「・・・・・・・・・フリックさん・・」
本当に、驚いた。時間は深夜を回っていたし、絶対に誰も居ないだろうと思っていたから。
屋上の真ん中で立ち尽くすフリックさんを、私もただ目を見開いて見つめていた。
食事を済ませ、寝室に戻ってアナシアと少し話をして、やがてみな眠りについたのに、何故か私だけ眠れず、その内足の裏がいじいじして来て、寝ころんでいるのが苦痛になってきた。
仕方なくベッドから出て、暫くは寝室の回りを、薄着のままで1人でうろついていた。体はとても疲れ切っているのに、目が冴えてしまってどうしようもない。
戦いの後のせいか、深夜という時間のせいか、城の廊下に人影はまったくなく、私は少しの気晴らしを、と思いつき、その薄着のままで屋上へと向かった。
ここに辿り着くまで、本当に誰ともすれ違わなかったのだ。だから、絶対に屋上にも誰もいないと思って、・・・・・・なのに。
・・・・・・フリックさんも私と同じ事を考えていたんだろうか。普段見ないほどの軽装で、その気軽さを伺わせた。
私も、だ。・・・・・今更、どうしようもないけど。
「・・・・月見、ですか?偶然ですね」
私は出来るだけ軽い口調で話しかけて、フリックさんの方へとゆっくり歩き出した。フリックさんは、一度視線を反らし、それから再度私の方を見た。
「・・・本当にな。・・・・二度目の、偶然だ・・」
「・・・・・・・・」
少し含みのある響きのように感じたが、考えてもきっと答えなど出ない。私は屋上の中央に居るフリックさんを追い越して、塀の側に寄って、手を掛けた。・・・風が吹き上げてくる。息が詰まる。
「・・オイ、危ないぞ」
フリックさんが私に呼びかけつつ歩み寄って来た。・・・近寄られる事に少しの抵抗を感じて、勢いよく振り返った。大丈夫です、と、言おうとして。
髪が、風で巻き上げられて、私の視界を塞いだ。彼の顔が見えない。髪を手櫛で掻き上げてそちらを見ると、フリックさんは既にかなり近くまで来ていた。どきん、と、胸が高鳴る。
視線を合わせるのがなんだか怖くて、ついそのまま俯いてしまった。
そのまま、暫しの沈黙 。
「・・・話して聞かせてくれよ」
「え・・」
フリックさんがゆっくりと私の方に歩み寄り、そして傍らに立った。私の顔を見ずに、真っ暗な湖の方を見つめて、無表情に言った。
「今日、手紙、渡せたと言っていただろう?受け取ったハイランド兵は、どんな顔をしていた?さぞかし、驚いた顔をしていただろう」
「・・ええ」
言われた内容と、表情の読めないのが怖くて、私は彼から視線を反らした。
フリックさんは、それまで湖の方を向いていた顔を私の方にゆっくりと向けた。私も、目の端で彼のその動きに気付き、合わせるように静かに、再度彼の方を見た。・・・・・やっぱり、表情が無い。何を考えているのか分からないような視線で、私を射るように見つめている。私は、彼の纏う気配になんとなく気圧されて、思わず後ずさりしたくなった。
「・・・・死に際の願いに、国境は無いからな。・・・だが、誉めてはやらないぞ。お前がやった事は、無謀とも取れる。・・・・二度と、こんな事はするなよ。・・・共に戦う奴らに対して、迷惑にもなる」
「・・・・・はい・・」
「・・・・・・・無事で、良かったよ・・ともかく、な・・」
そこまで言って、やっと、彼の瞳に表情が戻った。少し、苦しそうに微笑って、ゆっくりと下を向いて、静かに、長く、吐息を吐いた。
・・・・・心配、してくれていた?私・・を・・?
話しているうち、失った恋人を思い出したんだろうか。・・・そうだ。そうに違いない。
今の、この状況は、今の私にとって、もしかしたらとても辛いものかもしれない。
思いがけずまた顔を見られたのは嬉しかった。だけど、もう、部屋に戻った方がいいかもしれない。フリックさんは、ここで、1人で、オデッサさんの事を想っていたのだ。きっと、そうだ。
そんな風に考え出すと止まらなくて、私は、何か不自然でない理由でこの場を去らなければ、と、必死になって頭の中を整理しようとした。
私は邪魔だ。ここに居てはいけない。
なのに、どうして、足が動かない?
フリックさんは、スッと顔を上げて、再度湖の方へ向けた。彼の仕草に、風になびく髪に、私の視線は釘付けになっていた。・・・・目を、反らせない。
「・・・・・・・・・まだ・・子供、でした・・・あの手紙を差し出した兵士の、親友だと、マリエッタは自分の妹だと・・・」
フリックさんの横顔を見つめたまま、私はいつの間にか呟くように話し始めていた。
「・・・今まで、もう死ぬだろう、と思った事は何度もありましたが、今日は、今日ばかりは本当に、もう、ダメだと思いました・・・」
そう呟きながら、ふいに、自分が無意識に笑った事が、頭の奥の方で理解出来ない衝動となって、喉元にせり上がって来た。・・・・・気分が悪い。
フリックさんは張り付いた笑みを浮かべる私の方へ視線を移さず、湖を見つめたまま話し始めた。
その横顔の瞳の色が、少し、自嘲気味に見えた。
「・・・・・ああ・・それが、戦だからな・・そのうち、生き残ってるのが不思議に思えて来るんだ。なんで、自分だけっ・・てな」
「・・・・・・・・フリックさんは、今まで、」
「・・・・解放戦争の時、大詰めの大詰めで、崩れ落ちてきた壁で頭をひどく、打って、瓦礫の中で暫く目を覚まさなかったらしい。連れて出るのも荷物になるからこのまま埋葬しようと思ってたって、ビクトールに言われたよ。・・・奴もひどい怪我だったからな」
「・・・・・・・・・」
「体に傷が沢山あっても、意識があればまあ何とかなるもんだ。アイツの生命力はとにかく、並みじゃないしな。オレは、体に傷はあまり無かったのに、頭をやられてたから。・・・埋められてたら、ここには居なかったな」
「・・・・・・・・・」
「せっかくだから化けて出てやったのにって言ってやったよ。ハハッ・・まあ、そんな事も、ある」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
私が無言で居るので、フリックさんも語るのを止めた。
何か、話したい。
何か、言いたい。
彼はまた表情を失ってしまった。 何処を、見てるの?その、暗闇の、何処を?
「・・・・・・・・・・・死にたか・った・・?」
私の口から出てきた言葉は、とても無機質に風に紛れた。
聞こえてなければいい。そう思った。だって、なんて、ひどい問いかけ・・・・。
傷付けたかもしれない。私は、また・・・。
フリックさんは驚いたように少し目を見張って、私を見た。・・・喉の奥が、熱い。痛い。
「・・・・いや、そんな中途半端な死に方じゃ、それこそ、あっちでアイツにどやされちまうよ。・・・生きていたくても、死んじまう奴は大勢居るんだ。・・・・・・・その半分は、オレ達の手によるものだ。・・・そうだろう」
フリックさんの瞳が、少し、揺らいだ。また、さっきの、自嘲気味な笑み。
泣きたい。
声を上げて、喚きたい。
どうしようもない。こんな気持ち、抱えていたくない。吐きたい。全部、吐いて、捨ててしまいたい。
手紙を受け取った若いハイランド兵。
耳の後ろにこびり付いた血。
戦女神と讃えられたオデッサさんの死。
・・・・・・・死ななければ、今頃、今頃は。
戦なんて !!
「・・今、ここで聞く事は、朝には全て無かった事に・・・全て、忘れて・・頂けますか?・・」
「・・?・・・・・ああ」
フリックさんは、一瞬、問うような視線を見せたが、すぐに、静かな声で返事を返した。
すぐに、込み上げてくる、涙。
「・・・・・・・・・・オイ・・」
「・・・・っく・・・うっ・・・・・っ・・・」
「・・・・・・・・・・・・・」
急に顔を覆って、子供のように嗚咽を上げ始めた私に、フリックさんはかなり驚いたらしく、呼びかける声が動揺している。でも、止まらない。止まりそうにない。
空しい。急に、全ての事が、空しく、虚ろに感じる。
生きる事も、死ぬ事も、そこに存在する意味など、自分の眼前にある鮮やかなものは全て剣で自分から断ち切っているような。
「・・・こんな時代に生まれなければ良かった・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・どうして、私は・・こんな時代に生まれてしまったんだろう・・・どうして・・・」
泣きながら、消え入るように呟いて。こんなの、聞かされる方が迷惑だ。
応える事なんて、この世の誰にも出来やしない問い掛け・・・・。
ふ、と、柔らかい風が背を撫でた。私は身を強張らせて、息を潜めた。
フリックさんが、片手で私の背を抱え、包み込むように抱いていた。
片手なのは、私が逃れ易いように・・・・?
「・・・・それは、戦ってる全ての者が、言いたくても言えない言葉だ。・・・お前は、代弁してやったんだ」
「・・・・・・・」
「・・・言葉にするのは、辛かっただろ・・我慢するな。今は・・・オレが、お前を、支えてやる・・・」
背を支える手に、少し、力が籠もる。私は、フリックさんの胸に自然、顔を埋める形となった。
鼓動が聞こえる・・・・心無しか、少し、激しく脈打っているように、感じる。・・・・きっと、自分の鼓動がそうだから、耳が痛いくらい、激しく鳴っているから、そう、感じるんだ。
私は、フリックさんの温もりをもっと感じたくて、頬をその胸に擦り寄せた。合わせて、フリックさんの手に再度、力が籠もる。
『いつ死ぬか分からないのなら、出来るだけその人と居たいと思うだろうし、きっと、我慢はしない』
『・・・フリックさんが好きなら、ちゃんと言っとけよ』
・・・言いたい。・・・今、なら。
私もいつかは死ぬ。想いを伝える事も出来ずに、このまま。
イヤだ。伝えたい。せめて、この気持ちだけは。
急に、自分の中で、彼への気持ちが傲慢に膨れ上がった。
「・・・・・朝になったら・・」
「ああ、全部、忘れる。・・安心しな」
フリックさんの手が、私の背を、一度だけ、優しく、撫でた。
暖かい・・手の平の熱が、私の心の中の何かをゆっくりと解していく。
「・・・・・なら、もうひとつだけ、聞いて頂けますか?・・朝になったら、忘れて下さい・・」
「・・・ああ。なんだ?」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・どうした?」
声の響きが一段と優しく、囁くように耳元に届いた。顔を屈めて、何も言わない私の方に向けて、私の次の言葉を待っている。
待って、くれている。
私はゆっくりと、顔を上げた。唇が触れ合いそうに、近い。・・・・・鼓動が激し過ぎて、胸が、苦しい。
フリックさんも、あまりの近さに少し驚いたみたいに見えた。でも、退かなかった。
私も、退かない。
彼と視線を合わせると、闇が瞳の青に吸い込まれるように、僅かな星の光と相まって、濃い深淵を描き出しているのが解る。その中に揺れる、不安げな女性の、顔。・・・・震えてる?
「・・・・・・・・・・・・・・・・・私は、・・・・あなたが、好きです。ずっと、好きでした」
「・・・・・・・え・・」
「・・・この城で、初めて見た時から、・・・・あなたが、好き、です・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
息がかかる程近くに居るのに。
『好き』
この言葉を聞いて、彼の体がひどく強張った。
でも、噂で聞くほどに、哀しい色を移しだしてはいない、そのブルーの瞳。どちらかといえば、複雑に、激しく揺らいでいる。
・・・・・・・・・否定、しないの?
それとも、私を拒絶するのに良い言葉を探しているの・・・?
私の背に添えられていた彼の手は、行き場に迷っているように、少し浮いていた。
沈黙。
今、何を、・・・・・誰を、想っているの・・・・・?
私は徐に、スッと体を離した。視線を合わせたままで、数歩、後ずさる。彼は、私の唐突な動きに、対処出来ずに、私の背を支えていた手を中途半端に上げたまま、躊躇して私を見ている。
「・・・・・・・・・・」
「・・・・忘れて、下さい。必ず。・・・・・・・・もう、部屋に戻ります。・・・聞いて下さって、ありがとう、ございました・・」
笑おうと思ったけど、出来なかった。
自分の動悸に当てられて、ひどく強張った顔のままで、私はくるりと踵を返し、階下への階段へと向かった。
フリックさんは、追って来なかった。
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