バサッ、という音と共に天幕の出入り口が捲られ、朝日の白い筋が、線条から斜めに大きく広がり、オレとの足元を目映く照らす。
「・・・きったねぇツラだなオイ。・・髭剃ってこいよ。ついでに水浴びてこい。もひとつついでに服も着替えて、いつが目ぇ覚ましてもいいように身支度整えとけよ」
皮肉屋を気取って、口の端でニヤッと笑った。・・・だが、オレは知ってる。ヤツも彼女の事が心配で、まともに眠ってないって事を。

「・・・・・・朝方、少しだけ目を開けた。うっすらとだが・・・・オレを見たよ」
「本当か?!」
「ああ。脈もだいぶ強くなった。・・・・もう少ししたらホウアンかトウタが様子を見に来るだろう。・・オレが戻る前に来たらそう伝えてくれ」
「分かった。・・・・そうか。・・良かった・・・」
ビクトールが呟くようにそう言って、フゥ           ・・・、と、長く息を吐きつつ、首の後ろに手を回して固く目を閉じた。オレは天幕を出る際に、奴の肩をポンと一度軽くはたき、水場に向かった。






皇都を陥落してから、2日目の朝を迎えた。
移動可能な兵の半数は、タローとアップルと共に今日、同盟軍の城へと戻り、明日の午後には、残りの兵の半数が移動を始める。
もうそろそろ、今も眠りの中にいる多数の重傷者達が、死ぬ者と生きる者の境を、その結果を持ってはっきりとオレ達に示し始める頃だ。
助かる者は、目覚める。今まで幾つもその境を目にしてきた。それが命の理だ。


「・・・・・・・ハァ・・」
ピシャン、と、雫が頬を伝い、顎から手の平へ落ちる。水がとても心地よく、オレは誰かに見られるのも構わずその場に素っ裸になり、頭から何度も水を被った。大人2人分はあろうかという大きさの水桶が、みるみる空になる。川から汲んできた奴らに申し訳ないな、と思いつつ、止められなかった。
バシャッ、バシャン、と、足元に散らばる飛沫が、オレになにかを思い出させようと、寝不足の頭に働きかけてくる。
なんだろう。なんの情景だろう。水・・・・・・              ・・・

「ゲッ!朝っぱらから男のケツなんざ見たくねぇ!!・・お前、何やってんだそんな、・・・・・・・・・・・・・・・気持ち良さそうだな」
「・・・セルエ、」
後ろから、目の下にくっきりと隈を作った男が話しかけてきた。
セルエもしばらくシェンゼンに付きっきりで、傍を離れなかったと聞いた。シェンゼンは夜中に目を覚ましたと、新しい混合湯を持って来てくれたディエラが言っていたか・・・。
「シェンゼンの様子はどうだ?」
「ピンピンしてるよ。あのジジイの回復力っつったらお前、・・ありゃ人間じゃねぇよ。さっきなんざ、看護の女が、朝食には薄いスープしか飲めませんっつってんのに具が無いっつって騒いでやがんだぜ。目ぇ覚ましたばっかだってのにまったく・・・」
「・・そうか。・・・良かった」
「・・・・・・・・・オレもしよ。おい、もちょっとそっち動けよ」
「なん・・・、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・確かに、朝っぱらから見たいもんじゃないな」
セルエはそう決断したが早いか、パッパッと手早く服を脱ぎ、水桶から少し離して放ると、近くの木に掛けてあった手桶を取った。オレが、セルエの裸にうんざりしてそう返すと、奴が、そうだろ、と笑いつつ、ザッ、ザバッ、と、頭から水を被り始める。オレ達の足元を何度も、景気良く飛沫が舞った。


ああ、そうか、・・・・・・
がオレを少し屈ませて、・・バンダナを・・・・・・



「・・・・いつものアイツじゃなかった」
「?・・・なんだ?」
の看病はずっとお前がしてるって聞いてる。あいつのぼんやりの原因はお前か?フリック」

                               









「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



セルエが、視線で射抜くように、鋭くオレの目を見ている。




「・・・・・そうだ、と言いたいが。・・・情けない事に、オレはまだ、彼女に何も伝えていないんだ」


セルエが、少し驚いたように軽く目を見開いた。
その後、一度少し眉を寄せ、それから、何か、哀れむような視線に変化した。



オレは今、どんな顔をして言ったんだろう。






「・・・フン、」
セルエが、軽く鼻を鳴らして半目になり、口の中でボソッと、バッカみてぇ、と呟いた。
直情にバカだと言われて、オレは、・・確かにそうだ、と、男としての、事のあまりの情けなさになんだか可笑しくなり、クッと笑って、そうだな、と相づちを打った。















「・・・・オイオイ、勘弁してくれよ・・」
髭を剃って服を着替えてから、の居る天幕に戻るなり、オレはそう呟かざるを得なかった。
天幕の外にも響くほどの大いびきが、ビクトールの様子を周囲に知らせていた。そりゃ、ちゃんと眠れてないのはお互いさまだが、それにしたって安心するにもほどがある。
オレはしかめっ面で天幕の出入り口を捲り、に付き添う人数が増えている事に気付いた。ビクトールの傍らに一人、・・ツェンダヌと言ったか。腕を広げた奴の脇に挟まり、熟睡している。
そして横になったを挟んで、もう一人。コイツの名は何だったか・・・。足を怪我していて、まともに歩けるまでにはだいぶかかるだろうとカレダンが話していた。杖代わりの木の棒を股に挟んでぐっすり眠り込んでいる。
「まともに看てないじゃないか・・・・ったく、ははっ・・」
オレはコイツらの熟睡っぷりに大苦笑して、しばらくこのまま寝かせてやる事にした。が、ビクトールのいびきの凄さに眉を顰めて起きればいい。目覚ましがわりになればいい、と、             そこまで考えて、彼女の顔を、表情の変化をじっと、じっと見つめ、そのままで、しばらく過ごした。






「・・・・様子はどうですか?・・わっ、・・すごい状態ですね」
バサッと幕が捲られる音にハッとして、そちらを見た。・・ついぼんやりしていた。
訪ねてきたが、そのままそこでしゃがみ込み、さっきのオレと同じく、天幕の中の状態を見つめて苦笑している彼に向かい、軽く咳払いをして、話しかける。
んっ、・・・・ホウアン、・・お前の目の下の隈もすごいな。大丈夫か?」
「ええ。私はこの後天幕に戻ったら仮眠の時間を頂きますから。ずっと任せっきりですみませんでした。ディエラから逐一様子は聞いていましたが、」
「ああ、じゃあ今朝はトウタが来たんだな。ビクトールの話は聞いたか?」
「ええ、聞いています。目を開けたそうですね。脈も・・・・」
話しながらこちらへと、道なりに広がるビクトールとツェンダヌの足を跨ぎ、やっとここまで来られました、と笑いながら、の体の脇に座り込むと、彼女の首筋に手を沿わせた。
しばらくの沈黙。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・まだ弱いですが、でも、だいぶ戻りましたね。もう大丈夫でしょう。・・あなたも、もう眠っても大丈夫ですよ」
「ああ、・・・分かってる」
言われて、思った。ホウアンの口から大丈夫だと聞くと、やはりホッとする。

傷を縫い合わせてから少し後に、の鼓動はもう一度止まった。
その時のホウアンの動きは凄まじかった。オレ達には、心の臓の鼓動を戻すには、垂直に両手を重ね、力加減に気を付けて、手の平で胸の中心を丁寧に繰り返し押せ、と穏やかな笑顔で教えたくせに、自分は、そうと気付いた瞬間、指を組んだ両手の拳での胸の中心を、彼女の体が揺れで軽く浮くほどに、思いっきり数回叩きつけた。普段の穏やかな物腰とあまりに違う彼の姿に、その場にいた全員が、心底驚いて唖然として彼を見つめた。
その後、弱くはあるが、すぐに再び鼓動が戻り、皆がホッと息をついた時、ビクトールが、あれでよくあばらが折れねぇよ、と呆れた顔で呟いた。すると彼はにこやかに笑い、コツがあるんです、としれっと言った。
医者には変わり者が多いとは言うが・・・・・本当だとオレは思う・・。

首筋で脈を取った後、そのまま流れるように毛布を捲り、の服を胸の下まで捲り上げ、腹のあて布の端だけ外し、触診する。胸の谷間に手を入れて鼓動を確かめると、得心がいった、というような顔で頷きつつ、サッと服の裾を戻す。
ホウアンの手元をぼんやりと眺めながら、その時の事を思い出していたオレに対し、ホウアンがゆっくりと姿勢を正して座り直して、・・・医者である彼にとっては、ずっと気に掛かっていたんだろう・・事を、静かに問うてきた。

「フリックさん、・・・聞いてもよろしいですか?」
「・・ああ」
「あの時あなたが彼女に施した紋章の力はいったい、・・」
「・・・・・・すまん、ホウアン。正直、・・・オレもよく分からないんだ。あの時、どうしてあんな事が出来たのか・・・。ただ、もう2度と同じ事は出来ないという確信はある。はっきりとだ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」

あの時同じ天幕にいた奴らからの問いは、オレに対しては何も、一度も無い。オレがにつきっきりで、表情の無い顔で黙りこくってるからか、もしくはそれぞれ忙しくしていてそんな暇も無いか、あるいは・・・・・ビクトールが、適当にうまく話して聞かせてくれているか。






あの時、・・・・オデッサの声が聞こえなかったら。
彼女との時間を、あの会話を思い出さなかったら。
・・・・・あんな事、可能性のひとつとしてもチラとも考えなかっただろう。きっと、・・・オレは呆然と、動かなくなったの頭を抱え、そのまま、・・・・・・・・・考えたくもない結末だ。

もう2度と出来ないという確信は、時間の経過と共にどんどん強くなっていく。何故かは分からない。もう2度とこんな事起こってほしくないという願いからなんだろうか。
死、という言葉が繰り返し脳裏を渦巻き、虚に囚われかけた自分の意識が、あの瞬間を思い出す事を拒否している。今は、無理だ。今は、まだ                



「・・・そうですか。分かりました」
ホウアンの、口調は静かだがはっきりとした返事に、つと現実に引き戻される。オレはゆっくりと顔を上げ、ホウアンの顔を見て、すまんな、と、ぼそりと言った。ホウアンが、笑顔でうんうん、と頷く。
「では、あの時の事は、フリックさんの、さんへの強い愛が起こした奇跡、という事で締めておきましょう」
「!・・・・、・・・・・・・ホウアン、お前時々ちょっと・・」
「え?」
言われた事に、ブアッと自分の顔が紅潮するのが分かった。よくそういう・・・臆面もなく、当人の前で、・・何か言って返してやりたいが、照れ臭くて恥ずかしくて、しかし否定するのも・・と、どうしたもんかと口をぱくぱくさせていると、
「・・ブッ」
「!!」
「あ、ビクトールさん、目覚められたんですか?おはようございます」
「ビクトール!!てめっ・・本当に趣味の悪い奴だな!起きてるんなら起きてると・・・ッ」
「てッ、す、すまんすまん。いや、いい話でした。・・イテッ!!痛ぇってそれは!」
オレは胡座をかいて座り込んでいた足を目一杯伸ばし、を挟んだ向こう側で横になったまま、愉快気に吹き出したビクトールの足を思いっきり蹴った。爪先しか届かないのが癪に障って、熱に浮かされたがもどす事があるかもしれないからと、用意していた空の桶を思いきりぶん投げてやった。ビクトールの頭からガコン!と小気味いい音が響いて、ホウアンが声を立てて笑った。













雑務の合間にの様子を見に寄ったカレダンに、ついでに晩飯のパンを渡され、オレは、外がもう薄闇に包まれ始めた事を知った。
カレダンにの様子を話し、カレダンから、同じく雑務に追われるディックからの伝言を受け取り、合間にパンを咀嚼し、飲み込む。挟んであったベーコンを見てカレダンが、昔、が、リィバーとの賭けに負けてベーコンの大きな固まりを食わされて、次の日胸焼けで訓練を休んだ事があった、と笑いながら教えてくれた。・・笑いながら食べ、美味いと感じる食事に、が早くまともに食事が出来るようになればいい、と心底思った。は何が好きなんだろうか。・・・・・オレはそれすら知らない。




カレダンが天幕を去り、暫く後に、ディエラが両手に水薬と混合湯の器を持ち訪ねてきた。オレはゆっくりと立ち上がり、そちらへ歩み寄りつつ彼女に声を掛け、出入り口の幕を捲って、両手で器を受け取りながら、さっきホウアンが診てくれた事を伝えた。
ディエラは頷いて返し、その場所からの顔色を少し見て、笑顔で次の仕事へと返っていった。


オレは、何度もそうしてきたように、の頬を撫で、一度呼びかける。

「・・、」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」

今までもそうだったように、返事はない。自力で飲む力が戻ってきているか確認の為に、背を支えての体を少し起こし、オレの肩に彼女の頭を乗せて、首を支える。顔が少し上向きになったせいで僅かに開いた唇に、器の端を付けて、人肌に温めてある混合湯を、少しだけ流し込む。
「・・・、・・・・・・・・・」

・・・・・今までよりは、口に入った何かを飲み下そうと、反応している様が喉の動きで見て取れる。口を閉じて・・・

「っ、ゴホッ!ゲホッ・・ッ・・・・・・」
「!、大丈夫か??・・・・・・・・・・、・・・・・・・」

ヒュウ、と吸って、ハア・・、と、ゆっくりと息を吐く。オレは器を慌てて足元に置き、その手での喉元をさすりながら、しばらく様子を見たが、目を開ける気配は無い。
「・・・・・・・・・・・・・・」
オレは、彼女の体を再度布団にゆっくりと寝かせ、枕をずらして外し、首の下に折り畳んだ着替えを入れた。混合湯の器を自分の口に持っていき、軽く含み、の頬を支える。・・口付けてから、頬を支えた手の親指で、顎を少し押し、唇をやんわり開かせる。

「・・                    ・・・・、・・ッ・・・・・」

全て移して、少し顔を上げると、が、ほんの僅かだが眉を潜めていた。喉の奥に流し込まれたものを素直に飲み込み、けれど自分の感覚に意識がきちんと伴わず・・といったところだろうか。
それでも、反応が増えてきた事が嬉しい。オレはもう一度混合湯を口に含み、口付けて飲ませてから、器を枕元に置き、隣に置いていた薬の方の器を取った。



『      あいつのぼんやりの原因はお前か?フリック     』






「・・・・・・・・・・・・・・」

唐突に。本当に唐突に、朝のセルエの言葉が脳裏を過ぎった。器を持ち上げた手から、そのまま取り落としそうになって慌てて下に置き直した。零したらことだ。危ない・・。・・・・・・・・・・・・・。




「・・、・・・・薬だ。・・」

今度は淀みなく、            もう一度、薬の器を持って、全て口に含む。さっきと同じように、の頬を支え、口付ける。顎を少し押して唇を開かせ、流し込む。

オレの口の中にあった液体が、オレの舌を伝って、少しずつ彼女の喉へと運ばれる。





出陣の日、ビクトールからの隊の様子を聞いて、勝手に、大丈夫だと思っていた。

前の夜、オレのした事で、そこまでの動揺がの心の中にあった。

彼女をひどく傷つけていた事実が、様々な感情をオレの中に呼び興し、オレは出口の無い衝動に圧され、頭の中で意味のない事をただ喚き、狂おしさを逃そうとした。



薬の苦みが、じわりと広がる。もう、慣れたと思っていた。でも、今はどうしても堪えられず、
オレは、



「・・・・っ・・・・・・・・・・・ん・・・・・・・・・・」

チュ、と、わざと音を立てての上唇を吸うと、彼女の肩が微かにピクリと震えた。そのまま、唇の僅かな隙間を縫って、深く舌を差し入れると、オレからの接触をその舌に感じ、喉の奥に残っていた少しの液体をくっと飲み込み、空気を求めて、ハァ、と息をつく。
の目は閉じられたままで、けれど彼女の唇の熱は、絶えず流れる血の温もりをオレにしっかり告げていて、
オレはそのままゆっくりと、顔を傾げてより隙間無く、彼女の唇をオレの唇で塞いだ。


「・・・ふ・・・・・・・・っ、・・・・・」



オレがゆっくりと舌を動かすと、その度に彼女の体の何処かが震え、合わさった口の端から柔らかな吐息が漏れた。
オレはそのたびに突き上げてくる甘い衝動にたまらなくなり、そこから自分を切り離す為に、一旦気持ちを堪え唇を離し、顔を上げた。

「・・・・・、・・?」
の瞳がうっすらと開いて、オレを見ていた。
彼女の半身を覆うように被さっていたオレの腕に、その頬を支える手に、やがてゆっくりと、彼女の手が添えられる。
          ・・・・・?」
やっと意識がはっきりしてきたのかと、オレは彼女の名を縋るように呼んだ。
けれど僅か一拍ののち、彼女の瞳はまた、ゆっくりと閉じられた。代わりに、小さく、小さく、消え入るような微かな音で、オレの名を呼び、
出陣の前の夜のように、指の腹でオレの手の甲を、優しく、そっと撫でた。
柔らかく閉じられた目蓋と、その行為に、オレは促されるように、彼女の体温をその唇に求めた。




深く、深く、意識が彼女の熱に沈んでいく。
湿った音が鼓膜を撫でて、絶えない触感と共に、これは現実だとオレの中に語りかける。
今、彼女の口角を撫でるのはオレの舌。彼女の吐息。
応えて、と、軽く彼女の唇を噛むと、少し切なげに眉を寄せ、組み敷かれたオレの下で僅かに身を捩った。

甘い。





、好きだ。好きだ、・・・・・・              ・・」










ランプの灯りがゆらゆらと揺れ、
オレの言葉が届いたのか、彼女の頬の赤らみが少し増した事を教えてくれた。














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後日、この時の事を、夢うつつな彼女はまったく覚えていません。フリックさん本当に残念です。ごめん。(笑)