That Day
「今、オレの事考えた」
「すぐ分かった。今の、届いたよ、オレの中に」
「嬉しい」
求めるのは、共有するという事。
欲求は更に激しさを増し、ともなう動作は更にぎこちなく。
言の葉を失い、見つめ合う。
二谷の診療が的確だったのか、はたまたの、早く治そうという努力によるものか、アキラとが二谷の診療所で生活を共にするようになってから10日ののちの朝、ほたるの縫ったの傷口から、二谷の手により、その糸は取り除かれた。
抜糸の後、すぐさま少し体を動かしたは、糸が無いだけで本当に楽だ、もう完全に傷が無いように感じると、嬉しそうに話し、そのまま散歩に行きたいと二谷に進言した。
ほたるはもちろん反対したが、二谷は、少しならいいよと許可を出してしまった。そんなの急過ぎる!と、ごねるほたるを置いて、一人でも行くと勝手に出て行ってしまうを、ほたるは当然放ってはおけず、渋々ながらにも慌てて後に付いて出た。
少し長めの散歩から、診療所に帰り着いた時、ほたるとの表情が、その出発時と見事に入れ替わっていた。
は何事か気に入らぬ様子で、口をギュッと一文字に引き結び、しかしその頬はほんのり赤く。
ほたるは、顔こそいつもの無表情なから、その足取りは明らかに上機嫌に、少し浮ついていた。
「なんで?」
いつもより早い入浴を終えて、やはり少し浮ついた足取りのままで、が待っているであろう自分達の寝室の障子戸を開けたほたるは、その中央に今居るべき筈の無い人物を認めて、あからさまに険しい顔をした。
何故に?と問われたその人は。
その眉間の皺はいつもの三倍はあろう、という程の仏頂面で、ほたるの方に顔を向けた。
「 私だって、心底、来たくありませんでしたよ。・・・仕方ないでしょう。女性陣がすっかり仲良くなってしまったとかで、旅立ちまでの日々は女性陣のみで寝起きしたいと頼まれたんですから」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
入室からのほたるの険しい表情は、刻一刻とひどくなっていく。
アキラが、そんなほたるに対し、同じ男として、多少なりとも同情を含んで、『女性陣の希望』をとくと話して聞かせた。理由は至って単純明快。女三人、仲良くなったから、一緒に寝起きをしたいのだ、と。
本日抜糸を済ませ、散歩に出ても特に異常はなく、なら達の旅立ちの日まで、そう日数は無いだろう。なので、その少ない日数の寝起きを、女性陣で語り合って楽しく過ごしたい、と。
アキラ、ごめんね? ・・・・・分かりました。
は、少し困ったような表情で、ぼそりとそう自分に謝った。アキラは、少々複雑な思いを胸に抱きつつ、それでも笑顔で返事をした。
私は大人ですから。
二人が旅立ち、との蜜月が取り戻せるまで、何喰わぬ顔でいられますよ。
しかし、ほたるがそれで納得するかどうか。
アキラの懸念はどうやら大当たりの様で、ほたるは徐にすっくと立ち上がると、すぐさま戸口に向かい、障子戸を勢いよく開け放った。そのまま歩を進め、目指すは女性陣が居るであろう、昨日までのアキラとの寝室か、はたまた菜子の寝室か 。
と、何故かその場に佇んで廊下の端を見つめたまま、動こうとしない。
そのまま目的地へと突進するであろうと思っていたほたるが、そこから微動だにせず無表情のまま佇んでいる事に対し、アキラが不審に思い、声を掛けた。
「・・・・ほたる?どうしたんです?」
ほたるは、その問いには答えず、無言のままで部屋の中に戻り、障子戸を後ろ手に閉めた。そして、敷いてある二組の布団の、奥側の方に歩み寄り、バサリと掛け布団を捲り、そのままするりと布団の中に潜り込んだ。
猫の様に丸まり、頭のてっぺんが少し顔を出す程度に掛け布団を被り、そうして、そのまま動かなくなってしまった。
アキラが、そんなほたるを気遣い、静かに問い掛ける。
「・・・・・ほたる・・?・・怒っているんですか?」
「・・・・・・・・なんで?」
布団に潜ったままの状態から、モゴモゴとくぐもった声で答えるほたるだが、その声色には決して怒りの色は無く、むしろ『いつも通り』といっていいほど平坦だった。
殊更に感情を表すまいとするほたるに対し、アキラはそこに潜む機微を明確に感じ取り、そして、沈黙した。
「 ・・・・・・別に。・・・・もう、火を消しますよ」
「うん。おやすみ、アキラ」
「・・・おやすみなさい」
男二人で就寝前に特にする事など何も無い。
まして、アキラとほたるには、今更親密に語り合わなければならない事柄など無いのだ。
自然、健康そのものの就寝時間となる。
対して、女性陣の寝室は、談笑という色とりどりの大輪の花が賑やかに咲き乱れていた。
「ええ?そうだったの?てっきり菜子さんとにこ先生って、もう・・・」
「そんな事ないよ〜・・だって、ここに新しく私の部屋が出来るまで、4日間先生の部屋で一緒に寝たけど・・なんとなく微妙に微妙な雰囲気になっただけで、その・・そういう事はもう、全然・・」
部屋の戸口を頭に、みっつ並んだ布団の中央から、が驚く菜子に対しそう言うと、応えて事実を語りながら少しくしゅんと項垂れた菜子に対し、が慌てて右隣の布団に手を伸ばし、枕の上に顔を乗せて俯せている菜子の背を撫でる。
「でっ、でも、にこ先生って、菜子さんの事すっごい好きだよ!だって、何かもうすんごく信頼してるっていうか、菜子さんの隣にいる時って、安心してるっていうか、・・・うんと、」
懸命に励まそうと、思い付いた言葉を次々に並べるが、どれもいまいち説得力に欠けるようだ。菜子は、慣れない事をたどたどしいながらにも必死に続けるが可愛くて、つい含み笑いを零してしまう。
「なっ、菜子さぁ〜ん・・もう・・」
「ごめんごめん。くっくくく・・だ、だってさぁ、ちゃんって可愛いよね、そういうとこ。・・にこ先生はねぇ、ずっと昔に結婚してたの」
「えっ」
「・・・・?」
が驚きの声を上げた。その左隣で布団にくるまり、穏やかに微笑みながら、二人の話に耳を傾けていたも、その事実に目を見張る。
菜子が、ふう、と、少し憂いを含んだ表情で息を吐き、また、少し笑う。
「えへ・・私が話したって事、にこ先生には秘密ね?」
菜子の言葉に、二人共が真剣な顔で菜子を見つめ、深く頷いた。
菜子にとって二谷は、自分がこの世に生を受けた時からずっと、自分だけの、専属の主治医だった。
もちろん、町民の大半はそう考えている。子供達などは特に、それこそみな同等に、二谷に世話になっているのだ。どんな病気も怪我も、二谷に診てもらい、助けてもらってきたのだから。
菜子が物心ついた頃から、菜子が目にする二谷の様相はまったく変わらず今のままで、変わった事といえば、笑った時に目元を縁取る皺が数本増えた事くらい。
菜子はずっと、二谷が大好きだった。他の子供達と同様、先生、先生、と、零れんばかりの笑顔で、その膝元に縋った 。
「・・・先生が結婚した時って、そりゃもう、町のみんなで盛大に祝ったのよ?みんなで料理を持ち寄って、・・・先生って普段からすごい奥手で、医者っていう職業柄、言い寄る女の人も、見合い話も多かったんだけど、みんな何かしら理由を付けて断ってたらしいの。下手なのよね、そういう事が根っからに。・・・でも、その人には、初めから何もかもが違ってた」
その人は、旅の人だった。
何か不幸な過去から逃げて来た人らしかった。
笑うと儚く、視線は頼りなくか細い線を描く。
「・・・その人が街道で倒れてて、ここに運び込まれた事が、まあ、出会いだったんだけど、その三日後には結婚だなんていうもんだから町の人みんな仰天しちゃって。でも・・・にこ先生の人柄をみんな信頼してたから、事情があるにせよめでたい事に変わりはないからって。・・・・その半年後に、その人死んじゃったの。助からない病気だったんだって」
今でもはっきりと憶えている。
彼女を一目見た時の、先生の表情の変化。
すごい吸引力で引き寄せられる視線。
呆けた口元。
私は、先生だけを見ていたから。
初めて診察したその時から、もう助からない病気だという事を、きっと知っていた。
全て、分かっていて結婚した二谷と、二谷の気持ちを受け入れたその女性の間に、たった三日の間で、深い愛が成立したかどうかは、菜子には分からない。
だが、彼女と出会ってから、彼女が死ぬまでの半年間、二谷はとても幸せそうだった。
菜子が今までに見た事のない深い微笑みで、彼女の背を支え、庭を歩いた。
「彼女が亡くなってからも、表面上はまったく変わらず、いつもの先生だった。いつもと同じように、仕事をこなし、楽しければ大声で愉快気に笑う。・・・・だけど、私は、その頃に、・・・自分が、ただ先生の事を、子供の頃からと同じ想いで慕ってる訳じゃないって・・、・・・心から、一人の男性として、にこ先生の事を、好きなんだって、気付いちゃったから・・・だから、私、決めたの。無くなった彼女の後がまを狙って近付く性悪女共から、私が先生を守るって。・・・親にはずいぶん反対されたけど、看護婦志望しますって、ここに押し掛けて住みついちゃった。面白かったのよ〜その時の先生の顔ったら。怒鳴る両親と素知らん顔の私とに挟まれて、笑ったり怒ったり焦ったり百面相。くふふっ・・」
菜子が笑いながら、スッと眼鏡を外し、枕元に置くと、俯せていた体を仰向けにし、掛け布団を首まで掛ける。そして深く息を吸い、ゆっくりと吐くと、やんわりと笑い、続けた。
「・・・・私が守るって誓ったの。絶対、にこ先生は私が幸せにするって・・・。私には、あの人に対してみたいに、情熱的な視線を向けてくれた事は一度も無いけど、でも、それでも、好きなんだもん。仕方ないよね。・・・・・ここに押し掛けて住み込み看護婦になってから、もう8年経つけど、・・・・求めてもらえないのは寂しかったけど、いつも幸せだった。一番近くに居て、一番先生の事知ってるの私だけだもん」
「・・・・・・・・・」
天井を見つめたまま、しかし口元はゆったりと微笑みを含んで、想いを綴り続ける菜子を、もも、それぞれの情感を胸に、その瞳に憂いを滲ませて見つめた。
「・・・・家が燃えて、一緒に寝る事になったあの晩、先生が言ったの。怖かったら、言いなさいって。ほたるくんが居るから、命の危険は無いと僕は信じているけど、菜子ちゃんは女の子なんだから、無理をする事はないよって。だから私聞いたの。私が『怖い』って言ったら、先生はどうするんですか?って。そしたらにこ先生、すごい真剣な顔して、自分は刀を握った事も無いけど、いざという時は自分が菜子ちゃんの盾になるから、自分の傍に居て欲しいって」
その時の二谷の真剣な目。
その視線の先には、紛れもなく自分がいた。
「・・・・看護婦として、なのか、それとも、一人の女性としてなのか、・・・・そのあとすぐに、『菜子ちゃんが居ないと、醤油の場所も分からないしね』なんて茶化しちゃって、・・・結局、分かんないままなんだけど・・でも、私、そんな時なのに、傍に居て欲しいって言われた事が、本当に嬉しくて嬉しくてたまらなくて、・・・・言っちゃったの。ずっと好きでした・・・って・・・」
菜子の話に真剣に耳を傾けていたとが、二人して一斉に、菜子の布団の方に身を乗り出した。
「・・そ、それで?」
が、我が事のように緊張に胸を弾ませ、菜子の次の言葉を促すように問い掛けた。
菜子は天井を見たまま、ゆっくりと目を閉じて、その時の二谷の表情を反芻した。
同時に、緊張に震えた自分の胸の鼓動も鮮明に蘇る。
「・・目を見開いて、口を開けて、呆けてた。・・・私、先生のそんな顔見てたら、なんか・・普段絶対出来ない事でも、出来る気がして、・・・・そのまま自分の布団を出て、先生の布団に潜り込んだの。驚いて固まってる先生の胸元に、抱き付いた」
「うわぁ・・・」
「・・・・・・・・・」
少し動悸が激しくなった事を隠すように、口元を両手で覆って、口調も淡々と繕いながら、話し続ける菜子の顔元を、傍らのとが、語っている本人よりもどきどきしながら赤い顔で見つめている。
「・・・先生は、しばらく経ってからやっと、私の背に手を回して、抱きしめてくれた。・・・・嬉しくて嬉しくて、泣いちゃった私に、先生は小さい声で、ありがとうって言ってくれて・・すごく優しく、おでこに口付けてくれた」
その瞬間の幸せを、再度深く噛みしめるかのように、菜子は口元を両手で覆ったまま、瞼をぎゅっ、と閉じた。
「・・・・・・」
は、アキラに初めて受け入れてもらえた山小屋での夜を、胸に思い描いて、・・・今の幸せに、少し、泣きたくなった。眉を少し寄せ、自分の胸元に視線を落とした。
は、ほたると初めてその心を通わせた時の事を、そっと胸に抱いていた。
今聞いた二谷と菜子のやりとりが、あの夜の、ほたると自分とのやりとりに重なる。
ありがとう、と言った、自分。
ごめん、と言った、ほたる。
オレの事好きでしょ? と、目の端を緩ませて、私の顔を見た。
一拍置いて、菜子がバサリ!と掛け布団から両手を出し、その上に放り投げる。眉を寄せて、勢いよく憤った。
「・・・でも、それ以来なんっっっっっにも無し!毎晩ずっと隣の布団で、何か言ってくれるの待ってたけど、おやすみ、って笑顔で言って、横になったと思ったらすぐイビキかいちゃうんだもん。・・・・受け止めてくれたって・・思ったんだけど・・・」
尻窄みとなる声の響きが、菜子の心象を鮮明に浮き彫りにする。
期待に胸膨らませた菜子の4日間は、あっという間に終わってしまった。やっと応えてもらえたという幸福感と、二谷の体温に包まれたまま朝を迎えたあの日から、菜子の胸中はその事で一杯になってしまっていたというのに。
もちろん、自分の仕事はいつも通りそつなくこなした。ふとした事で触れる指先に、交わされる視線に、心中は熱く激しく動揺していたとしても、ちらとも見せなかった。
どうしたらいいか分からなかったのだ。
はっきりと答えをもらった訳では無い自分が、その情感を二谷に対しあからさまに晒しても、それは間違いでは無いかどうか、分からなかった。
現に、その日の朝から今日までずっと、二谷もいつも通り、自分に対し何も変わったところはなく・・・。
だが。
「 ・・でもね、いいの。・・・・私、ここに来てから今までで一番、今が幸せ。好きって言えたもの」
天井を見つめたまま、深く熱く、息を吐く。
縛っていた心を解き放つ事の出来た解放感。
例え、そのまま漂い、着地出来ぬ現状にあったとしても。
「菜子さん・・・・」
「・・・・・・・・」
とが、菜子の、二谷への想いの深さをその身に感じ取り、はただ切なげに見つめ、はそうと思うともなく、菜子の名を口にした。
「・・好きって言えたから・・いいの・・」
なんともいえず穏やかな微笑みでそう言うと、菜子はゆっくりと数回、瞬きをした後に、緩く瞼を閉じた。
好き。
は、心の中で誰にともなく、静かに呟いてみる。
自分がほたるに対して、明確にそういう言葉を示した事は一度も無い。心でそうとはっきり意識した事が無いのだから、当然といえば当然だった。
そこで、はハタとひとつの事柄に気付く。
・・・・思い起こしてみれば、そういう言葉で例えや揶揄を何度となく口にしてはいても、ほたるから明確に、『好き』と告白をされてはいない。
そのような事柄、何度となく口付けを交わした自分達に対し、今更なような気もしなくはないが、よくよく考えればそれも、なんとはなしに不自然な気がした。
欲しいのだろうか。その言葉が。私は。
部屋の天井をじっと見つめたまま、物思いに耽るにふと気付き、菜子が布団に横になったままで徐に話しかける。
「 だから、さんも」
「えっ」
唐突に自分の名が呼ばれたことに、が驚き、菜子の方に顔を向けた。菜子は、窘めるような微笑みで、を見つめている。
「私にはさんの抱えるものの大きさは、経験ももちろん無いから見当も付かないけど、・・・ほたるくんがさんの事、本当に大切に想ってるって事はとても伝わってくるから・・・さんがほたるくんに対して、そういう気持ちが在るのなら、彼を受けとめてあげる事は、間違いでは決して無いと思う」
「・・・・・・」
「・・・・そうなる事が嫌だから、逃げて来たんじゃないんでしょ?・・・どうしたらいいか、分からなかっただけよね。時間が欲しかったのよね」
「!・・・・・」
言われた事に、は再度驚き、軽く息を呑んだ。
はっきりとは自覚していなかった、『逃げてきた理由』に、明確な意図が示される。私、は・・・
「・・・呼び戻しに来ないって事は、きっと気付いてるわよ。そんな気にしなくっても平気よ」
菜子が、歯を見せて悪戯っぽく笑った。だが、言葉の内容はとても、の事を気遣ってくれている。
複雑に絡む心情を、無理をして解く必要は無い、と、諭してくれている。
「わ、私、は・・」
ス、と、目の前にひとすじ、子供の様にあどけない、そして、何で囲ってもいない心の芯の部分が曝け出される。
は何のてらいも無く、何かに導かれるようにそれを素直に言の葉に乗せた。
「・・・確かに、嫌な訳じゃ無い・・ただ、・・流されてしまうのが、嫌で・・。ダメなんだ。ほたるに、・・・見つめられると、途端に、そこから動けなくなる自分がいて・・そのまま、されるがままになってしまう自分がいて・・・・・」
膨れ上がる衝動 。
ほたるの、甘い息遣い。
瞬く間に、捉えられてしまう、自分。
ほたるに深く口付けられる度に、自分の体の奥から、熱く迫る何かがあって。
もっと、もっと、と、主張しているのが分かる。
組み敷かれた夜の、熱い手の平の感触が、胸に、腹に、鮮明に蘇る。
でも、その度に。
これでいいのか、という戸惑いが、いつも瞼に浮かび、そして拭えずにいる。
過ぎ行きた日々は、過ぎ逝きた命は、今の私を理解してくれるだろうか。
村を崩壊させた当の人物と、契りを結ぼうとしている自分を。
問い掛けても応える声は無く。
厳しかったが、とても優しくもあった、首領夫婦の顔は、今も鮮明に思い出せる。
もし生きていれば、どんな顔をして今の私を見るだろう 。
「・・ちょっと、・・・・・・・」
「・・・」
「「すごい・・色っぽい・・」」
「え」
ふ、と、ほたるの温もりの記憶に囚われてしまったを見て、と菜子が二人、肩を寄せて、同時に呻いた。
が、言われた事にすぐ反応出来ずに、呆けた顔をすると、菜子が顔を片手で半分隠し、少し頬を赤く染め、なんともいえない、というように眉を寄せた。
「同じ女ながら・・・今のは、見てるこっちが照れちゃうような・・・」
あわせて、も頬を少し赤くしてを見て、うんうん、と、頷いている。
「そ、そんな、つもり、じゃ、・・・・」
今度は自分の番だ、とばかりに、あっという間に耳まで赤く染めた顔で、が慌てて弁解しようとしたが、狼狽え慌てた頭では、上手い言葉などそう容易く出てくる筈も無かった。
あうあう、と、口だけをぱくぱくさせ、赤い顔で喘いでいるに、が、にこりと微笑みかけ。
「私が男だったら、絶対誰にも渡さないんだけどなぁ」
と、無邪気に放った言葉がその場の雰囲気を、明るいものへと一転させるスイッチとなり。
その日は深夜まで、菜子の寝室から、キャー、アハハハ、と、黄色い笑い声が廊下にまで響き渡っていた。
翌日からのの、身体能力回復の為のリハビリペースは驚くほど早く。
次の日には全力疾走を試し、その次の日にはもう、と体術の稽古をしていた。
そして抜糸からその3日後に、とほたるは壬生に向けて旅立っていった。
「、ちょっと休もう」
「・・・何度目だ。・・・さっき休憩を取ってから半時も経っていない気がする・・」
が深いため息と共に、ほたるを軽く睨んだ。と、ほたるが、その後のの返答を聞かず、背に包んだ荷物をするりと降ろした。そして、いつもの飄々とした口調でに言った。
「あそこ、街並みが見えるから、オレ達の向かうのはこっちの山道だし。もう少し行ったら多分この川途切れるんだと思う」
「だから?」
「うん、だから、水汲んでくる」
苛立ちつつ返答するに向かい、チャプン、と、自分の分の水筒の中身が少ない事を振って示し、返事を待たずにザザッと川縁へ降りて行ってしまう。
は、ふぅ、と、また少し吐息を吐いてから、ほたるの後に付いて、川縁へと向かった。
日々、刻々と夏の日差しへと変化していく太陽の光に、は目を細め、ザーッと、耳に心地よい音を立てて絶え間なく流れる水の流れに手を差し入れた。
まだ少し冷たさを残す水を指先で弄び、両手で掬うと、少し汗ばんでいる自分の顔に持っていく。
ピシャン・・、と、飛沫が、剥き出しの脛にかかった。心地良い。
ふと、視線を感じて、そちらを振り向くと、水筒を川に浸けたまま、ほたるがじっと自分を見ていた。
「・・・なんだ」
が、その声色に少しのぎこちなさを伴って、ほたるに問い掛けると、ほたるは、無言でスィ、と顔を反らし、水筒の蓋をして砂利の上に座り込んだ。
「・・・別に。も座れば。足休ませた方がいいよ」
ほたるの表情の無さはいつもと変わらない。
声色も、特に何の抑揚も示しておらず、ほたるが心に何も含まず、自分の体を案じてくれているのが分かる。
寝室を別にした翌日も、その翌日も、ほたるはに対し、その事について一度も何も、言わなかった。
の行動に対し何故と問う事もなく、あれほど請うていたと褥を共にする事に対しても、そう出来ぬことに焦れた素振りのひとつも見せなかった。
今までと同じように、少しでも早く体力を戻そうと逸るが無茶をしないか傍で見張り、隣の席で食事をし。
違っていたのは。
夜になると、「おやすみ」、と、寝室を分かたれるという事と、必要以上に自分に触れなくなった事。
それ以外の日常は至って、『普通』、だった。
二人きりで居る時でも、ほたるの調子はいつもと変わらない。表情の無い顔で、飄々とした口調で、「あんま無理しないで。大丈夫?」と、気遣ってくる。
だが、それ以上は踏み込まない。求めては来ない。
抱きたい、欲しい、と、飽くこと無く同じ台詞で自分を求めてきたほたるに対し、抜糸をした事で、それがその行為へのきっかけになる、と、ひどく意識してぎこちなくなってしまっていたのは、私だけだったのか?それともやはり、寝室を勝手に別にしてしまった事を怒っているのだろうか、 と、は『普通』のほたるに対し、様々な憶測を浮かべた。が、それでも、ひどく複雑な自分の気持ちを上手く言葉にし、伝える術も持たず。
結局、今日までの3日間、ほたるに対する違和感を、はそのままに放置する事しか出来なかった。
川で少しの休憩を取ったその後は、空が紅く染まり始め、夕刻を記す頃まで、休みなく山道を登り続けた。
ふと、二人の歩く道の傍らに、そこだけぽっかり切り取られたような、不自然な空き地が広がった。
ここを歩いた人達が皆そこで夜を過ごしたのだろうか、木々が自然と拓けて、中央に焚き火の跡が幾つも残っている。
ほたるは迷うこと無くその空き地の中央に進みつつ、に対し、ここで野宿しよう、と、提案した。足元にバラつき、転がっていた薪変わりの枯れ枝を数本に渡し、火を熾して座って待っているように言い聞かせ、自分は薪を取りに藪を掻き分け山に入って行った。
木々に遮られて、だんだんと細くなるほたるの後ろ姿を見つめ、は、フ、と、まるで何かの合図のように、ひとつ、軽く、吐息をついた。
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