゃがいもと卵を抱えて戻って来た。手も体も、墓を作る時の倍ほどに汚れてしまっていた。
村の畑から、根を伸ばし雑草のように生い茂っていたじゃがいもを掘り起こし、その最中に、主を失い放し飼いになっていた鶏を見付けたので後を追い、巣を見付けたので卵だけ頂いて来たのだと言った。
「とにかく、食べないと」
無表情ながらにも、紡ぎ出される言葉とその行動に、アキラはが一人で過ごして来た五年間の根底を見た。
単純な結果の様に思えるが、絶望の中からそこに至り行動に移せるのは、誰にでも備わっている訳では決してない、の強さだ。
それは簡単に導き出せるもののようで、決してそうではないのだ。
やがて二間がアキラの手によってある程度片付き、その間にが囲炉裏を整え、湯を沸かし、お互いの体を拭った。
その後、改めて湯を沸かし、じゃがいもと卵で汁を煮た。熱々の汁は、二人の冷えた体を充分に暖めた。
二人はその間、終始、無言だった。
の心の闇は、依然アキラには見えない。
床に就くと同時に、が無言のままアキラの懐に潜り込んで来た。
アキラは黙ってそれを受け止めた。背中に優しく手を回し、抱きしめてやる。
いつもなら、お互いの肌の温もりで安心し、いつの間にか眠りにつける筈なのだが、疲れきっているにも関わらず、なかなか眠れず、それでも無言のまま、身じろぎもせず、時間だけが刻々と過ぎた。
ふと、がアキラの着物の襟元を緩める。そこに手を忍ばせてきた。
「・・・・?」
アキラの問いに、は返事をせず、顔を上げず、アキラのはだけた胸元に、その素肌に、唇を押し付けた。
思いもよらぬ行動に、その唇の熱さに、アキラは思わず身を引いた。そしての頬を両手で包んで、顔を上げさせた。
「・・・・・・・・・?」
だがは硬く口を閉じ、そして自分の頬を包んだアキラの手をゆっくりとどかせて、体重を掛けアキラの体を仰向けにさせ、上に馬乗りになった。はだけた着物の裾から、の白い足が付け根まで露になる。そうして再度アキラの胸元に顔を埋め、口付け、舌を這わせた。
覚束無いその動きに、はだけた足の白さに、アキラの男が激しく反応する。
「・・・・!」
アキラは勢いを押し戻した。は俯いて、自分の方を見ない。
の半身を起こしたせいで、とアキラの股間が先程よりも密着する。自分が高ぶっているのをに気取られたくなくて、アキラは自分も起き上がり、を足の上に乗せる格好となった。
「・・・?」
は、返事をしない。
アキラは、今まで必死になって我慢してきたものを、今、こんな状況で、お互いの心の中も見えないままに、その衝動に任せてひとつになるのは嫌だった。の頬を今一度両手で包み、自分の顔の方へ向ける。
それでもの表情は動かず、瞳の中も暗いままで。
アキラは慎重に言葉を選んで、言った。
「・・・、あなたは今この時に、真実私とそうなりたいんですか?」
「・・・・・・・」
は、返事をしない。アキラは諦めず、話し続けた。
「明らかにいつものあなたではないと、・・お互いそうと分かっている今この時に、あなたと共に過ごしてきた時間を無下に壊すような事はしたくないんです・・・決して、あなた自身を拒否している訳では」
言葉がそこに来て、がふいに自分の頬を支えているアキラの手を激しく振り解いて、静かに言った。
「・・・そんなの、理解出来ない。今、この時だからこそ、求めて、何が悪いの?弱くなって、支えて欲しいって思って、何が悪いの?」
言葉の響きはその静けさに反してとても激しいが、依然はアキラを見ていない。アキラはその事にとても敏感に反応し、諭し続けた。
「この行為が、今のあなたを真から支える事になると?本気でそう言うんですか?」
はゆっくりと立ち上がり、アキラの膝から降りると、アキラから背を向けて座った。
「・・・・アキラが、私を求めてないのはもう分かってる。今までだって、一緒に眠ったことは何度となくあっても、そういうことは何一つしようとしなかったもんね」
「それは」
アキラがたまらず口を挟むが、は聞く耳は無いとでも言いたげに話し続ける。
「でも、アキラがその優しさから、ここまで一緒にいてくれて、そうして私がこういう気持ちの時にも今までのように抱きしめて、・・・・ただ、抱きしめて眠ってくれる・・その方が大事だというなら、私はもう・・二度とアキラに触れない」
触れない、と言われて、ずくん、と、アキラの胸の奥が痛んだ。
そしての今の言葉から、自分が思うより、は自分に対し、そういう事を常に意識していたのだと気付いて、更にずきずきと痛み、疼き、もうどうしていいか判らなくなった。
好きだと言われ、
求められる事に喜びを感じ、
その気持ちの導くままに、一線を越える。
だが、そうして繋がれたその後に、哀しい時が、空しい空間が、自分達の元に、訪れるかもしれない。
そういった考えに囚われ、怯えるあまり、を追いつめた。
毎夜のように、肌を触れ合わせ、温もりを感じ、
男として、女として、求めあっている事を認めてしまえば、自分の中の何もかも、歯止めが効かなくなるほどに、を欲していたのに。
辿り着かなければならない場所があるように思っていた。
真実、求めあうならば、そうなる前に、そうなる事は間違いではないと、自然に理解出来る時があるのではと思っていた。
お互いの気持ちがその場所に行き着かなければ、行為に至るのは愚かな事だと思っていた。
必ず傷つけ、傷つくと。
囚われていた。
自分の想いに取り憑かれて、眼前のの想いを傷つけ、苦しめていたのだ。
何も抑える事などなかった。ただ、それを欲したその時に、その心のままに素直に求めていれば良かったのだ。
絡まってしまった。
自分のせいで。
なんて、愚鈍な・・・
私は・・・・
胸が苦しい 。
アキラは喉の奥に何かが詰って圧迫しているようで、辛かった。
「私は、いつだって、そうして欲しいって思ってた。・・・つながりは、球のことだけ。もう、それでいい」
は、アキラに改めて拒否された事で、自分が今何処にいて、何をしているのか、真から理解しつつあった。
先程までは何をしていても、地に足がついていないようで、考える事すら億劫だった。傍らに、時には目の前にいて、自分を労わってくれているこの優しい人にさえ、その労わりに応える事すらどうでもいい事のように思えていた。
だが、改めて自分は、この人をとても求めているのだと、アキラが抱きしめてくれたその温もりで再度それを認識した途端、拒絶された。
自分が感じるよりそのショックがとても大きかったのだ。だがそのお陰で、地に足が着き始めた。
それと同時に。
自暴自棄になっている。自分でもそう思う。でも、もう、何も見えない。何も見たくない。
の胸の中の闇は、ただじんわりと広がり・・・口の中がざらついて、それ以上は言葉を紡ぐ気になれなかった。
村の惨状は、が考えていたよりも遥かにひどく、の胸中を、暗く、侵食していた。
「・・私は、このひと月の間、いつだって、・・」
暫しの沈黙の後、ふと、アキラが誰にともなく呟いた。
すっと立ち上がり、の前に座る。
そして、そのままの顔を再度、優しく両手で包み、自分の顔の方に向けさせて、そしてそっと、に口付けた。
は、つい先程自分を拒絶したその人から、今、自分に与えられているこの瞬間が、信じられなかった。目を見開いて驚き、硬直する。
すぐ間近に感じる、アキラの静かな呼吸の波・・・・。
最初は優しく、優しく、ついばむように。
の唇は硬く閉じられていた。だが、アキラはついばむように触れる事を止めなかった。
やがてアキラが少し開けた唇の隙間から舌を伸ばし、の唇をゆっくりと舐めた。硬く閉じられたの唇の上をゆっくりとなぞっていく。そうしているうち、の唇がアキラの舌を受け止めようと、薄く開いた。
アキラはそこへ、そっと舌を差し入れた。すぐにの舌を感じ、それを絡めとる。
そのうち、固まったままだったの体から力が抜け、下にだらりと放られていた両腕が、アキラの腰に、背に、添うように回される。
少し、震えていた。
は、初めての行為に上手く呼吸が出来ず、その一瞬、一瞬に喘いだ。隙間無く絡められた舌の間から、苦しげな吐息を漏らす。
アキラは、の吐息に自分が反応し、気持ちも体も激しく高ぶっていくのを抑えられなかった。その舌の動きは次第に激しさを増し、の頬を支えていた両手は、いつの間にかの体を強く抱え込んでいた。腰を掴み、更に密着しようと引き寄せる。の手がアキラの背の着物を掴む。
「・・っはあっ・・はっ・・・ん・・」
の息は荒く、合間に甘い声の響きが混ざり始めた。苦しげに眉を寄せ、喘いでいる。
アキラはをなかなか離そうとしなかった。アキラの耳に響く、言葉にもならない切ない音が、愛しくて、愛しくて、そしてとてももどかしかった。
そうして、長い長い口付けのあと、アキラはの頬や額に、再度口付けの雨を降らせた。
何度も、何度も優しくついばんだ。
は瞳を閉じて、それを受け止めた。
「・・・・・・・・」
「・・・・・・はい・・」
がアキラの顔を見て、返事をした。アキラの表情に安堵の色が濃く浮かんだ。
「・・・やっと、私を見ましたね。・・・・良かった」
「・・・・・アキラ・・私・・」
「・・眠りますか?今日はとても疲れたでしょう・・・さあ・・」
何か言いたそうなだったが、アキラがいつもの様に横になり手招きをすると、やがてするりと胸元に潜り込んできた。
アキラは、の温もりを今一度抱きしめて、その額に軽く口付けた。
が顔を上げて、アキラの表情を伺うと、何かとても嬉しそうで、それでいて切なげで。
アキラは某かを口にした訳では無い。だが、その表情から、優しい口付けから、アキラの気持ちが流れ込んでくるようだった。
アキラが今自分に与えてくれた口付けの熱さで、は、冷え切っていた自分の胸の奥が、仄かに暖かくなるのを感じていた。
そうしては、村に辿り着いてから失いつつあった、人としての血の流れを、今、ようやっと取り戻し始めたのだった。
語りたい事柄が無い訳では無かった。
だが、まず、眠らなくては。
そうして、が眠るまでの間、アキラの唇がそれを諭すように、の髪に、額に、何度となく、繰り返し優しく、口付けた。
それは一際甘く、優しい、子守歌となって、を包み込んだのだった。
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