That Day
カンカン、カン。
トン、トトトト。
小刻みに響く金槌の音が、二谷診療所の朝を景気良く盛り立てている。
この診療所が二日前にひどい火事に見舞われたという事実はまるで無かった事のように、今日も平常通り、診察室の前は通いの患者でごった返していた。
「ありゃー瘡蓋剥がしちゃったのひろくん。待っててね先に消毒するから・・・あ、さん、アキラさん。おはようございます」
菜子が老人に手を添えて診察室から出て来た時に、戸口に佇むアキラとの姿に気付き、声を掛けた。
「菜子さん、おは・・」
「今ほたるくん、急患診に行ったにこ先生に付いて行ってもらってるから居ないけど、さんは部屋に居るから、どうぞ入って下さい」
二人が朝の挨拶を返そうと口を開き、全て言い終わらぬ間に、菜子が続けざまに言い放った。至極事務的で愛想のない物言いだが、菜子はむしろ親しい友人を迎えるようなてらいのない表情で、診療所の奥を指し示した。そして老人を支えて玄関まで来て座らせると、耳元で、気を付けて帰ってねと言い、老人の物であろう、草履の隣に立て掛けてあった杖を握らせ、すぐさま診察室へと駆け戻って行った。
二人は、菜子の忙しそうな様子に、目を見合わせた。アキラは、ふ、と、軽く息を付いて草履を脱ぎ始める。
「・・・・・ほたるが満足に手伝えるとは思えませんが・・・・」
ほたるの性格上、まともに助手が務まるとは考えにくい、と、二谷の苦労を思案し、アキラが呟くその隣で、が杖を頼りに立ち上がった老人に気遣いの声を掛けたが、老人はにこやかに手を振ってゆっくりと外に出て行った。
はアキラを追い、自分もさっと草履を脱ぐと、患者の履き物でごった返しているその正面より外れた隅っこの方に、アキラのと合わせ二足、並べて置いた。
そして二人は昨日、お互いに劇的な再会を交わした、とほたるの寝室へと向かった。
「なにやってるの?!」
とほたるの寝室の障子戸を開け、すぐ目にしたものに対し、が頓狂な声を上げた。アキラがその後ろで、呆れたように、ふぅと息を吐く。
はほたるという鬼の居ぬ間に、衰えた筋肉を取り戻そうと、部屋の壁正面に立ち上がり腕を付き、そのまま体重をかけ腕立てをしていたらしい。来客にやんわりとこちらを向くものの、頬を紅潮させ額に汗が滲んでいた。
が慌てて部屋に飛び込み、の肩に取り縋る。
「寝てなきゃダメだよ!こんな汗かくまで・・」
「、大丈夫だから、ちゃんと壁にもたれて、傷に負担を掛けぬよう・・」
「全然大丈夫じゃないよ!昨日見せてもらった傷の様子じゃ、とてもじゃないけどまだそんなに動くには早いよ!ちゃんと布団入って・・・ね?」
「・・・・・だが、折角、あのバカが居ないのに・・」
「・・お願いだから・・」
縋るに対し、普段庇われ過ぎて嫌気が差しているのか、ほたるの事を『あのバカ』と呼び、ほたるが居ない今しか運動させてもらえないのだと、は少し駄々を捏ねた。
だが、が今にも泣き出しそうに口をへの字に曲げ、を見つめたので、は額の汗を手の甲で拭うとゆっくりと布団に戻り、苦笑いを口元に浮かべて、自分に寄り添うように布団の脇に座ったの頬を、母親がするように優しく撫でた。
は昨日、二谷がの包帯を替える際に、その場に立ち会って傷の具合を見ていた。
ほたるくんが縫ったんだよ、と、苦笑いと共に二谷が傷薬を塗ったその場所は、痛々しく引きつって、ひどく赤みがかってはいるものの、裂かれてしまった肉体を再生させようというの生命力の、努力の証は顕著に見て取れた。
だがどう思い返してみても、まだ汗を滲ませるほどに体を動かすには、いくらなんでも気が早過ぎる。は拗ねたような表情で、自分を宥めるように微笑うを軽く睨んだ。
二人のそんな様子を戸口で視ていたアキラが、障子戸を後ろ手に閉めて、その場に正座してに言った。
「気持ちは分かりますが、急いても結果は同じですよ。落ち着いて治療出来る環境にいる時は、どしりと構え頭の中を整理し、事の流れを見極める時間にするのが最良なんです」
静かに悟され、は神妙にアキラを見つめた。アキラは、構わず続ける。
「確かに『あのバカ』は過保護かもしれませんが、現段階では行き過ぎでは決して無いのでは?壬生からの刺客なら、私がここに居るのですから心配はありません。球の事なら・・とにかく体をきちんと治してからでも、決して遅くは無いでしょうし・・ね」
穏やかな物腰でに説くアキラに便乗し、もうんうんと大きく頷いた。
は、アキラに対し、はじめて会った昨日から、あるひとつの事柄がとても気に掛かっていた。そして、再度アキラと正面から言葉を交わした今日、昨日と同じく、アキラに対し同じ事柄が激しく気になった。
物怖じせず、言葉にする。
「・・・四聖天の噂は私もよく聞いていましたが、その内の一人がこんなに落ち着いてしっかりした人だとは・・・本当に、昨日二谷先生の言われたように、噂とはアテにならないものですね」
は、声の響きに特に揶揄は含まないよう、素直な印象だと言うようにするりと口にした。腹の奥に少しの思惑を忍ばせて 。
四聖天の名を出された事で、昨日二谷がそれを口にした時とはまた違う状況でそれに触れた自分に対し、アキラがどう反応を返すのかをじっくりと見たかった。
にとって既に家族の様な絆で互いを想うの、愛しい人となっているのであろうアキラの、その人となりを、しっかりと見極めたかったのだ。
礼節を重んじる人だとは伝わる。
段取りを気にする人なのだとも思う。
そして、身を挺してを庇う男気のある人なのだとも。
しかし、過去は何をもってしても拭えない。
人は、自らが持つ自らの過去とどう相対しているかで、その本質が分かる。いかに巧く隠し通そうとも、唐突につつかれれば多少なりとも化けの皮が剥がされるものだ。
その剥がしようで、今後が分かる。
アキラがを手放す気が無いのなら、今後どのような状況下に置かれようとも、彼女を置いて逃げ出す事など、決してあってはならない事なのだから。
何があっても何よりも真実の為に。
アキラが、それに見合う器を持った男なのかどうかを、は今この一瞬で見抜くつもりだった。
もちろん、自分の腹づもりを読まれる事は、計算の内だった。
アキラは、自分に対しが放った言葉の、その裏側をすぐに読みとり、少し眉を顰めた。
が、すぐにそのまま、フッ・・と、自嘲気味に笑い、呟くように答えた。
「・・・・昔からこうだった訳ではありませんよ」
静かにそう言ったアキラの顔を、もも、ただ黙って見つめた。
次に続く言葉を待った。
戦う為に生まれてきた血も涙も無い悪鬼。
その闘いぶりは非情極まりなく、奴らは好んで敗者の血肉を喰らう 。
四聖天につきまとう噂はどれも生臭いものばかりで、二人とも当然のように、快い噂など耳にした事はひとつも無かった。
もも、四聖天が通るやもしれぬその道筋には出来るだけ近寄らないようにしていた。
四聖天の一人として、血のように紅く闇のように黒い、人々の記憶から拭えぬ過去をその身に背負うアキラ。
今目の前にいる、この穏やかな風貌の人物が。
体中に他人の血を浴び、狂気に笑っていたとは、二人ともとても思えなかった。
・・・・・・ほたるは、どうだったんだろうか。
は、その事柄をアキラにふった当初の目的を少し忘れ、ふと、彼の人の事を考えた。
そのままの浮いた視線を、アキラに向けたままだった為に、その一瞬の隙を、アキラに読まれた。
「・・・・・今、その頃のほたるの事が聞きたいと考えましたか?」
アキラがからかうようにクスと含み笑いをしつつ、に言った。
はほたるへの想いを読まれた事に戸惑い、慌てて弁解をしようと口を開けかけた。
が、その話題をふった当初の目的をハタと思い出し、気付いて、やめた。
詮索は無駄だと。下手な小細工は無用な事だと、アキラに対し素直に悟ったのだ。
そんなの潔さに、アキラは、フ・・、と、穏やかに微笑み、深い含みを持った響きで、の心の問いに応えた。
「ほたるも変わりましたよ・・とてもね・・。・・・・いえ、隠されていた気持ちに、・・・・見えていたようで見えていなかった事に、気付いただけなのか・・・、」
過去のほたるに意識を飛ばした自分を、じっと凝視する二人に気付き、アキラは慌てて何度も咳払いをし、少し赤い顔で言い募った。
「ああいうマイペースぶりは昔からですけどね!そう言い換えればまったく変わっていないのかもしれませんけど!!」
仲が良い訳では決してない、と、激しく主張するかのように強めの口調を作ってそう弁解する。
アキラが、先程自分を軽く転がした同一の人だとは思えないほどの隙を、ほたるの事に対してはこんなに簡単に覗かせた その事が、はなんだか少しおかしくて、口元に軽く微笑いを浮かべ、そしてアキラに対し、改めてゆるりと頭を下げた。
「?どうしたの?」
が、の動きを不審に思い問い掛ける。
は、言葉に深い響きを伴い、アキラに言った。
「アキラさん。を助けて下さって本当にありがとうございました・・・・!」
「いえ、私は別に・・・・それに、お礼ならもう、昨日、」
「いえ。昨日、詳しい話をから聞いて・・もう一度きちんとお礼を言わねばと思っていました。出会いの経緯も、の村での事も・・・」
言われて、改めてアキラも膝を正した。
心からの想いを込めて、少しの戸惑いを含んだ瞳で自分を見つめるの顔を視つめ返し、そして、にきちんと向き合った。
「・・・いえ、私の方こそ、と出会えて心から良かったと思っているんです。・・・・・それに、この球の件に関しては、きちんと片が付くまで中途で放る気は毛頭ありませんから。・・・村での、球を見失ってからのの様子は、から昨日お聞きになったと思いますが、」
「はい」
事がそこに及び、も顔を上げ、真剣な面差しでアキラを見つめた。
アキラも、真剣に視つめ返す。その事柄が自分にとって最重要点であるのだと強調するように。
「私は、が、その意識下に潜む球の呪縛から、完全に解き放たれたかどうかの確認をしたいのです。今後、また何かのきっかけによってあのように変化しないとも限りません。事が収まるまで、私も今後、と共に同行させて頂きます。よろしいですか?」
「はい。こちらこそ、の事、よろしくお願いします」
が再度、アキラに向かい、頭を下げる。
アキラも、少し俯く程度の深さだが、の言葉の響きの重さをしかと受け止め、会釈した。
は、二人の会話のやりとりのその中心が自分にあった事に先程やっと気付き、その事に心持ちいたたまれなく、頬を少し赤く染め足元をもぞもぞさせて、その場でじっとしていたが、やがて顔を上げたに、自分も昨夜から聞きたかった事を、おずおずと言葉にした。
「・・・・は、ほたる、・・さんと、どうして・・?」
「え?」
「その・・いつから、今の様に・・ほたる・・さん、を、許せるようになったのかなって・・昨日は、私の事を話すだけで終わっちゃったから・・」
の過去に触れる事を気遣いつつ、途切れ途切れに言葉を紡ぐを見つめ、の視線が少し、その眼前を心許なく彷徨った。
が、すぐに視線を自分の手元に落とすと、少しやんわりと笑い、静かに息を吐いた。
「・・・・・・・・許す、か・・。、私は、谷の事に関して・・まだ自分の気持ちの中で完全に整理がついた訳ではないんだ。ほたる・・ケイコクの事も、『許したのか』と問われると、・・・」
「・・・・・・・・・・・・・」
彼の人の名前を呼び直した事に、はの戸惑いを顕著に感じ取った。
が少しずつでも、言葉を選ぶその道筋に整理がつけやすいように、と、は相づちも打たず、静かに次の言葉を待った。
「・・ だが、・・憎しみだけでは無いのは確かだ。今の私の中にあるあの男への気持ちが、日々変化していっているのも・・・・」
つ、と、が顔を上げ、憂いに満ちた表情でを見た。
同じ女性ながら、はのそのしっとりとした色香を漂わせた表情に、思わずみとれた。
綺麗だった。
「・・・・、なんだか少し、変わったね」
「え」
「なんだか少し、なんていうか・・・、うーんと、丸くなった」
「・・・・・・・・・・・・・」
の、自分に対する印象の変化に、は真剣に耳を傾けた。
丸く、とは?
「以前は、もっと、キリキリしてたっていうか、・・・・ちゃんと言えないけど・・・。・・前より、綺麗」
「!そっ・・・そんな事は・・・わ、私よりだ!だって、変わったぞ!」
「えっ、そっ、・・・そうかな」
お互いに頬を赤く染めつつ、だが片方はふにゃりと笑い、片方は激しく戸惑い顔をしかめている。
すっかり二人の世界になってしまった女達に、自分がここに居る事を思い出してもらわねば話がとんでもない方向に伸びそうだ、と、アキラが慌てて咳払いをした。と、女達がハタ、と、目を見合わせて、口を噤む。
「んんっ・・・・と、とにかく、ほたるが戻り次第、今後の行動の指針を定めるべく話を進めていきましょう。よろしいですね」
「なんの話?」
唐突に、アキラの背後の障子戸が無遠慮に開く。
みなそれぞれが意識を違う方向に飛ばしていた為か、はたまたほたるの持つ、猫のような特性からか、その場にいた者全てがほたるの帰宅にまったく気付かなかった為、いきなりの登場にみな驚き慌て、ほたるを見た。
「ほたる!」
「!ほたる・・、いつ戻ったんです?」
「今。、」
とアキラそれぞれが名を呼び、ほたるに問い掛けるも、当のほたるはすごい仏頂面で、その一言だけを返しつつの名を呼ぶと、開けた障子戸もそのままで、すたすたと、半身布団を掛け座っているの元に歩み寄る。
と、唐突にぺしゃりとしゃがみ込み、の腰にしがみつくように抱きつき、その腹部に顔を擦り寄せた。
がいきなりの事に驚き、声を荒げてほたるに問い掛けた。
「な?!!なんだいきなり!!」
「・・・・・・・・疲れた。オレもう絶対にこ先生についてかない」
「え?」
自分の腹部に顔を密着させ、もごもごといつもより低い声で呟くほたるに、その場にいた全員が眉を顰め、顔を見合わせた。
と、ほたるが少し顔を上げ、の腰回りに鼻を寄せ、犬猫のようにくんくんと匂いを嗅ぐ仕草をした。
そして、その場所からは離れずに上目遣いにの顔を見上げ、ジトリと睨んだ。
「・・・・汗くさい。なんで?」
「え、あ、いや、・・・・・・・・・・・・・・・・・オイ!!嗅ぐな!!」
ほたるがそのまま鼻を寄せ、腹部から胸元に上がってこようとした為に、ついしどろもどろに言い訳をしようとしていたが慌てて怒気を持ってほたるの頭に拳骨を喰らわせた。ゴチン、と、小気味よい音が室内に響く。
「いたっ・・・・・・・・」
ほたるは、に殴られたそこを少しさすり、そのまままたすぐの腰に腕を回し、ぎゅっと抱きしめた。再度、顔を深くの腹部に埋め、そしてピクリとも動かなくなってしまった。
そんなほたるの様子に、皆は更に不審に思い、が、伺うようにほたるの名を呼ぶ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ほたる?」
すると、やがて、先程と同じ低い声色で、呟くようにぼそりと言った。
「・・・・頭撫でて」
「は」
言われた事柄にいまいち意図が掴めず、再度聞き返すに、ほたるが再度、今度ははっきりと強請るように、語尾を強調して続けた。
「いいこ、いいこして」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・???」
小さい子供のようなほたるの様子に、面々は揃って怪訝気に顔を見合わせた。
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