私は、孤独ではない。
見開かれた眼球の上を血飛沫が滴り、つるりと落ちる。
時間が止まったような錯覚の中でそのさまを凝視してしまい、ああ、私は本当に命の在りようを考えなくてはならないと思った。
この戦いが終わったら。
「うぅわわッ!!」
「レジャン!!」
レジャンが馬上から突き出された槍の先をギリギリかわしたまでは良かった、が、足元に転がる敵兵の死体に足を取られ、泥と血の混じった赤茶けた水溜まりの中に顔から突っ込んだ。バチャン、と、少し重い水音と共に激しく飛沫が上がる。
その後方から再度レジャンに向かい、鋭く繰り出される槍の先を、ノイが慌てて盾で捌いた。嗚咽を堪えるような呻きを上げ、乱暴に顔を拭いつつ立ち上がろうとするレジャンの脇に、ツェンダヌが素早く潜り込み、軍馬の足から逃れようと、人波から少しの隙間を目で探した。
「アスタ!」
私のすぐ脇で必死に剣を振るっていたアスタの名を、低く鋭く呼び目配せをした。アスタが息を切らし眉を寄せつつも、素早く頷いて応え、そちらに向かった。
私は、意識を失いぐったりと揺られるがままになっているトーニャを、重みで痺れてきた左手で再度抱え直し、右手の剣で、私達に向かい馬上から剣を振りかぶった騎兵の鎧の隙間・・脇腹を突いたが、帷子に阻まれ、打ち身程度のダメージしか与えられない。トーニャはまだ息がある。放り出すわけにはいかない。
一瞬だ。いつも。殺すのも、失うのも。
「・・・弓兵構え ッ・・!!」
怒号と喧噪の合間に、城壁の上から王国軍側の号令が小さく届いた。ハッと隊の彼らに目をやると、ケニー達は味方と敵の剣戟の波間に揉まれつつもちゃんと聞こえたらしく、剣を振るいつつも脇より高く盾を構えてそちらを気にしている。アスタ達は・・・・
・・・・ッ!
「ァアッ・・!」
子供が発するような甲高い悲鳴が、唐突な動きに朦朧とする意識に刺さるように届く。
剣を振りつつ背後に目をやると、捌ききれなかった矢の一本が、ノイの右足の太ももに深く突き立っていた。
私は今、危ないと声を出すより早くそちらへ向かい、固まって騎馬の槍を懸命にかわすアスタ達を庇い、降り注ぐ矢を捌いた。捌ききったと、思っていた。
みる間に、ノイの兵服の腰から下が真っ赤に染まっていく。
「大丈夫かっ?!」
「 !!」
慌てて後方のノイに声を掛け、怪我の様子を見ようとその場にしゃがみ込もうとしたと同時に、名を呼ばれ肩を激しく掴まれて勢いよく引き戻された。誰かを確認する一瞬に、頬を強くはたかれた。パン!と高い音と共に視界が激しくぐらついた。・・・・ッ!
「お前何やってる!!カレダンから伝令が届かなかったのかっ?!こんな場所に孤立しちまったら新米のこいつらなんて騎兵の恰好のエサだぞ!!」
「・・・・・・伝令・・」
「この正念場に何ぼんやりしてやがるんだ!!来いっ!役に立たねぇ怪我人を連れて一旦退がるぞ!」
伝令、と言われ、頭が真っ白になった。私は、
「セルエさんっ!さんを責めないでください!オレ達が逸って飛び出したせいで・・」
「うるせぇ!御託はこれが終わってからゆっくり聞いてやるよ!生き残ってたらな!!シェンゼン!」
私とセルエの間に割って入るように体を出し、噛みつくように喚いたツェンダヌに向かい、その頭をバシッとはたき、セルエが隊の副隊長のシェンゼンを呼んだ。トーニャは、セルエの隊でも力自慢のホッズが優しく肩に乗せてくれ、ノイもシェンゼンの脇に抱えられた。ケニー達も敵兵の剣を捌きつつ味方の陣の方角へと退がっていく。
私は、
「さんすみませんっ!オレ、伝令が届いた時にトーニャがやられる姿が目に入って・・」
「お前のせいじゃない。 アスタ、・・脇から血が、・・・・ツェンダヌ、お前も額が、」
「大した事ないです!レジャンが庇ってくれて・・・・レジャンはそのせいで左肩が外れて、それでさっき、」
「・・ッ黙れ。大丈夫だから・・うわっ」
「オラッとろとろしてんじゃねぇよ!行くぞ!」
私の傍らに集まり、こぞって現状を訴えようとしていた彼らの頭を、セルエが叱咤するように再度はたき、レジャンを脇に抱え、そのまま同盟軍陣営の方角へと勢いよく駆け出した。私も、数歩遅れつつも若い彼らの背を支え、そちらに向かった。
私は、
ふいに、皇都の方角から歓声が上がった。
続いて、激しく何かをぶつける重い音。それは大勢の発する怒号と共に数回響き、やがて地響きのような破壊音が再度激しい歓声に乗って、私達に届いた。
音から来る戦況の変化に、私達は立ち止まり、しばらく皇都の方を見つめていた。耳を澄ませて声を聞き分ける。
「・・・先陣が皇都に届いた!ルルノイエ市街地に突入したぞ ・・!!」
「いけぇ ッ!!怯むなッ・・このまま突き崩せ ッ・・!!」
「・・セルエ!」
「ああ!!」
私達は互いに目を見交わせて、大きく頷いた。隊の面々の間から、歓喜の叫びが上がり、体力の限界に怯んでいた目の光が、瞬く間に力を増していく。
「・・・・・・終わる・・!」
「やっと終わるんだ・・・!!」
若い彼らが口々にそう呟き、顔一杯で勝利の喜びを表現した。安堵の溜息をつく者もいた。
だけど。
「・・いいや。まだだ。これからだ」
「えっ?」
私が静かに言い放ったその一言に、その場にいた皆が弾かれるようにこちらを見た。
私に向けられる視線の戸惑いが、各々の戦歴の違いを表していた。・・シェンゼンとホッズは、私の言葉に、とても太々しくニヤリと笑った。
「・・アスタ、みんなを連れて治療に退がるぞ。王国軍は今までより更に死にもの狂いで、捨て身の攻撃にかかってくる。少しでも早くこの戦いを終わらせる為にも、セルエの隊の面々は市街地の敵兵殲滅に必須だ。セルエ、すまなかった。行ってくれ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
私が低い声色で一気にそう言い募ると、セルエが私の心中に在るものを伺うように、私の顔をジッと見つめた。
私が表情を変えず彼を見つめ返すと、セルエはフン、と鼻を鳴らし、抱えたままだったレジャンをその場にやや乱雑に降ろした。レジャンが肩の痛みにウッと呻き、顔を顰めてその場に座り込む。ツェンダヌがその傍らにさっと駆け寄った。
「 お前は来るなよ。この正念場にお前みてぇなぼんやりはいらねぇ。・・シェンゼン!」
「おう!・・・ぼうず、今ならまだ足を無くさんで済むからな。すぐに治療してもらえ。矢は勝手に抜くなよ」
シェンゼンが威勢の良い返事で応え、すぐに、脇に抱えていたノイに向かい穏やかに微笑い、そう忠告しつつ、そっと彼を地面に降ろした。その後セルエとサッと視線をかわすと、二人共そのまま皇都に向かい、一切の淀みなく駆け出した。
そしてホッズが、トーニャを肩から静かに降ろして、私にゆっくりと手渡した。
私は、背から血を流しぐったりしているトーニャを、赤ん坊を抱えるように大切に抱いた。
「・・、こいつはもういかんかもしらん。助けたいなら一刻も早く診せた方がいい。こいつらも・・聞いてくれりゃ、もう戻らせん方がいい」
最後の忠告は、若い彼らに聞こえぬよう、私の耳元で小さく呟いてくれた。絵空事ではない戦場の現実を、幾度も駆け抜けてきたホッズの当然の配慮に、私は心からの感謝を込めて、彼を見つめて深く頷いた。
「分かった。ありがとうホッズ。・・・私もすぐに行く」
「 ・・ああ。待ってるぜ」
目尻に濃い皺を何本も滲ませ優しく微笑い、ポン、と私の肩を叩いて、そのまま振り返らずに皇都へと駆けて行った。
「・・・アスタ、トーニャを背負えるか」
「はっ、・・はい、あの、」
「ツェンダヌ、レジャンの右側に。ケニー、ルノ、ノイを両側から支えろ。ゼシュー、エリック、ヴィングと前を行け。残りは二手に別れ両側に、私達のように、戻る負傷兵にそれぞれ手を貸せ。・・振り返るな。行くぞ!」
私の号令と共に、あわあわと浮き足立ちつつも、言われたようにそれぞれが順に駆け出した。後方の同盟軍陣営に向かい、私達を追う敵兵はもういない。今、全ての王国軍が、ルルノイエ市街地へと、そしてその城内部へと結集しつつあった。
そして、それを墜とさんとする、我らが同盟軍の勇者達も 。
味方の陣営にあと僅かへと近付いた時、ふいに、アスタがちらと顔だけで振り返り、不安げに私を見た。
それは、置いていかれる事を恐怖する小さな子供の目だ。
だから私は、敵兵の血飛沫にまみれた顔で、母親のような無償の笑みを作り、それを彼に真っ直ぐに向けた。
途中、幾人かの負傷兵を拾い、手を貸しつつ、やがて同盟軍の陣営に辿り着いた。治療に使われる天幕は大きい物が合わせて5つ張られていて、重傷者から、一番手前の天幕にいるホウアン先生の元に運ばれていた。
私は、肩を貸していた負傷兵をゆっくりとその場に座らせ、それぞれ負傷兵に手を貸し肩を貸し、必死で走ったせいでゼイゼイと息を切らす隊の面々に向かい、強めの口調で言った。
「アスタ、怪我人を全員連れてホウアン先生のいる天幕へ。動ける者は私と共に周辺の負傷兵のサポートに回るぞ」
「さんっ!・・ハァッ・・オレは大丈夫ですッ!トーニャはルノに、ハッ・・オレはこのまま・・ハァッ・・・」
アスタがトーニャを背負ったまま、慌てて私の元に駆け寄り、必死でそう言い募った。赤い顔で眉を寄せ、縋るように私を見るアスタに、ギュッと胸が締めつけられるように痛んだ。
「・・・・トーニャを診てもらい、自身も治療を終えたら、戻る負傷兵のサポートに入れ。・・アスタ、すまなかった。みんなも、・・私の、力不足だ」
「そんな・・オレ達が勝手に緊張して訳分かんなくなって飛び出してってこんな事に・・」
「さんは何も・・・・」
「そうですよ・・!オレ達・・」
私の至らなさを庇い、比は自分達にあると口々に言う彼らの言葉を、私は、自分への怒りの衝動から、冷静に聞いていられなかった。慕う私へと真っ直ぐに向けられる澄んだ心に焦れて、それを強い口調で遮った。
「だが!・・お前達にもまだ重要な仕事が残ってるんだ。ここで喋ってる暇はないぞ。傷を負って戻る同胞を一人でも多く、城で待つ家族の元に生きて帰そう。・・・アスタ、さあ、早くトーニャを。動ける者は二手に別れよう。ゼシュー、あっちはお前が指揮を執れ。残りは私と共にこっちだ。行くぞ!」
「はいっ!」
「アスタ、トーニャを頼んだぞっ!」
「ノイ、早くそれ抜いてもらえよっ」
それぞれが残る者に声を掛け、汗を散らしつつ再度皇都の方角へと駆け戻る。
背後で、アスタやノイや、ツェンダヌが泣いている気がして、振り返って早く治療へ行けと喚きかったけれど、今共にルルノイエの方角へ駆け戻っている面々の為にも、彼らの気勢を欠く事は出来なかった。
意識を前へ。それぞれが為すべき事のためにも。
駆け戻りつつ負傷兵に手を貸す私達の眼前で、敵兵がだいぶバラけてきていた。もう同盟軍に対し戦う意気も失われ、剣を捨て逃亡を選択した兵達の姿も端々に見える。
誰の目にも、勝敗の行方が明らかに決し始めた。ルルノイエの上空が、方々から上がる煙で白く霞んでいる。
それでもまだ、城周囲の喊声はどこよりも一際大きく、途切れる事が無い。王国軍側にまだしぶとく防戦し続けている部隊が残っているのか。だが突入する同盟軍側の勢いに、徐々に、確実に圧されている。
・・・・・・・・・・・・・。
「ヴィング、私は市街地の敵兵殲滅に上がる。ここは任せた」
「えっ?!ぼ、ぼくが?さん、そっ・・それは・・」
腹をやられて蹲っていた負傷兵に手を貸して、陣営へ戻ろうとしていたヴィングにそう声を掛けた。女の子と見まごうほどに透けた肌に、泥と血飛沫が何かの模様のように散っている。栗色の瞳がこちらへと向かい、目一杯見開かれていた。
「・・この後、こっちに戻る負傷兵の数はどんどん多くなる。お前達の仕事は更に重要性を増してくる。一人でも多く・・・同盟軍の城に、家族の元に生きて帰れるように、怪我の度合いを見極めて、重傷者からホウアン先生のいる天幕へ誘導する。 頼めるな?」
「でっ・・でも・・!」
「もう終わる。あと少しで、心から笑える日が来るんだ。お前も笑って、母親の元に帰る。成し遂げたと、誇らしく。そうだろう?」
「・・・・・・・・・・・・・・・は、はい!!」
『母』と聞いて、パァッと顔を綻ばせる。
トーニャにも待つ母がいる。
どうか生きて、家族の元へ帰れますようにと、祈りを込めて、ヴィングの肩を両手で抱いた。
再度、頼むぞ、と静かに彼の顔元で呟いてから、私はルルノイエへ向かい、振り返らずに駆け出した。
「ハアァッ!!」
「グァッ!・・・ッ・・」
大きく横に振りかぶった剣を斜めに叩き降ろすように、兜の端境から首を狙う。そのまま後ろではなく前へ突進し、勢いで次の敵の顔を狙う。兜正面の隙間、鼻の下から口。
「ギャアアァ・・ッ・・」
なりふり構わずただ剣を振り回していたい衝動が私を強く猛らせる。だが今はそれではダメだ。今は、敵を確実に殺すか、戦意を完全に消失させないと。
ザッ、という皮膚を切り裂く音と、ガリッという骨を削る音が、淡々と通り過ぎていく。・・・息が切れてきた。熱い・・鎧を捨てたい。
頭のどこか、冷静な部分が私に静かに語りかけてくる。
最後だ、最後だと彼らにたきつけてここへ来たけれど、綺麗事を語るその口の端で、私は彼らに選択肢を決して与えなかった。道はひとつだと、大儀の為に出来る事をしろと。
どうせ飾りたてるなら、自らも生き抜く為に、と、笑顔で付け足せばよかった。今の私ならきっと、完璧なまでの微笑みで言えただろう。
「 ああっ!!」
熱さに苛立ち、我慢出来ずに兜を外し、前から突進してくる若い敵兵の顔に思いきり投げつけた。予想だにしない攻撃に、その敵兵士は鼻っ柱に兜を正面から受けて、鼻血を吹いてもろに後ろにすっ転んだ。勢い鎧も外し、斜め横にいた敵兵に向かい、ぐるりと振り回してから遠心力を付けて投げつける。この兵士はこっちをまったく見ていなかったので、唐突に飛んで来た鉄の固まりに後ろ頭をガンとやられ、そのままバタッと地面に顔から突っ伏した。・・・鎖帷子のみになると、汗ばんでいた体に風が通るようになり、その涼やかさからか自分への苛立ちが少しずつ抑えられてきた気がした。
市街地へ入ると、そこはまさに地獄絵図という様相だった。足の踏み場も無いほどに、敵も味方も死体が路地に転がり、その端を這いずりようやく生きている者も、剣戟をしつつなだれ込んでくる兵士達に容赦なく踏みつけられ、激痛から高い悲鳴を上げる。火を付けられ燻り、燃え広がる街並みから飛び出してくる、人であったであろう固まりが、花が咲き乱れる庭で転がり頽れ、絶命する。
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
私が言ったのは所詮綺麗事だ。それでも、・・・・彼らにこれを見せずにすんで、良かった。
戦いなどなければ、・・本当なら、一生涯見ずにすむ光景なんだ。悲鳴も、匂いも、呪いのように我が身に降りかかる自己嫌悪の責務も、戦いなどなければ、知らなくていい事なんだ。
ふと、城壁の隅に固まり震えている市民数名を見付け、私は我に返り、剣を振りつつそちらへ近付いた。真っ直ぐに自分達の方へ向かってくる、敵である同盟軍兵士の私に気付き、彼らは悲鳴を上げて壁に張りついた。
「こっ・・来ないでぇ ッ!!」
「来るな!!こっ、こっちに来るなッ、この悪魔どもめッ!!」
「お父さん怖いっ・・怖いよぉおッ・・うわあぁ ん・・!」
ヒュッと背後で風が鳴った。私は体を勢い良く右へ反転すると同時に、背後から迫っていた敵兵の頭を右足の踵で思いきり蹴った。ゴッ、という鈍い音と共に横にぐらつく敵兵の顔を、そのままの勢いで今度は横から、左足で強く蹴りつける。頭を続けざまにひどく揺さぶられて目を回し、その兵士はそのまま横にドッと倒れ込んだ。壁に沿い震える市民達から恐怖の悲鳴が上がる。
私はその場所から剣を城門の方へ向け、低い声で唸った。
「悪魔でもなんでもいい。生きていたければ急いでここから出ろ。逸った兵士に無惨に斬り殺されるか、燃え盛る炎に食い殺されたいか! 急げ!!」
最後は激しく喚いてしまった。余裕が無くなってきている。体力、というよりも・・精神的に、か。
炎を背負い、自嘲気味に口の端で笑う私の姿は、より悪魔らしく彼らの記憶に刻みつけられた事だろう。でも、それでも、誰だって命は惜しい。彼らは私から目をそらさずに睨みつけつつも、壁に沿ったまま、這うように城壁を伝い、なんとか城門の外へと出ていった。
必死で剣を振りながら頭の隅で考える。
一人倒して、周囲を見渡し、敵を見付け、また一人。
刹那、目の届く限り全てで、自分と同じように戦い続ける同胞の姿 、体力の限界をとうに超えていても、これが最後と、皆が奮起している。
生きたい・・と思えば恐怖が支配する、当たり前の感情の流れを今だけは体の奥底に押し留めて、更に更に、と、前へのみ突き進み続ける。
路地に転がる屍の中から知った顔の面々を見つける度に、足元がひどくふらつく。
絶えない剣戟の合間に、目の端に映る彼等の血だらけの顔に、何故か未練は無いように感じた。
どこか誇らしげな口元。
最後の戦い、と、はっきりと確信しているから、だから、悔いは無い、と。
「ハァッ・・・ハアッ・・ハッ・・・フッ・・・・・・ッ・・」
自分の息切れの音が、一番煩いと感じ始めた。限界を訴える鼓動が耳の奥をガンガン叩いている。剣は重く、切れ味も落ちた。突き入れた敵兵の腹の肉の筋が粘り、絡んで抜きづらい。既に絶命したその体を踏みつけて、剣を引き抜く。・・・・ああ。朦朧とする。
ウワアアァ ・・・ッ!!・・と、唐突に城の方角から歓声が上がった。ゴゥ・・ッと地響きを上げて崩れ落ちる王城から、同盟軍の旗が駆け出し、勝ち鬨を上げている。城が・・墜ちた・・・?
「・・・・・ッ・・ッ?!」
ぐぅっ、という鈍い重みが、唐突に脇腹を襲った。
無理矢理こじ開けられた腹の肉に、焼けるような衝撃が全身を覆い、キツく目を閉じて、痛みを逃そうと抗った。
石畳の路地に膝をつきそうになり、帷子を突き抜け腹に刺さった槍の柄を、グッと握ってなんとか堪えた。顔を上げると、ツェンダヌと変わらないくらいの年頃の・・・王国軍兵士。口をキツく引き結び、気丈なフリをしているが・・目に涙が滲んでいた。
「・・・ッァ・・・クッ・・・・ッ!・・・」
呻きを堪えられない事が恥ずかしい。それでも必死で、槍を自分の腹からゆっくりと引き抜いた。力が抜けてとうとう路地に膝をついてしまったが、柄を強く握っていたせいで、勢い彼の手から槍を奪う事が出来た。
武器を奪われた事にも気付かず、涙目で私を凝視する彼に向かい、槍の柄の中心を膝の下に敷き、自分の体重を支えにバキッと半分に折って、眼前に軽く放ると、石畳に、カランと乾いた音が数回鳴った。
「・・・もう、終わったんだ・・・・・・・・分かるか・・・?」
呼吸を整えつつ、彼に向かい、そう呟くように言った。出来るだけ平静を装い、片手で穴の開いた脇腹を押さえ、どこか遠くへ・・、と、言い残し、彼から背を向けた。
手当をしなければ。
一歩、前へ足を踏み出す度に、ズン、と、殴られたような衝撃が腰に響く。
でも、立ち止まる訳にはいかない。だって、もし、・・もし、後ろから、陣営に戻る、ビクトールさんやカレダンや、セルエや・・・
フリックさんに、・・・見られたくない。こんな・・・みっともない姿・・・・・。
「ハァ・・・・ハァ・・・ハッ・・・ハァ・・」
呼吸がだんだん荒くなってくる。息苦しさがどうにも募り、立ち止まって休もうかとも考えたけれど、アスタやツェンダヌはどうしているだろうかとか、ノイの足の怪我や、トーニャは助かったのかどうかが気になってたまらなくなり、余計に気が逸って、どんどん早足になった。痛みに気持ちが勝ったか、それとも、大した怪我じゃ無かったのか、ハアハアと激しく息切れをしつつも、なんとか同盟軍陣営まで、自分の足で辿り着いた。出血にフラつきつつ、あまり返り血と見分けがつかないくらい血で汚れている自分になんとなくホッとして、押し寄せる怪我人の群を掻き分け、ホウアン先生のいる第一天幕を、ごった返す人の頭の隙間から覗いた。
天幕の一番奥で、看護の女性に話しかけられているノイの姿が見えた。隣のベッドに、トーニャの後ろ頭が見える。ノイの表情は緊張を解かれ、和やかに緩んでいる。・・・じゃあ、トーニャも助かったのだろう。・・きっと。
ふいに、目の前が霞んだ。手の甲で軽く擦りつつ、ゆっくりとそこを遠ざかった。
私の怪我は・・・どこの天幕へ向かえばいいのだろう。
出血でフラつきながら、手当を求める兵士が並んでいる列に向かう。最後尾に回る途中、腕を怪我したと見られる兵士に声をかけられた。
「おい、あんたずいぶん血みどろじゃないか。大きな怪我じゃないのか?それなら第一天幕の方へ・・」
「・・ああ、これは殆どは返り血で、私は大した怪我じゃないんだ。大丈夫。列の後ろで大人しく順番を待つよ・・・」
笑顔でそう返し、手を軽く振って、列の最後尾へと向かい、ゆっくりと歩いた。
頬を撫でる風が、冷たい。
列の最後尾まで来たけれど、なんだか無性に一人になりたくなって、足は重くてたまらないのに、衝動を堪えきれなくて、鈍くなってきた片足を引きずり、人も疎らになった陣営の外れまで辿り着いた。周囲にあまり人気が無い事を見越して、木にもたれ掛かり、根元に座るつもりが、そのままパタリと後ろに倒れてしまった。
視線の先の空は、一杯の夕焼け。
空と嶺の境を、暁が支配している。
青と赤とその濃淡を示す色達が見事に混じり合い重なり合い、まるで子供が遊んだ痕の様な不条理さで散らばるのに、その造形が溜息が出るほど美しいのは。
ただ見ているだけで、涙が出る。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・ッ・・・ っ・・・」
切なくて、切なくて、切なくて!!
首筋へと、ふいに落とされたキスに、フリックさんの唇の熱さに、そのまま流されそうだった。
けれどあの時、あのまま彼と口付けを交わしたとしても、彼は私を見ない。
その事実に気付いた時、自分が哀しいより、今以上彼を傷つけたくないと思った。
フリックさんの心の中を支配するオデッサさんへの想いと、どう足掻いても並ぶことさえ出来ない自分に、もう、諦めが頭を擡げた。きっと、彼ともうこれ以上のことは無い。諦めるしかないんだと。それが彼にとっても、私にとっても、きっと、一番、穏やかな結末だ、と。
・・・・それでも、もうこんなにも彼でいっぱいになってしまっている私の心の中は、彼への想いをなんとか抑えようと小さく、小さく蹲り胸を必死で抱えても、それでも、呻く事を止めないでいる。
どうしても、もう一度、・・・もう一度でいい。もう一度だけ、抱きしめてほしい。私の名を呼んで、背を撫でて、・・・・・・・・そんな時間に、この先へ、明日へと、道は続いていると、・・・信じたい・・!
忘れる事が出来るのなら、もう、とっくに・・・・・・・・!!
涙が溢れて、止まらない。何がそんなに哀しい。どうしてこんなに・・・・・・・・・・・・・
「・・っふ・・ っうー・・うっうぅ・・・・・ッ・・・」
必死で嗚咽を堪えていると、耳鳴りがひどくてたまらない。込み上げてくる吐き気を飲み込み、少し落ち着こうと浅く深呼吸した。
空を見て、気付いた。
沢山の、鳥の群。・・・・餌を求めて?・・・・ああ、・・・・死肉に・・・・ ・・・
私、も。
死ぬ?
「・・・・・、・・・・・・・・・・」
突如訪れた、痺れたような感覚に戸惑い、慌てて刺された脇腹に手をやると、湿って澱んだ音がした、気がした。
聞こえたのか、聞こえなかった、・・のか。
傷を撫でても、そこに傷がある、だろう・・としか、分からない。もう、痛みも感じない・・・
耳鳴りがひどい。
考えなくては。
考えなくてはならない事が、たくさんあった。やらなければならない事も、明日のこの時間には、何をしなきゃならない?
・・・・ああ・・・・キレイな空・・・・。
『今は・・・オレが、お前を、支えてやる・・・』
『・・・・オレは、・・・・・・・嬉しかった。お前に、好きだと言われて、』
『生きよう』
『・・・・・・・・・・・。また、な』
「フリック・・さ・・・ ・・・・」
私は、孤独ではない。
触れた手のひらの温かさ。
かかる吐息の柔らかさ。
穏やかないたわりと共に耳に届く、全てが満たされる言葉たちを思い出し、つい誘われて、口元が緩む。
微笑っているのだ。自分は。
血塗れで。
可笑しい。私。
ああ。
戦女神と詠われた彼女。
きっと、今の私と同じ笑顔だったに違いない。
最後には、
視界も何もかも、全てが、血塗れで、微笑って。
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