オレを見つめるの瞳は、夜で塗りつぶしたような黒い、星。
唐突に、気付いた。
戦場に身を置いて、人の生き死にに関わる事は日常のひとつで、耐えられないと嘆く事も今まで幾度となくあった。それでも今までは、我を忘れるほどにそこに取り込まれることも、無かった。
今なぜこうまで自分は、現状に盲目になり、自虐的な衝動に駆られているのか。
今まで人と相対する時、その表側は常に平静だった。だが、雑務を終え天幕に戻ろうと選んだ道の端に、そこに居ないと思っていた彼女の・・・・、
月を正面に、佇むの後ろ姿が目に入った途端、装っていた壁は脆くも崩れ、憔悴に焼けつき、熱を持った裏側が剥き出しになった。
憤りを受け止めてくれと、彼女に拠りかかろうと・・歩み寄ったのか。オレは。
己の浅ましさに愕然とし、目を見開いたまま呆けてを見つめた。今にも泣き出しそうに潤む、彼女の瞳を。
彼女はオレに、自分を見ろ、と言った。オレは今、彼女だけを見つめて、彼女の事だけを考えていた。
考えていた、 つもりだった。
意識がそこに行き当たると、自分で招いた今の現状に、オレの身体は、地面に杭で打たれたように動けなくなってしまった。
「・・・・・・」
がゆっくりと、オレの背を抱いていた腕を解き、身体を離した。
オレの身体から、の頬や、胸や腕の熱が感じられなくなり、そこに夜気が冷たい風を送ってきた時、オレはやっと覚醒し、慌てての腕を掴んだ。離すまいと。
だが彼女はオレの手からするりと逃れ、優しく、オレの両の手を自分の膝元に置いて、握った。
の手の平の温かさ、膝元の柔らかさにドキリとする。たったこれだけの接触に、に対し、女を激しく意識する自分。今し方彼女を強く抱きしめていたのに、その現実がどこか別の時間のようにぼやけて感じた。
だから余計に打ちのめされた。不実と言うなら、オレから彼女へ、これ以上の事は無い。
への気持ちは偽りじゃない。それを伝えたい。オレは、
「、オレは、・・・・オレは、お前が・・」
「少しだけ、・・・・このままで、いいですか?」
「、」
「こうやって、・・・あなたに触れられる事が、嬉しくて。だから・・・今の私にとってはこれで、充分なんです・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
オレの言葉を遮るように話すの手の平が、僅かにオレの手を握る力を強くする。何も言うな、と、オレを牽制するように。
オレ達はそのまま、互いに、ただ沈黙した。近くの焚き火での、兵士達の酒宴の喧噪が、今頃になって白々しく耳に届いた。聞こえないほどのめり込んでいたさっきまでの自分に心底腹が立つ。だがそんな自分から気付いた、もうひとつの事実が、今は確かに目の前にあった。
オレの中でへの気持ちがどんどん大きくなって、抑えられなくなってきている。彼女を求めて欲して、どうしようもなくなってるんだ。
感情の行き場が無い事が、均衡を失う事になるなんて、どんなガキだ。・・最低だ。
オレはまだ彼女に、何もまともに伝えていないのに。好きだという、その一言すらも。
「・・・・・私は、あの墓場での夜、あなたに言われるまで、・・生きるという事の意味を、そんなに深く考えた事がなかったように思います。生きているという事が、自分にとっていつも確かではなく、いつ頽れてもおかしくないように感じていた・・」
やがてが静かに、何かの物語を綴るように、俯いたまま話し始めた。
墓場での夜・・・そう言われて、に対して正面からきちんと向かい合いたいと、城のあちこちを探し回ったあの夜の自分が、鮮明に蘇る。
今のオレは、あの夜より以前にまで後退してしまっていた。誰にでも唐突に舞い降りる、死という現実から、無意識に目を逸らして・・・・・ ふいに、タローの傍らで顔一杯に笑うナナミが脳裏を過ぎった。胸元に、抉るような鋭い痛みが走る。・・・くそっ・・。
急に、が顔をパッと上げ、オレに向かい明るく笑う。
「今は、強く・・、生きている、と、思います。生きている事を、これからを生きていく事を、とても強く実感している。あなたが気付かせてくれた。あなたのおかげです」
「・・・・・・・・・・・」
声の響きは穏やかだが、祈りのような重さを感じ、オレのおかげだと言い募る彼女に対し、何と言えばいいのか分からず、戸惑いながら、ただ、見つめた。
・・・・言葉と瞳の光がちぐはぐだ。笑っているのに、泣き出しそうだ。・・。
「私は、持てうる力の全てを持って、明日の戦いに挑みます。私も、あなたに言います。生きる、と。もし、・・・・もしも、立ち並ぶ墓標の中に、私の名が刻まれる事があったとしても、私は、心から、あなたと同じ時を生きていて良かったと、思え・・」
「言うな」
死を示唆するようなの言葉に激しく反応し、オレは彼女の手をギュッと力任せに握った。
「やめてくれ。 聞きたくない」
「・・・・・・・・・」
「言うな。自分を追い込むような事。今は・・・聞きたくない」
きつく遮られても何かを続けようと、ゆるりと口を開けるに、オレはそう言い募った。
今のの言葉には何の含みも無かった。そう確信出来るほど、彼女がオレに何を言いたいのか、しっかりと伝わってきていた。戦はきれい事じゃない。その日その時、その一瞬まで、自分の身に何が起こるか分からないものだ。何をどう言い繕ったところでそれは変えようもない現実だ。
はただそれを言葉にしようとしたまでの事だ。あの墓場での夜、オレが彼女に言った事とそう変わりない。だが、オレには、今、お前の口からその現実が綴られる事さえ嫌だった。
よりにもよって、今、お前から 。
「では・・・・『また』」
一度軽く頷いて、微笑んだ。
繋いだままの、の手の親指が、オレの手の甲を、子供をあやすように軽く撫でた。
「『また』、戦いの後で、・・・あの夜のように、・・・今日のように、私を抱きしめてください」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・おやすみなさい・・」
オレの手を、名残惜しげに一度きゅっと握ってから、優しく解いた。
そのまま流れるような仕草で、オレの体の両側から、地に広がっていたマントの端をすくい上げ、それで自分の頬を覆うと、静かに目を瞑り、オレの胸に額を寄せるように、深く、俯いた。
やがてゆるりと手を降ろし、サッと立ち上がると、オレに背を向け、何事も無かったようにしっかりとした足取りで、天幕の立ち並ぶ方へと去っていった。
の全てから、オレへ、痛々しいほどのいたわりを感じた。
「・・・くそっ!・・・・・・」
ドッ!、と、鈍い音と共に、草がそこだけ沈み込む。
解放軍リーダーという立場に決して甘んじる事なく、常に戦いの中に身を置いていたオデッサと、
今目の前にいるの運命とを重ねてしまう自分の弱さに、
オレは激しく苛立ち、その憤りのままに拳で地面を殴り、吐き捨てるように衝動を足元に放った。
顔を上げ、空を見た。
月の重圧に耐えきれず、すぐに目を逸らした。その先に、月明かりにぼんやりと浮かび上がる、オレの剣。
緩い動作で、鞘を掴み、持ち上げて手に取った。
膝に、優しく乗せる。
自分の中に潜んでいた弱さを、好きな女の前でみっともなく曝し、その女の優しさで、正気に戻った。
それを考えて、オレは昔、オデッサの前で自分を整えて見せようと、少し背伸びをしていたのかもしれない・・、と、今更、改めて気付かされた。
そして同時に、あの時の自分はあれでいいんだ、とも思った。自分に限らず、好きな女の前なら誰だって虚勢を張りたいもんだ。・・そうだ。彼女の前ではいつも少しだけ、背伸びをしていた。
思い出し、自分の幼さが懐かしく、つい口の端に微笑が浮かぶ。
オデッサと出逢った時、オレは彼女の事を、なんて女だと思った。こんな女が存在するのか、と。
こうありたいと意識するその姿形が理想として、常に目の前にあった。強い信念と共にいつも前を往く彼女。そんな彼女にオレは、心酔していった。
憧れや、羨望や、眩しさ。
オレが尊いと思うものを、オデッサは持っている。そう確かに理解した時、恋をしている、と、自覚した。
そういった想いがやがて、彼女が時折見せる、頼りなげに揺れる肩に、・・・・恋から愛に、変わった。
何が起こってもオレだけは、彼女を最後まで支えてやりたいと、それがオレの信念になった。
彼女がオレの懐に落ち着いた時だけに見せる、一人の女としてのもうひとつの顔。
オレに肩を抱かれ、身体の力を抜いて、柔らかく微笑む。緊張から解きほぐされた弛緩から、まばたきが多くなる。蝶の羽のように穏やかに揺れるその睫の先にまで、激しく魅せられていた。
その事実が、あの時のオレの全てだった。
剣の持ち手に手を掛けて、鞘から抜く。正面に立て、月を背負わせると、刀身が鈍く輝き、オレの惑いを静かに戒める。
オレはの前で、今の等身の自分に気付いた。
頽れそうな膝を自分に負けまいとプライドで支え、無理矢理にでも前を向こうと意地になっている。
今のオレは、一度破れたものを無理に引っ張り、乱暴に繕った古布だ。新しい摩擦に耐えきれず、綻び始めていた心の底の、底の方。
はそれを察し、無理に広げようとはせず、破れた場所を優しく撫で、柔らかく包んだ。
あの日感じた既視感は、ここにもあった。
とオレは、似ている。想う相手の心の傷を、支えたいと願う気持ち。
だからこそ彼女は、ここにオレを置いて、去った。
時間は深夜を回ろうとしていた。
自分の天幕に戻り、出入り口の布を捲ると、ランプの灯りが消えていた。油が切れたのか?・・だが近くの焚き火の火と月の明かりで、天幕の中は足元が見えないほど暗い訳でも無かった。
マントを外し、剣帯を外して、手袋と剣をマントの傍らに置き、そのままの格好で寝具に横になった。身体の力を抜こうと、目を閉じて大きく長く息を吐く。
目を開けて、オレの右手側・・・ひとつ寝具を挟んだ向こうで、こっちに背を向けて横になっているビクトールの方を見つめる。ずいぶん静かだが、もう寝てしまったか?いびきが聞こえないのは、トウタに無理矢理飲まされていた薬のせいで、深く寝入ってしまっているからか・・?
話がしたかった。
ビクトールに対し、そんな気持ちになったのも、ずいぶん久しぶりなように感じる。・・・・だが、今無理に起こしてまで、どうしても話したい事がある訳じゃない。寝入り端に、他愛の無い会話を交わしたいと、そう、少し考えただけだ。
怪我の為にも今日は休んだ方がいい。そう思い、自分勝手な衝動を諦めて、寝返りを打って背を向けた。
少しの間を置いて、背中から、低いため息が漏れ聞こえた。
「・・・・・・・・起きてるぜ」
よっ・・、という小さな気合いと共に、半身を起こす気配が続く。
なんだ、タチの悪い奴だな、と心でごちて、そっちを見つめていた事を知られていたバツの悪さから、横になったまま身体の向きをそちらに変えつつ、軽口を叩いた。
「・・・・なんだ。寝てるにしちゃ静かだからおかしいとは思ってたが」
「なんだそりゃ。ったく・・」
オレへ舌打ち混じりに応えつつ、ゆっくりと片膝を立て、そこに肘をついて手の平で顔を荒っぽく擦った。ズズッと鼻をすする音が響く。オレはビクトールのその様子に驚いて目を瞠った。
「どうした?・・まさか、泣いてるのか?」
「っせぇな・・ああクソッ!アイツが痛ぇこと言いやがってよぅ・・」
「アイツ?」
問い掛けつつ半身起き上がり、ビクトールの方に身体を向けた。ビクトールは、遠くを見るように目を細めて、天幕の出入り口の方を見つめた。
「だよ。オレの怪我を見て、『生きていてくれて良かった』とか言いやがって・・」
「・・・・・・・・・・・」
「・・・・久しぶりに言われたなぁと思ったら・・クソッ・・・アイツの目は色んな事を思い出させる・・」
「 ・・・・・・・・そうだな・・」
オレは、月を前にして交わした、先のとの時間を思い出し、ビクトールから顔を反らして、静かに相づちを打った。
「・・・・・・・・・・・・・切ねぇなぁ・・・・」
少し掠れた低い声で、ボソリとそう呟くと、ビクトールは再度ズズッと鼻をすすった。そして背中からバサッと倒れるように寝具に横になり、仰向けのまま、片手で顔を覆った。
生きていてくれて良かった。
オレ達は何度、この言葉に触れてきただろう。昔とは明らかに違う受け止め方をして、喉まで出かかった慟哭を飲み込んでいる。
積み重ねてきた沢山の怒りや哀しみが交錯し、それでも、と、眼前でそれを語る人の純粋な心がオレ達を慰める。
生きていて、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
「ビクトール」
「・・なんだよ」
「ひとつ、聞いていいか?」
「?」
この事をビクトールに知られるのも、改めて言葉にするのも恥ずかしかったが、その先をどうしても聞いてみたかった。ビクトールがなんと言うか、何と答えるのか。
オレは、半身起き上がった事で腹に撓んでいた薄い毛布を横にどかして、奴の方に身体を向け、座り直した。
ビクトールはオレの問い掛けに、顔を覆った腕を外し、顔だけオレの方に向けてオレを見ている。
「・・・・・・少し前に、オデッサの事で、・・・オレのマントに、オレが気付かないうちに触れると、」
「ああ、・・あったなそんなんも。『戦女神』か?」
「何 、なんで知ってる」
てっきり、何だそりゃ、と笑い出すと思っていた。素で頷き、すんなりと聞き返されて、オレは驚きに目を見開いて奴を見た。
「結構前だな。ラインから聞いたんだよ。妙なジンクス流行ってて血迷ってるヤツが多くて困るってな。早く女あてがってコブ付きにしちまってくれってよく愚痴られたなそういや・・・」
「そっ?!・・いや、何で言わなかった?! 待て、そもそも何でオデッサの事がそんなに知れ渡ってるんだ?オレは一度も誰にも話した事など無いぞ!」
驚きと戸惑いが勢い込んでそう激しく問うと、ビクトールが片手を顔の前に立て、拝むような格好をして苦笑いをした。
「・・・・・むかぁ〜しな・・スマン」
「何を 、お前か!!」
オレは今知らされたあまりの事実に、勢いその場に片膝で立ち上がって、目を剥いてビクトールを睨んだ。奴はフゥ、とひとつ息を吐き、オレから顔を反らして、仰向けになり腕枕をした。
「ムカつく事にオレんとこに相談に来んだよな女兵士ってのはよぅ・・。 待て待て、・・・・ちょ、オイ、待てってオイ!」
話を逸らすように茶化した口調で続けるビクトールに、オレは本気で腹が立ち、寝具から完全に立ち上がり素早くそっちに向かった。奴にサッと跨り、覆い被さるように体重を掛け、無言で拳を振り上げると、奴が慌ててオレの腕を自分の頭上で押さえる。
「 一発殴らせろ。怪我人だ、それで勘弁してやる」
「オ、オイ!誰彼となくベラベラ喋ったりする訳ゃ無ぇだろ!オデッサの事はオレにとっても忘れられねぇ、・・・・忘れちゃならねぇ大切なもんなんだ。大事な、・・強ぇ想いだ」
「・・・・・・・・」
掴まれた腕を振り解こうと本気で力を込めたオレに、奴が慌ててそう言い募った。さっきと打って変わって真剣な表情で、真っ直ぐにオレを見つめた。
「・・・確か、・・・・・ギルバートの傭兵隊出の女だ。向こうっ気の強ぇ女で、男と一緒に旅路の小銭稼ぎに雇われたはいいが、ミューズ市外での戦いで受けた傷が元で、男は死んだ」
「・・・・・・・・・・・・・・」
ランプに火を入れてから、二人して寝具の上に膝をつき合わせて座り込み、その頃の事を思い出す。
一頃前の記憶でも、それはビクトールにとって忘れがたかったのか、奴の口からは、スラスラと淀み無くその時の事が語られた。
「自棄になり酒に溺れて、死に場所を求めていると言った。・・・・酒場の常連で、席が隣になった事があったんだ。飲みっぷりが良くてよ、楽しくやってたんだが、・・オレはその時のソイツのふざけた物言いに腹が立ってよ」
「・・・・・」
「お前の事を軽い口調で聞かれて、つい言っちまったんだ。マジじゃねぇなら、アイツに近寄るなってな。失った辛さに順番なんざつけられねぇが、向かい合おうというなら、死んじまった奴に対して真っ直ぐ立つのがせめても餞だろうってな。・・・そんな女を知ってると、・・お前にも出来ると、背を撫でてやった」
そこまで語って、ビクトールが目を伏せたまま、ゆっくりと立ち上がる。寝具の足元に積まれた荷を崩し、その中から酒瓶を2本取り出した。元居た場所に戻り、座り直すと、ホラよ、と、オレに1本差し出した。無言で受け取り、栓を抜く。
「 その女は誰かと聞かれて、オレは、オデッサの事を話した。・・・そいつは、新同盟軍となってからはラインの部隊に所属しててな。死に際を看取った女兵士の口から、オデッサの事が広がったらしいと聞いてる。・・すまんな。勝手な言い分だが、オデッサの事をラインの口から聞かされた時にゃ正直、今を戦う彼女らの支えになるなら、それもいいと思った」
そこまで話し終えてから、ビクトールが酒瓶を口に持っていき、勢い良くあおった。ハァ、と、熱い息を吐く。
オデッサの話が、女兵士の間で密やかなジンクスとなるまで、こんな経緯があったという事に、オレは改めて驚いた。
そして、聞き終えた今のオレは、その時のビクトールの気持ちを、心で静かに肯定していた。
支えになるなら。
・・・確かに、そうだ。誰だって、望む死の形は有る。オデッサの死の真実を、その背景を詳しく知らなくとも・・・・、彼女の名は、あの戦いの歴史を知る者達にとっては偉大で、敬われるべき存在となり得る。
いつか迎える死なら、何かを成しえたと納得して逝きたい。
自分への決意の形を、戦いに殉じた『戦女神』への祈りにして、自分を支える強さに変える。
だが、いたたまれない想いも、確かにそこには在る。
オレは苦い顔で足元を見つめるビクトールに対し、静かに、そこに続く現実を繰り返した。
「・・・・・・・・・・・その女性は、死んだんだな・・」
「・・・・・・・・・」
ビクトールは、応えなかった。返事の代わりに、再度、酒瓶をぐっとあおった。音を立てて半分ほど一気に飲むと、やっと口を離し、空いた方の手で口元を拭う。
オレが俯いたまま沈黙していると、今度はビクトールからオレへと、さっきの続きを静かに問いかけてきた。
「・・・お前ぇは、さっき何を言いかけたんだ?」
「ああ、・・・・・・」
「なんだよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
オデッサが『戦女神』と、・・そんな風に崇められていることを、ビクトールは知っていた。
オレは、その経緯を知った事で、気が引けて少し口篭った。
さっきは単純に、ビクトールがなんと答えるか知りたいと考えたこの事を、奴に今改めて問う事で、自分の抱える弱さをここで更に露呈するように思えたからだ。
だが、・・・・・・それももう、今更だ。もう、さっき嫌というほど味わった。
ただ、言葉にしたい。そう思うのは、今、目の前にいたのがビクトールだったから、なのかもしれない。
オレは少しの躊躇の後、足元の瓶を持ち一口飲んで、奴の顔を正面から見つめた。
「 ・・そんな、風に、・・皆が神聖に想い、願いを寄せる彼女に対して、そんな風に考える事は、オレにとっては、ただの女だったと思いたいオレの驕りであり、ある意味、彼女の生き様を冒涜する言葉なのかもしれない、・・とも思う。だが、オレのそんな部分が彼女の救いになっていたのだとしたら・・」
「ああ?・・・・なにが言いたい?」
自分の心の中から、上手い言葉を必死で探りつつも、一息にそこまで話したオレに、ビクトールがその真意を測りかねて首を捻る。オレは、一度奴から目を逸らし、・・・もう一度正面から奴の目を見つめた。
オデッサといつも共にあった、共に歩いた、オレ以外の男の目を。
「・・・オデッサは・・、 生きていて良かった、と、思えて死ねただろうか」
「・・・・・・・・・」
ランプの炎がゆらりと揺れた事を、奴の目に映った影から気付く。
ビクトールはオレの問いを聞いても微動だにせず、暫く無言で、オレをただ見つめ返した。目の色があまりに無表情で、語る色が無い事が、オレを現実に引き戻す。
この期に及んでそれに囚われる事は、それを知らない者から見ればもういっそ滑稽かもしれない。だが、ビクトールはオレを誰よりも知っている。どうして今それをわざわざ問うのかという事も、もう気付いているだろう。
それでも、多少の後ろめたさからは免れない。奴が無言でいる事が、余計に焦りを誘った。オレはもう返事を待てずに、目を逸らして俯いた。
「・・・・・・・・・・・・すまん。気持ちを切り替えないとダメだと分かってる。正念場に来てコレじゃ・・・。だが、オレは・・・・」
「そうだろうな」
「え?」
「生きていて良かった、って、思えて死ねただろうなって事だよ。お前に会えたからな」
「・・・・・・」
ビクトールが急に、さっきまでの沈黙から一転、力強い笑みを頬に宿して、話し始めた。
奴の目の奥に浮かぶ、自分の命を逞しく生き抜いた、一人の女性の姿。
「恋人を失い国を追われ、国を憎んで、力を憎んで、全てを憎みそうになった時に、お前に会った。間違った事はしていない、と、信念を信じて突き進んでも、命を奪うという結果は結局のところどっちも同じだ。だが、血を流さずに平和を、なんてきれい事じゃ前には進めねぇ。血生臭い日常とその立場にあって、事に迷いは破綻を来す。生み、そして育む立場から目を逸らしそうになっていた自分を、そこへ引き戻したのは、お前だ、フリック」
「 ビクトール・・・」
「お前に出会ってからのアイツは、女だった。温もりを求める穏やかな心。 だから、解放軍はあそこまで大きくなった。サイカにごっそり引き渡せるまでにな」
「・・・・・・・・」
「お前にまで神聖化されたんじゃ、アイツもたまったもんじゃねぇなあ。・・・・変わんねぇよ、今共に戦う仲間も、アイツも、お前も、オレも、・・・・・もな。ただ、差し出された運命に絶望し、どの様に抗い、叩き壊し、望むモノを手に入れられるかどうかの為だけに生きてる」
ビクトールの言葉が、熱く、激しくオレの胸を打つ。
その事を、もうとうに知っていたようにも思う。だが、初めて気付けたようにも感じた。
オデッサが、記憶の中で鮮明に笑う。声を立てて、軽快に。高いトーンが耳に心地よく、いつまでも野に響く。そんな情景が、視界一杯に広がった気がした。
そうだ。オレと、お互いへの想いを深く語り合うようになってからは、声を立てて笑う事が多くなった。オレはそれが嬉しかったんだ。・・・・そうだ。
胸が芯から温かい。
みんな、同じだ。
失った哀しみでめくらになっても、その人と積み重ねて来た時間と向き合い、新たに立ち上がる強さを得る為に、手探りでも必死で日々模索し続けている。
どんなに迷っても、やがて必ず辿り着ける。
空に向けて手を伸ばして届かなくても、心は満たされる。
そんな瞬間に、きっと。
「・・・ま、しかしなぁ。それだけじゃ腐っちまうよ。オレらぁ生身だもんな。そうだろ」
真剣に語っていたと思ったら、途端、顔一杯にニヤニヤと下卑た笑いを浮かべ、そう続けたビクトールに、オレは勢い良く現実に引き戻された。呆れた顔で奴に向かい、ひとつ、フ、と、ため息をつく。・・・まったく、今までの神妙な態度は一瞬のうちに何処へやら、だ。
らしいっていや、らしいんだが。
いつもなら、ここで奴の下品さに怒り、蹴りの一発もくれてやるところだ、が。
「 ああ、そうだな。・・・・・そうだ」
ビクトールが、お?、と、オレの珍しい反応に目を輝かせ、なんだなんだ、と何かあったのか?と、続けて嬉しげに囃し立ててくる。
何で話が即座にそこに飛ぶんだ、と、顔を顰めてビクトールを見た。何かあっても、教える訳ないだろう、と軽く睨みつつ返すと、奴はそんなオレの様子を見て、何かを優しく語る様に、静かに太く微笑んだ。
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